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小栗上野介は「明治の父」・「幕末三傑」(横須賀軍港ものがたり⑬)

小栗上野介は「明治の父」・「幕末三傑」(横須賀軍港ものがたり⑬)


 司馬遼太郎は、「明治という国家」の中で、小栗上野介は「明治の父」(正しくは「明治の父の一人」、もう一人は勝海舟)と言っています。

小栗上野介は「明治の父」・「幕末三傑」(横須賀軍港ものがたり⑬)_c0187004_15364488.jpg

 そして、なぜ「明治の父」なのかということについて、次のように書いています。

「(前略)

『あのドックが出来あがった上は、たとえ幕府が亡んでも “土蔵付き売家という名誉をのこすでしよう。』

小栗はもはや幕府が亡びてゆくのを、全身で悟っています。貧の極で幕府が亡んでも、あばらやが倒壊したのではない、おなじ売家でも、あのドックのおかげで、"土蔵つき“という豪華な一項がつけ加えられる、幕府にとってせめてもの名誉じゃないか、ということなんです。

小栗は、つぎの時代の日本にこの土蔵が~横須賀ドックが~大きく役立つことを知っていたし、願ってもいたのです。

「明治の父」

であるという言い方は、ここにおいて鮮やかに納得できると思います。このドックは、明治国家の海軍工廠になり、造船技術を生みだす唯一の母胎になりました。

 このように司馬遼太郎は小栗上野介を高く評価していました。


それでは、小栗上野介と同時代に生きた人たちがどう評価していたのでしょうか。そこで、小栗上野介と同時代に生きた二人の人物の小栗上野介評を紹介します。


 まず一人目は、福地源一郎(桜痴)です。

福地源一郎は、文久元年(1861)と慶応元年(1865)に幕府使節の一員として渡欧を体験し、明治3年、大蔵省に出仕し,翌年より岩倉遣外使節に随行しました。その後、退官し『東京日日新聞』主筆となり活躍しました。

 福地源一郎は、小栗上野介を「幕末三傑」の一人として高く評価しています。

 福地源一郎は「幕末政治家」の中で次のように、水野筑後守忠徳、岩瀬肥後守忠震、小栗上野介忠順が三傑であると書いています。

小栗上野介は「明治の父」・「幕末三傑」(横須賀軍港ものがたり⑬)_c0187004_15364421.jpg

「(前略)水野筑後守、岩瀬肥後守、小栗上野介の三人は、特に一際(ひときわ)勝(すぐ)れたる人物にて、名(づ?)けて幕末の三傑と云わんも、敢(あえ)て過称にはあらざるが如し。是は余が一個の私評のみにあらず、栗本鋤雲、朝比奈閑水の諸老も、また常に此言を為せるにて、之を知るに足るべきなり。」


 そして、小栗上野介は、幕府の財政が厳しい中でもなんとかやりくりしており、幕府が命脈を数年間保つことができたのは小栗上野介の力によるものだと次のように書いています。

「小栗が財政外交の要地に立ちし頃は、幕府已(すで)に衰亡に瀕して、大勢方(まさ)に傾ける際なれば十百の小栗ありと雖(いえど)もまた奈何(いかん)ともなすべからざる時勢なりけり。しかれども小栗はあえて不可(インポシブル)的の詞を吐(はき)たる事なく、「病の癒(い)ゆべからざるを知りて薬せざるは孝子の所為(しょい)にあらず、国亡び身斃(たお)るる迄は公事に鞅掌(おうしょう)するこそ真の武士なれ、と云いて屈せず撓(う)まず、身を艱難(かんなん)の間に置き、幕府の維持をもって進みて己(おの)れが負担となせり。少(すくな)くも幕末数年間の命脈を繋(つな)ぎ得たるは、小栗が与(あずか)りて力ある所なり。」


 また、旧幕臣田辺太一も「幕末外交談」の中で小栗上野介について語っています。

小栗上野介は「明治の父」・「幕末三傑」(横須賀軍港ものがたり⑬)_c0187004_15364307.jpg

 田辺太一は、文久3(1863)慶応3年(1867)と2度にわたり渡欧して、フランスから帰国後、徳川家の静岡移住に従い沼津兵学校教授となったのち、明治3年明治新政府に出仕し翌年岩倉遣外使節団の一員として米欧に渡り、その後も外交官として活躍しました。



 田辺太一は、「幕末外交談」の中の「小栗の献身」のなかで、横須賀造船所を建設することができたのは小栗上野介の尽力によるものであり、この事業を成就させた小栗上野介の胆力と技量は、幕末三傑の名にはじないと次のように語っています。

「東洋無比と称せられて然(しか)るべき船廠(造船所)が、横須賀に建設されるにいたった。これは、小栗上野介がもっばらこの仕事に任じて、その中心的な役割を遂行したからである。

当時の幕府は、両度の将軍上洛の後をうけ、また長州征伐の挙にともない、将軍の上坂があったので、帑蔵(どぞう:金蔵のこと)が尽き、財政の困難がその極に達していた。

小栗は勘定奉行の職にあり、その費用の莫大なのをかまわず、ひたすら尽力して、この一大事業を成就したのであるが、その胆力と伎倆は、実に幕末三傑の名にはじないものといってよかろう。

そもそも、当時起工の初めにあたって、その費用の不足を憂い、あるいは幕府の命運も久しくはなかろうと思って、これを止めた者もあったが、小栗はこれに対して、『たとえ、このまま売り据え(建て売り)という札を張るにしても、せめては土蔵付きとした方がよくはないか』といったというのは、今もなお語り伝えるところである。その心事(しんじ:心中の意味)は、実に同情にあたいする。」


田辺太一は渋沢栄一と一緒にフランスに渡航しており、福地桜痴は明治になって渋沢栄一と親しく付き合っていました。昨年の大河ドラマ「青天を衝け」にも、二人とも登場していました。そこで、渋沢栄一も小栗上野介についてコメントしているか調べてみましたが、特にコメントしたものはみつかりませんでした。






by wheatbaku | 2022-06-03 15:30 | 近代化に貢献した幕臣

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