前島密、郵便為替と郵便貯金を創業する(前島密⑮)
郵便局(ゆうちょ銀行)で取り扱っている商品は数多くありますが、代表的なものに「郵便為替」と「郵便貯金」があります。
そもそも、「為替」というのは、離れた場所にいる人の間で、現金そのものを輸送することなく、送金することを言いますが、「郵便為替」は、為替証書を利用してお金を送る手段です。現在は、ATMでの振り込みが簡単にできるようになったため、「郵便為替」を利用する人はあまり多くないと思います。
一方、「郵便貯金」は、庶民が少額のお金を預けるものです。
この「郵便為替」と「郵便貯金」を創業したのも前島密です。
イギリスは、郵便為替と郵便貯金を世界で最も早く取り入れていました。
前島密は、渡英した際に、この制度を学び、帰国後、日本でも導入しようと考えました。
そこで、明治5年、郵便為替の規則や施行案を起草し、大蔵省に建議しました。当時、大蔵省を統括していた大蔵大輔省井上馨は、趣旨に賛成はしたものの、為替を取扱うことのできる人員がないという理由で難色を示しました。
ようやく、明治7年9月、郵便為替規則が制定され、明治8年1月2日に郵便為替の取扱いが開始されました。
現在では、現金の振込や送金は、銀行でも行うことができますが、国立銀行条例が公布されたのが明治5年11月で、最初の国立銀行の第一国立銀行が開業したのが明治6年8月1日でした。その後、各地に国立銀行が設立されましたが、国立銀行は、当初、為替は取扱いませんでした。
また、前島密は、イギリスで郵便貯金が国民の生活や国家の発展に大きな役割を果たしているのを見て、わが国でもこれを実施しようと考えました。
郵便貯金の取り扱いが始まったのは、明治8年5月2日からで、東京と横浜で始められました。
自叙伝の中の「郵便貯金開始」と言うタイトルの中で次のように書いています。
「本事業に就きては、我国民中下層に居る者は由来貯蓄心に乏しく、殊に東京人中には宵越の銭を持つは恥なりとすら心得るもの多く、ために貧困に加うるに風紀甚(はなは)だ乱れ、かつ種々の悪弊を生じ、余も大(おおい)にこれを慨(がい)したりしが、これが防止策としては儒学は勿論、仏教を以て教誨(きょうかい)するもその効極めて薄ければ、むしろ恒産ある者は恒心ありとの格言の如く、経済上の慣習に依り、貯蓄心を養成せしむるの優れるに如かずと信じ居たるに、その後英国に渡りて郵便貯金の状況を観れば、能(よ)実績を挙げ、細民の好風紀を奨励すると同時に、その貯蓄の聚(しゅう)合金は、あるいは国債償還、あるいは国家有益の事業に融通し、以て国家経済の大資となしつつあり。これにおいて余は大に啓発せられ、帰朝の上は本邦にも速(すみやか)にこれを実施すべしと、明治6年に施行規則を立案せるも、 これらの業務を能(よ)く弁ずべき計算家少く、これを養成する等の故を以て、漸(ようや)く本年(明治8年)に及んで開始するの機会に達せしなり。(後略)」
現在では、お金を預けるところと言えば、銀行が代表的ですが、銀行は、明治6年に第一国立銀行が創設されたばかりで、銀行が庶民のお金を預るという事務は行っていませんでした。したがってお金を預けることができたのは、「郵便貯金」だけでした。
なお、当時の国民には、お金を預けるという習慣がなかったため、最初のうちは、実際に貯金をする者は、非常に少なかったため、前島密はだいぶ苦労したようです。自叙伝には次のように書かれています。
「やむ事を得ずして、私金を散じ、(駅逓)寮内の集配人を始め、自家出入の職人細商にこれを与え、郵便貯金となすの方法を行いたる事もありたり。」

