栄一、ペリー・ハリスのお墓参りする(「青天を衝け」222)
渡米実業団で訪米中、栄一は、ペリー提督や初代駐日公使ハリスのお墓をそれぞれお参りしています。また、タフト大統領との会見もあり、発明王エジソンとも会っています。今日は、これらのことについて書いていきます。
栄一たち渡米実業団は、10月12日にニューヨークに入り、21日まで滞在しましたが、栄一は、10月20日にタウンゼンド・ハリスのお墓にお参りしています。ここで、栄一は次の歌を詠んでいます。
今もなほ君が心をおくつきに
夕栄(ゆうばえ)あかく匂う紅葉
※おくつき=奥津城または奥都城と書いて、お墓のこと
渡米実業団は、ニュー・ヨークの後、23日にボストンに到着し、3日間滞在し、滞在中の24日、ペリー提督のお墓にお参りしています。ここでも栄一は、歌を詠んでいます。
手向(たむけ)るは心の花の一束に
なみだの雨もそえてけるかな
ペリー・ハリスのお墓参りの前の9月19日、アメリカ中西部のミネソタ州ミネアポリスで大統領ウィリアム・タフトと会見し昼食も共にしています。
ウィリアム・タフトは、アメリカの27代大統領です。26代ルーズベルト大統領のもとで陸軍長官を勤めた後、ルーズベルトの後を継いで、27代大統領となりました。
「青天を衝け」では、タフト大統領が万歳の音頭をとって三唱をしていますが、これも史実です。
デジタル版『渋沢栄一伝記資料』収録の「東京日日新聞明治42年9月22日号」の「実業家と大統領」という記事に次のように書かれています。
「実業団は去る19日当地歓迎会において大統領に謁し、午餐の饗応を受けたる際、渋沢男爵は演説についで発声して大統領の万歳を三唱し、大統領はその日本漫遊の愉快なりし事を回想し、(中略)殊に天皇陛下の御懿徳(いとく:りっぱな徳の意味)を熱誠に称揚し、自ら陛下の万歳を三唱せり、一行は此に異数の光栄に対し、非常の満足を表せり。」
タフト大統領は、この時の演説の中で、過去に6回も日本を訪問し、天皇陛下にもお会いしたことがあると次のように語っています。
「最近数年間において6・7回日本を訪問しその驚くべき国民の歓待を受けたることは、予の顧みて幸福とする所なり、一回たりとも日本を訪問したるものは深き印象を抱かずして日本を去る能はず、而(しか)して予の如きは6回も訪問し、ことにそのうちの2回もしくは3回は日本皇帝及び国民の賓客として待遇せられたる者の抱く印象の如何(いか)なるべきやは、諸君の想見(そうけん:思いうかべること)し能(あた)う所なるべしと信ず。」
タフト大統領は、こうした経験があるため、万歳三唱が自然と出たのでしょう。
また、「青天を衝け」で、タフト大統領が「ピースフルウォー」と言って、栄一が顔をしかめていましたが、タフト大統領の演説の内容を見ると「日本が今従事せる所の者は最早(もはや)兵馬の戦争にあらず、日本国民は今や平和の戦争に向って用意せり、而(しか)して吾人(われら)米国民は日本がこの平和の競争においてもまた成功せんことを信ず。」という部分があります。
この中に「平和の戦争」(赤字部分)という部分がありますので、「青天を衝け」は、これに基づいて描いたのでしょう。
栄一が発明王エジソンを訪問したことは有名です。「青天を衝け」でもエジソン電気会社の写真が描かれていましたが、栄一がエジソンを訪ねたのは、この渡米実業団の時のことです。栄一に同行した増田明六がデジタル版『渋沢栄一伝記資料』収録の「「竜門雑誌第270号」の「青淵先生米国紀行(続)」の中で次のように書いています。
「10月27日水曜日(晴)
午前9時ニユーワークに到着、(中略)午後3時エーグル・ロツク公園を過ぎて、有名なるエジソン電気会社を訪う、71歳のエジソン氏は、耳こそ少し遠けれども、温厚なる君子然たる風貌(ふうぼう)をもって、令夫人および同社重役とともに一行を迎へ、先頭の青淵先生まず握手挨拶を為(な)し、引続き一同握手を交換してうちに入りしが、エジソン氏の請(こい)によりて、一行と同社重役とともに記念撮影をなし、おわりて別室における最新式の明瞭なる活動写真を観覧し、なおエジソン氏の発明にかかる6時間にて建造すといえるコンクリート製家屋を見る。この家型は鉄製にして価格10万円なるも、これによりて作りたる家屋一個の原価は2400円なりという。この型の家屋は主として中等生活をなすものの需用に充つるものなりとの事なり、なお諸作業場を案内せらるるはずなりしが、汽車の発車時刻に近寄りしをもって急ぎ停車場に到りたり」
ニューワークは現在はニューアークと表記されますが、ニュージャージー州北東部にあり、ニューヨークから西に約13kmのところにある都市です。
この増田明六の文を読むと「青天を衝け」で紹介された一行の記念写真は、どうもエジソンが言い出して撮影したものが元になっているようです。栄一たちは、ここで、最新式の活動写真を見たあとコンクリート製の家屋も見ています。
最後に、一つ追加です。
「青天を衝け」で、タフト大統領が兼子夫人たちを見て、「なぜ日本ではチャーミングな女性を内に閉じ込めているのか?これからはどんどん表にでていただきたい」と語っていました。
これも「実業之日本第12巻第23号」の「渡米団は大統領と如斯趣味ある談話を交換せり」という記事の中に次のような部分に基づくものだと思います。
「大統頭は渋沢男夫人に向ひ、極めて愛嬌に富める挨拶を為(な)したり。
タフト大統領『ようこそお出で下さいました。日本ではなぜ、貴女の如き優婉(ゆうえん)な、かつ、チャーミングな貴婦人を外へ出さないで、内へ閉じ込めて置て、男子のみ外へ出るのでしょうか、私は貴国の習慣を知らないけれども、これははなはだ不公平であると思う。どうぞ今後は日本貴婦人の多く来遊せられんことを望む』お世辞としては、是以上のものはないであろう。」

