横須賀製鉄所で最初にヴェルニーが造ったドックは明4年に完成した日本最古の石造りドックで現在もアメリカ海軍と海上自衛隊の修理施設として現役として使用されています。下写真は、ヴェルニー公園から見える一号ドックです。赤くマークしてある部分が一号ドックです。
ドックは日本語では、船渠(せんきょ)とも呼ばれていて、ヴェルニーが最初に造ったドックを第一号船渠(ドック)と表記しているものもありますが、このブログでは、ドックと書いていきます。
ドックは、船を建造または修理するための施設ですが、ドックの種類には、①乾ドック(ドライドック)、②浮ドックなどがあります。横須賀製鉄所の一号ドックは、乾ドック(ドライドック)です。
① 乾ドック(ドライドック)は、海とつながる陸地にコンクリートまたは石で堀割を築き、海側に水門を設けたもので、船を入れた後、ドック内の水を排出して船体全部を露出させ、喫水線(きっすいせん)より下の部分の作業を行うことができます。
下写真は、ヴェルニー公園内のティボディエ邸で配布されていた第一号ドックの写真ですが、これを見ると乾ドック(ドライドック)の構造がよくわかります。
②浮ドックは、海上で船を載せてから排水して浮かび上がり、船の修理を行います。浮ドックは、鋼製の凹形の箱型の施設の容器で、ドック自身が浮沈の機能をもち、ドックを沈めて船を引入れたあと、ドックを浮揚させて船を水面上に露出させて、作業を行います。
ドライドックへ船を入れるには次のような段階で船を入れます。
①ドックの入口にある水門は、専門用語で「扉船(とせん)」と呼ばれています。ドックに船を入れる場合は、まずドックに注水します。
②ドックに水が注がれると扉船にかかっていた水圧がなくなり、容易に移動できるようになります。そこで、扉船を移動させて、船をドック内に入れます。
③船がドック内に入ると、再び扉船をドック入口に移動して沈めて入口をふさぎます。
④強力なポンプで、ドック内の水を排出する、するとドック内の水がしだいに減って水面がさがり、船底がドックの底に着きます。
⑤船が固定された後、艦船の修理や掃除を行います。
ただ、船体を掃除する際には、ドック内の水を排出するにしたがって、船体の水面下の部分が徐々に表れるので、水面に小舟を浮かべて上から下に作業をおこなっていくこともあるようです。
第一号ドックはヴェルニーが設計をしました。伊豆半島産の小松石を利用した石造りで、長さ122.5 メートル(のちに拡張され137.0メートル)、幅25.0メートル、深さ8.4メートルあります。
フランス公使ロッシュと幕府との約束では、ドックは二基でしたが、その後、さらに追加され、三基造ることになりました。追加で造られたドックは、順番から言えば三号ドックですが、一号ドックのすぐ隣に新しく造られたため、二号ドックと呼ばれています。当初二号ドックと呼ばれれていたドックは三号ドックと呼ばれました。
二号ドックは、長さ156.5メートル、幅28.78メートル、深さ10.25メートル
三号ドックは長さ96.3メートル、幅13.8メートル、深さ6.9メートルです。
下写真はヴェルニー公園の説明板です。右から順に一号ドック、二号ドック、三号ドックと並んでいます。三基とも現役で利用されています。
第一号ドックは慶応3年3月に起工しました。そして最初の計画主である徳川幕府の崩壊という危機があったものの、明治政府がそれを引き継ぎ、明治3年12月に竣工しました。完成まで、約4年がかかりました。下写真は、ヴェルニー記念館の掲示されていた建設中の第一号ドックの写真です。
第一号ドックの完成を記念したドックの開業式は、明治4年2月7日に行われる予定でした。しかし、当日はあいにくの暴風雨となり、翌8日に延期されました。8日は天候も回復し、兵部経有栖川宮熾仁親王、大蔵卿伊達宗城、参議大隈重信等が参列し盛大に行われました。
開業式から9か月後の明治4年11月21日には、明治天皇が横須賀造船所へ行幸され、22日に第一号ドックを天覧されました。
第一号ドック、第二号ドック、第三号ドックは、それぞれ軍港めぐりでも見ることができます。下写真は、軍港めぐりの遊覧船から見た第二号ドックと第三号ドックです。右側の赤くマークした部分が第二号ドック、左が第三号ドックです。