軍港都市横須賀の歴史(横須賀軍港ものがたり②)
横須賀は、旧海軍と深い関係があり、軍港都市とよばれます。一般的に軍港都市とは、海軍の鎮守府が設置された都市をいい、横須賀、佐世保、呉、舞鶴の四市が軍港都市と呼ばれています。
横須賀市役所のホームページには、旧軍港四市と言う言葉がしばしば出てきます。そして、横須賀市は他の市と一緒に旧軍港四市として活動をしているようです。その代表的な事柄が旧軍港四市が日本遺産に認定されたことでしょう。横須賀市は、他の旧軍港都市(呉市・佐世保市・舞鶴市)と一緒に日本遺産の共同申請を行い、平成28年に日本遺産に認定されています。
ちなみに「日本遺産認定横須賀市の構成文化財一覧」をご参考にリンクしておきます。
下写真は日本遺産認定横須賀市の構成文化財の一つである「逸見波止場衛門」です。ベルニー公園の中に残されています。
横須賀が海軍と深い関係をもつきっかけは横須賀製鉄所が建設されたことです。横須賀製鉄所は「、慶応元年(1865)11月15日、起工式が行われ、明治4年(1871)に第1号ドックが完成しました。そして、横須賀製鉄所という名称も、明治4年に横須賀造船所と改められました。
その後、明治17年に横須賀に海軍鎮守府が置かれました。横須賀は旧軍港四都市の中で最も早く鎮守府が設置されています。
鎮守府は、旧海軍の機関で、艦船の管理、海上防衛を担っていました。その前身は、明治4年に兵部省内に設置された海軍提督府です。明治8年、東海鎮守府がまず横浜に仮設され,明治17年には横須賀に移転されて、名称も横須賀鎮守府となりました。そして、横須賀鎮守府は、横須賀造船所も管轄下におきました。
その後、鎮守府は、横須賀のほかに,明治22年に呉と佐世保に,明治34年に舞鶴に設置されています。
明治36年、横須賀造船所は、海軍が直轄管理する横須賀海軍工廠となりました。
第二次世界大戦での日本の敗戦により昭和20年9月に横須賀海軍基地はアメリカ海軍に接収され、それ以降現在まで、アメリカ海軍横須賀基地として使用されています。
一方、昭和27年に海上警備隊が設置され、昭和29年には海上自衛隊となり、横須賀が拠点の一つとなりました。海上自衛隊の基地は、横須賀のほか、呉、佐世保、舞鶴、大湊(むつ市)にあります。