栄一の永眠に対し勅使が遣わされる(「青天を衝け」234)
今日は仕事初めです。多くの会社・役所で通常の生活が始まります。そこで、このブログも、通常の記事に戻りたいと思います。
昨年末には、栄一が永眠したところまで書きました。そこで、今日からは、その後の動きを書きたいと思います。今日は、栄一の死を悼んで勅使が遣わされたことについて書きます。
栄一が亡くなったことが昭和天皇の耳に届き、昭和6年11月11日の午前中に宮内大臣一木喜徳郎から渋沢敬三宛に、弔問のため、午後2時30分に勅使、2時40分に皇后宮使、2時50分に皇太后宮使を差遣(さしつか)わす旨の通知が届きました。
そして、11日午後2時30分勅使本多侍従、40分皇后宮御使野口事務官、50分皇太后宮御使西邑事務官が來邸し、弔問の御言葉を賜りました。
特に、皇太后陛下(大正天皇の皇后である貞明皇后)からは「慈恵会や東京市養育院に対する渋沢の心尽しを大変喜んで居た。また癩患者の救恤については色々と心配して居たが、この時に際し渋沢を亡(うし)ったことは返す返すも惜しいことである。」との御言葉がありました。また、皇太后陛下より御料理50人前の御下賜がありました。
さらに、13日には、勅使、皇后宮使、皇太后宮使をそれぞれ11月14日午前中に飛鳥山邸へ、さらに葬儀が挙行される11月15日にも青山斎場へ差し遣わす旨の通知がありました。
そして、11月14日午前10時に勅使等が飛鳥山邸に來邸しました。
勅使は侍従子爵本多猶一郎で「御沙汰(ごさた)」とともに祭資・幣帛・供物・花を賜ったあと焼香しました。10時20分皇后宮使皇后宮事務官野口明が花を賜ったのち焼香しました。さらに10時30分皇太后宮使皇太后宮事務官西邑清が祭資・花を賜って焼香しました。
この「御沙汰」を受け取った渋沢敬三は、勅使が帰えられた後、列席者一同の前で「御沙汰」を読み上げたと「父渋沢敬三」(渋沢雅英著)の中に次のように書かれています。
「勅使が帰られると、前列の最右翼に立っていた父が、 つかっかと出ていって勅使が置いていかれた巻物を開き、音吐朗朗と読み始めた。(「御沙汰」は後記)
何が書いてあるのか事前にはまったくわからず、父はじつに困りきったが 思いきって、ぶっつけ本番朗読したという。グセンというところをグタンと読み違えたが、それでも列席の人は感泣したという。」
勅使から賜った「御沙汰」は次の通りです。ただし、原文はカタカナ交じりですが、ここではひらがな交じり文に変えてフリガナをふってあります。
『高く志して朝(ちょう)に立ち遠く慮(おもんぱか)りて野(や)に下(くだ)り、経済には規画(きかく)最も先んじ社会には施設極めて多く、教化の振興に資し、国際の親善に務(つと)む畢生(ひっせい)公に奉じ一貫誠を推(お)す、洵(まこと)に経済界の泰斗(たいと)にして、朝野の重望を負い、実に社会人の儀型(ぎけい)にして、内外の具瞻(ぐせん)に膺(あた)れり。遽(にわ)かに溘亡(こうぼう)を聞く。焉(いづくん)ぞ軫悼(しんとう)に勝(た)へん。宜(よろし)く使を遣わしふて賻(ふ)ら賜い、以て弔慰すべし。右御沙汰あらせらる。』
さすが天皇陛下からの「御沙汰」ですので、語句はなかなか難解です。しかし、文章は格調高いように思います。
「御沙汰」の中の難解な語句の意味は後記に注意書きしましたが、私なりに「御沙汰」を読み解いてみます。
「高い志をもって政府に仕官したものの、遠大な考えをもって実業界に進み、経済の分野においては他に先んじて企画し、社会公益分野では関わった施設が非常に多く、人々を教え導きことを援助し、国際親善に努力してきた。一生涯公益に奉公し、一貫して誠を貫きとおした。真に経済界の権威で、天下の大きな期待を担い、まさに社会人の模範であり、内外の人々が仰ぎ見る存在である。急に逝去されたと聞き大変悲しく思う。ここに勅使を遣わし遺族に贈物を賜い弔意を表す。」
簡潔ですが、渋沢栄一の生涯の功績を寸分違わず言い切った名文だと思います。さすが「御沙汰」です。この「御沙汰」を聞いて人々が感泣したのも当然だと思います。
《1月4日午後8時追記》
渋沢秀雄の「父渋沢栄一」の中には、次のように書かれています。
「柩の前でうやうやしく拝読する喪主敬三の声が、水を打ったようにシンとした一座を流れる。とその一隅に抑制の堰(せき)を切って落としたような、激しい嗚咽がおこった。佐々木勇之助氏や石井健吾氏などの声だった。第一銀行を中心として、父と60年の風雪を共にしてこられた両氏は、この優渥(ゆうあく)な御諚(ごじよう)に、文字通りか感泣せずにはいられなかったのである。まことに「御沙汰書」は父の標高を抽象化した名文であった。」※佐々木勇之介は第一銀行会長、石井健吾は第一銀行頭取です。
11月15日の葬儀にも、予定されていた午前10時勅使本田侍従が到着し一同が起立敬礼している間を進み焼香、午前10時5分、皇后宮御使野口事務官が到着し焼香、そして午前10時10分、皇太后宮御使西邑事務官が到着し焼香がありました。
栄一の永眠に対して、皇室から篤い弔意が表されたことは、皇室からも篤く信頼されていたことを示していると思います。さすが渋沢栄一と感じないわけにはいきません。
《「御沙汰」の難解語句読み解き》
規画(きかく):企てる意味
畢生(ひっせい):一生涯
推す(おす):さらに突き詰めて考える
泰斗(たいと):ある分野における権威者
重望(じゅうぼう):高い名声,大きな期待.
儀型(ぎけい):模範
具瞻(ぐせん):仰ぎ見ること
溘亡(こうぼう):にわかになくなること
軫悼(しんとう):ひどくなげきかなしむこと
賻(ふ):遺族に贈る金品