栄一、中国の水害を支援する(「青天を衝け」230)
「青天を衝け」最終回は、すべて印象的でしたが、とりわけラジオを通じて中華民国の洪水に対する義援金を呼びかける姿、そしてその内容は感動的でした。
昭和6年、中華民国の水害は非常に広汎にわたり史上最悪の洪水とも呼ばれています。被害が最も激しいのは揚子江沿岸の湖北・湖南・江西・安徽・江蘇の五省で、その面積は凡そ日本本土の広さとほぼ同じで、罹災者の数は少なくとも一千万人に達したと言われています。
中華民国の水害に対して、政府は、8月25日、財界有力団体、新聞、通信社等を集め、救援会を発足するよう働きかけ、その名称を「中華民国水災同情会」とし渋沢栄一を会長、委員長には日本商工会議所会頭の郷誠之助がなり、事務所を日本商工会議所に置く事に決定しました。下写真は渋沢栄一史料館の展示です。

その後、義援金の募集を進めましたが、より一層多くの義援金募集のため、9月6日、飛鳥山邸にラジオ設備を持ち込んで、栄一が直接国民に語りかけました。
この時の様子が、デジタル版『渋沢栄一伝記資料』収録の昭和6年9月7日付けの「中外商業新報」に次のように書かかれています。「青天を衝け」での場面も、この新聞のようだったと思います。
「中華民国の水災救援のために出来た水災同情会長たる子爵渋沢栄一氏は、6日午後6時半から病躯を押して、92才の高齢をもつてマイクロフオンの前に立ち、隣邦災害の救援のために感銘深い一場の講演を行った、その日AKでは老子爵の義心に感じて特に早朝から技術者を派して、マイクロフオンを子爵私邸の応接室に移動するという放送局始めて以来の特例を作った、久し振りで病室を出た老子爵は風呂に入りサッパリとした気分で応接間に現れ、マイク前の安楽椅子につくり定刻6時30分スイッチを入れ松田アナウンサーの「子爵渋沢栄一氏を御紹介いたします」と緊張した紹介が終るとすぐ「只今御紹介を受けました渋沢栄一であります……」と九十二翁の日本最初の高齢者の声が力強くマイクの中に吸はれて行く、同時刻スピーカーの前に立てば病後92歳の老齢とはみえぬ力強い声が響いて来る。(後略)
この時、栄一が語った演説の原稿(デジタル版『渋沢栄一伝記資料』収録)は次のようになっています。
「中華民国に於ける今回の水災に就きましては、さきに自分の仲間の者が発起となり中華民国水災同情会を組織して、広く全国的に義捐金を募集中でありまして、すでに義捐金の一部を以って近く必要なる物資を満載して、船を一隻仕立てて罹災地に送ることとなり、同時に慰問の使節を派遣することにそれぞれ準備中であります。
自分は同情会の会長に推されましたが、老衰しておる上に近頃は時々発熱して病床に就いております次第で、かかる事柄には率先して賛同することは勿論でありますが、老衰の身で会長の職責を尽くすことが出来ないのを非常に遺憾と思っております。ことに今日は放送局より自宅に設備を装置して頂いて、御好意を深く感謝しております、今回の中華民国における水災はその範囲非常に広汎に亘り、その内最も被害の甚(はなはだ)しいのは揚子江沿岸の湖北・湖南・江西・安徽・江蘇の五省で、その面積はおよそ我が日本本土の広さに等しく、罹災者の数は少くも一千万人に達しておるとの事であります。(中略)
先年の関東大震災に対して民国より多大の同情を我が国に寄せられ、当時金品にて約二百五十余万円の贈与を受けたとの事であります。当時これだけの同情を寄せられたからという訳ではありませんが、かかる隣国の厄災に対して同情を表し慰問することは、人情としてまた人道の上からは申す迄もない事であり、況(いわ)んや民国と吾が国との関係から申しても蓋(けだ)し当然の事と思います。他より恩誼を受けて知らぬ顔をしているという事は人道上からも許すこと出来ないのであります。」
「青天を衝け」でも栄一の演説の前半部分は、ほぼこれに沿ったものだったと思います。
「青天を衝け」では、栄一の演説はさらに続きます。演説の後半の「大丈夫。大丈夫だい。私が言いたいことはちっとも難しいことではありません。手を取り合いましょう。困っている人がいれば助け合いましょう。人は人を思いやる心を。誰かが苦しめば胸が痛み、誰かが救われれば温かくなる心を当たりまえに持っている。助け合うんだ。仲よくすんべぇ。(そうでないと父っさまや母っさまにしかられる。)みんなで手を取り合いましょう。みんながうれしいのが一番なんだで。」の部分は、番組の創作だと思いますが、創作のすばらしさに感動しました。実は、この記事を書くために、録画してあるものをもう一度見ましたが、改め感動しました。
この栄一の演説には、多くの国民が感激したそうです。そうした感激した国民が多くの寄付を寄せたことがデジタル版『渋沢栄一伝記資料』収録の「中外商業新報 昭和6年9月11日」に載っています。
「9日から10日にかけて中華民国水災同情会に宛て、左の義捐金申込があつた
金一万円 日本郵船会社 近海郵船会社
金五千円 男爵古川虎之助 金一千円 野田醤油茂木一家
金一千円 清水組清水釘吉 金五百円 田中銀之助
これ等連日大口の寄附金申込の外に、あどけない小学児童や小家庭の主婦さんたちから五十銭・一円といふ零細な義捐に涙ぐましい手紙を添へて送り届て来るが、10日朝届いた次の二通の如き同情会事務所の連中もホロリとさせられた
〇妾(わたし)はまことに賤しい一職人の妻でございまして、渋沢様などに申上るのは畏(おそれ)多いことでございますが、先夜のラヂオで支那水害の話を細かに承り一言一句胸を打ち、いつの間にか涙が出てをるのを子供に見られ『お母ちやん何故泣くの』と問はれて面喰ひましたが、あのお話を聴いてどうして泣かずにいられましょう、何処かへ仲間に入れて頂き心ばかりのことを致したいと心待ちしていましたが、何処からも何のお話もなく、こんな時こそ町会や青年会の方々が先に立って御心配下さったらと思いました、新聞紙上で同情会といふものを知り、その会長様がかねてお徳の高い子爵様と承知致しまして失礼ながら一寸私の心持だけを申上げ、ほんのわづかばかりでお恥かしい次第でございますが、貧者の一灯としてお納め下さいませ。 巣鴨堀の内一女(後略)」
こうした集められた多額の寄付金ですが、「青天を衝け」のナレーションがあったように、満州事変勃発のため、中華民国側により受け取りを拒否されてしまいました。

