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渋沢栄一の兜町邸跡①(渋沢栄一ゆかりの地32)

渋沢栄一の兜町邸跡①(渋沢栄一ゆかりの地32

みずほ銀行兜町支店から北方向に数分歩くと日証館(下写真)があります。ここが渋沢栄一の兜町邸の跡です。

渋沢栄一の兜町邸跡①(渋沢栄一ゆかりの地32)_c0187004_22255643.jpg

兜町に住まいを構えたのは明治6年からで、それまでは神田裏神保町に住んでいました。

 渋沢栄一は、大蔵省に出仕した際には、湯島に自宅を構えました。そして、しばらくすると湯島から大蔵省までは少し距離があるということから、明治412月裏神保町(現在、三省堂書店がある場所周辺が裏神保町でした。現在は神保町一丁目)に転居しました。

渋沢栄一の長女穂積歌子が母千代の思い出を書いた「ははその落葉」には次のように書かれています。

「明治5年の春。湯島なる家は官へ出ますにも路の程遠ければとて北神保町に移り住み給う。此頃ようよう女子教育の道ひらけて。雉子橋内にはじめて女学校を設けられければ、母君にはやがてわらはをそこにのぼらしめ。日々通わしめ給いけり。」

 また栄一自身も、デジタル版『渋沢栄一伝記資料』収録の「雨夜譚会談話筆記 下巻」で東京での住居について次のように語っています。

「○上略

敬三(栄一の孫渋沢敬三のこと)『東京におけるお住居の移った順序を覚えて居られますか』

先生(栄一のこと)『(中略)東京へ出て最初は湯島の天神下に一寸居って、それから裏神保町へ行った。今何処の辺か全く町の様子が変って見当がつきかねるが、湯島の屋敷は、人が世話してくれた。裏神保町の屋敷は私が自身で買った。駿河の人で鈴木善助という人が荒物屋をやっておったが、この人がいろいろ骨折ってくれた。その次が兜町でここに一寸おって、深川福住町へ行った。そして又兜町へ来て、それから今の処(飛鳥山)になった。』」

 裏神保町の屋敷には、西郷隆盛や三条実美が訪ねてきています。

 デジタル版「実験論語処世談」の「大西郷、私を茅屋に訪はる」に「或る日の夕方、当時私が住居した神田猿楽町の茅屋へ、西郷公が突然ヒヨツコリ訪ねて来られた。」と書いてあります。ここで栄一は「神田猿楽町の茅屋」と書いていますが、これが裏神保町の屋敷です。

 同じくデジタル版「実験論語処世談」の「三条公茅屋を訪はる」に次のように書かれています。

「現に私が、大蔵省に故井上侯の次官の如くになって勤めておった頃の事であるが、三条公は両三度私を神田小川町の茅屋に御訪ね下されたほどである。」

ここでも栄一は神田小川町の茅屋と書いていますが、これも裏神保町の屋敷です。

 この裏神保町の住いがどのようなものであったかについて、デジタル版『渋沢栄一伝記資料』収録の「竜門雑誌 第六四四号」の「明治初期に於ける青淵先生の御住居に就て」(藤木喜久麿)に詳しく書かれています。

「三 神田小川町裏神保小路邸

 青淵先生は、前記の通り湯島天神中坂下に丁度2ケ年御住いになられたが、明治412月にこの家を尾高惇忠氏に譲り、神田小川町裏神保小路に移られた。このことは前項湯島邸の際に一寸触れた青淵先生自筆の地所拝借願書草稿(願書略ス)に書かれてあて、土木中属の高津氏の所有する家作を譲受けられ、同人の上地五百坪余を借地されたものであった。これにも別紙絵図面相添とあるが、矢張り絵図面の写しは遺って居ない。そのため中坂下の家と同じく、邸宅のプランについては知ることが出来ないが、後に掲げる地所家屋の譲渡証書写並に地券書替願書草稿に依ると、その地番は第四大区小一区裏神保町一丁目三番地であって、総地坪543坪、建坪118坪7合5勺、畳数は百二十畳あり、外に建坪23坪竪11間半横2間の両脇に長屋のついた表門と、二間半に二間の土蔵一棟があり、井戸が3ケ所もあったことだけは判明している。そして最初は官有地であって、それを拝借されたものであったが、後にこれが払下げとなつたものか、明治6年には青淵先生の所有に移っていることが知られた。

 この邸宅についても幸にして、東京市役所編輯の『東京市史稿・市街篇』の附図に、明治4年の東京大絵図面が復製添附されているので、これを見たところ、青淵先生が買受けられた前居住者である高津氏の姓を発見することが出来た。(伝記資料掲載の地図は略す)註 この絵図では現今の三省堂のある道路にウラヂンボウコウヂと記入されているが、これは誤で、慶応元年出版の江戸切絵図では、この通りは表神保小路であって、その北に併行している現今の電車通りに裏神保小路と明らかに記入されている。

 その位置は図の下部中央に土屋相模守の屋敷がある、その角から真直に九段坂の方に行く道路が裏神保小路であって、この角が岡部日向守の屋敷で、その隣にタカツとあるのが、青淵先生が高津氏から譲受けられた邸宅である。この通りは初め小川町に属して裏神保小路と称していたが、後に小川町から離れて裏神保町となり、又道路が拡張され電車の通ずる様になると、この裏神保町がかえって表通となったため、その町名が不自然だという説が起り、通神保町と改称され、また大震災後の区画整理によって道路は更に取拡げられ、かつ、表神保町及南神保町を合併して神保町と改称されて現在に及んでいる。それでこの邸宅の位置を現在に当てはめて考えると、神保町一丁目七番地の十字屋書店の附近になる。

 この裏神保小路の御住居は明治412月から明治66月迄の1ヶ7ヶ月であって、この邸宅を買受けられる際に、いろいろと周旋した鈴木善助氏にこの地所家屋を譲られて、7月には日本橋兜町へ移られたのであった。」

 この説明によれば、江戸時代から明治の初めには、現在の神保町を通過する主要道路である靖国通りが「裏神保小路」で、靖国通りの南側にあるすずらん小路が「表神保小路」と呼ばれたようです。

 そして、この説明に出て来る「十字屋」と同じ名前の書店が現在も「書店グランデ」近くにあります。おそらく、その周辺に渋沢栄一の屋敷があったのだと思われます。今度、神保町に行く機会があったら、「十字屋」を訪ねてみたいと思います。


 栄一が兜町以前に住んでいた裏神保町についての説明が長くなってしまいました。兜町の栄一の住いについては次回書きます。



by wheatbaku | 2022-02-09 22:20 | 渋沢栄一ゆかりの地

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