東郷平八郎、小栗上野介の遺族に感謝の気持ちを伝える(横須賀軍港ものがたり⑫)
記念艦「三笠」には、前回紹介した遺品以外の東郷平八郎の遺品が数多く残されています。下写真は東郷平八郎の写真です。(「国立国会図書館」所蔵)

この写真に写っているものと同じものか確認できませんが、記念艦「三笠」にも正装と靴が展示されています。下写真が正装と靴です。


司馬遼太郎は「坂の上の雲」で日露戦争のことを丁寧かつ劇的に描いていますが、その司馬遼太郎が「街道をゆく 三浦半島記」の中で記念艦「三笠」についても書いていて、艦橋に上った感想を次のように書ています。
「艦上にのぼってみた。
さらに司令塔上にのぼると、高所恐怖をおぼえた。
吹きさらしの床一枚の構造で、敵弾が海中に落ちてあがるしぶきを頭から浴びる場所である。海戦中、東郷はここで立ちっぱなしであった。海戦が終わってかれが降りたあと、靴の裏のあとだけが白く乾いて残っていたという。」
下写真は、艦橋上の東郷平八郎、加藤友三郎(連合艦隊参謀長)、伊地知彦次郎(三笠艦長)、秋山真之(連合艦隊参謀)の立ち位置です。ここに司馬遼太郎も立ったのですね。

艦橋に上った感想に続けて、、司馬遼太郎は、次のように東郷平八郎が小栗上野介の遺族にお礼を言ったことについても書いています。
「東郷という人は、物事に入念な人だった。
戦後、小栗上野介の遺族を家にまねき、
『小栗さんが、横須賀の工場を造って下さったおかげです』
と、鄭重(ていちょう)に礼をいったという。
ついでながら、小栗は、新政府軍に殺された。そのことの陳謝も、あるいはふくまれていたかもしれない。
むろん、東郷は、陳謝する立場ではなかった。しかし小栗が殺されたとし、東郷は薩摩藩の軍艦の若い士官だった。
ことばに出さなかったにせよ、 つよい感懐(かんかい:感想、感慨と同意語)があったはずである。」
東郷平八郎が小栗上野介の遺族に対して謝恩の辞を述べたことは「小栗上野介のすべて」の中に詳しく書かれています。それを参考に東郷平八郎の謝恩の経緯を書いてみます。

東郷平八郎は、日露戦争が終結した7年後の明治45年夏、小栗上野介の遺族を自宅に招きました。
この時、小栗上野介の遺児国子は、自宅に残り、小栗貞雄(国子の夫)と小栗又一(国子と貞雄の子供つまり小栗上野介の孫)が、東郷元帥邸を訪問しました。
二人を迎えた東郷平八郎は、二人に上座をすすめた後、「日本海海戦で完全な勝利を得ることができたのは、小栗上野介さんが横須賀造船所を作っておいてくれたおかげです」とお礼の言葉を述べました。
その後、ご馳走でもてなしたあと、その日の記念として自分の書を贈りたいと申し出ました。
この申出を受けた小栗貞雄は、「自分は婿として小栗家に入ったので、小栗上野介の血はつながっていません。息子の又一は小栗上野介の血を引いた孫です。
そこで、「為書(ためがき)は息子の又一の名前にしていただきたい」と申し出ました。※為書とは「書画の落款(らっかん)に、だれのために、また、何のために書いたかを付記した言葉」です。
小栗家の中興の祖小栗忠政は、数々の武勲を立てて、「又、一番槍は小栗」といわれ、徳川家康から「又一」という名を拝領しました。それ以来、小栗家当主は代々又一を名乗っていました。そのため小栗上野介も又一を通称としていました。その名前を孫の又一も継承していました。
東郷平八郎は、小栗貞雄の申し出を了解し、その後、小栗家に届けられた「仁義禮智信」と書かれた書には「為小栗又一君」と書かれていました。
この東郷平八郎が書いた書は、現在は小栗上野介のお墓がある高崎市東禅寺の本堂に掲示されています。平成9年に小栗上野介の曾孫小栗忠人氏から東善寺へ寄進されたものだそうです。(下写真)

数年前に東禅寺を訪れて東郷平八郎が書いた書を見させていただきましたが、確かに為書は「為小栗又一君」と書かれていました。
為書に書かれた「小栗又一」には、小栗上野介の孫の「又一」のほか、小栗上野介自身も含まれたものと考えると、東郷平八郎も小栗上野介本人にも謝礼の言葉を述べた気持ちになったのではないでしょうか。
現在、横須賀市には小栗上野介の胸像も設置されていますし、毎年「ヴェルニー・小栗祭式典」が開催されていて、小栗上野介の功績をたたえています。
しかし、明治初年には、小栗上野介は逆賊という認識であって、横須賀製鉄所を造ってくれた恩人という考えは全くなかったものと思われます。
その認識を変えたのは、東郷平八郎が小栗上野介に対して感謝の気持ちを抱いていたことが関係者に広まったためではないかと私は考えています。
東郷平八郎といえば日本海海戦に勝利したことから、日露戦争の英雄として世界に名をとどろかせ、明治後半から戦前にかけては「神様」と崇(あが)められた人物です。その「神様」が小栗上野介を称えているということが小栗上野介の再評価につながったのだろうと思います。

