横浜の老舗料亭「田中屋」(江戸からの老舗)
坂本龍馬の妻の「おりょうさん」は、坂本龍馬が暗殺された後、土佐の坂本家に引き取られましたが、のちにそこを離れ各地を流転した後、晩年は横須賀で過ごしました。
その「おりょうさん」がしばらく仲居として働いていたのが横浜の老舗料亭「田中屋」です。「田中屋」は京急神奈川駅からは徒歩5分ですが、横浜駅西口からでも徒歩8分の距離にあります。
先日、横須賀の「おりょうさん」のお墓をお参りしたあと、この「田中屋」に行ってきました。そこで、今日は「田中屋」のご案内をします。下写真は「田中屋」のエントランスです。
「田中屋」は文久3年(1863)創業ですが、その前身は広重の「東海道五十三次」の「神奈川」に描かれている「さくらや」です。下浮世絵が「神奈川」ですが、右端の道路が東海道で、海側に茶屋が並んでいます。その茶屋の中の坂の頂上から3軒目の茶屋が「さくらや」です。
下画像は頂上付近の茶屋の拡大です。奥から3軒目の茶屋の看板が「さくらや」と書かれています。
「田中屋」は現在も旧東海道に面しています。下写真は旧東海道から写した「田中屋」です。歌川広重の絵で茶屋のある場所は上り坂となっていますが、「田中屋」の前の東海道は、写真のとおり保土ヶ谷方向に向かっての上り坂になっています。
また、広重の浮世絵で描かれている通り、江戸時代は海が茶屋のすぐ裏側まで迫っていました。現在では「田中屋」の裏側は埋め立てられてビルが立ち並んでいますが、下写真のように急斜面となっていて、地形には、江戸時代のなごりが残っています。
「田中屋」は基本的に全席個室とのことで、今回も個室を用意していただきました。(下写真)
お昼の会席料理をいただきましたので順に紹介します。
前菜
お椀(あんぺい)
御造り
焼物(すずきの蕗味噌焼き)
煮物(季節の炊合せ)
御食事・赤だし・香の物
水菓子(白いおしるこ)
料理をいただいている間に、女将さんにご挨拶をいただきました。女将さんは「田中屋」に関する写真をたくさんお持ちいただいて、「田中屋」の歴史について語ってくださいました。非常に気風のよい方でお話が楽しかったです。写真をお願いしたら快諾していただきました。
女将さんのお話では、おりょうさんが「田中屋」で働いたのは、田中屋のすぐそばにアメリカ公使館が置かれた本覚寺があったので、アメリカに渡る準備のためであったと伝わっているそうです。
女将さんにみさせていただいた写真の中に「おりょうさん」が写っている写真がありました。下写真は田中屋で働いていた人たちが慰安旅行に行った際の写真ですが、赤印が「おりょうさん」だと伝わっているそうです。
「田中屋」には、明治初期からの写真が多数残されているそうで、階段にその写真が掲示されています。(下写真)
その中に、「おりょうさん」の写真がありました。
また、昭和の初めのころの「田中屋」の写真もありました。当時は建物が現在よりも大きくてローマ風呂のある割烹旅館として営業していたようです。
おいしい料理と貴重な写真を見させていただき帰る際に玄関で若女将さんにご挨拶をいただきました。
若女将さんも気さくな方で、いろいろお話をさせていただきました。その中で、晝間(ひるま)家は鶴見区の獅子ケ谷の出であるというお話などもありました。
最後に写真をお願いしましたら、「いつもは和服なんですがカフェ風ですみません」と言いながら玄関先にたってくださいました。いや、なかなかカフェ風も素敵だと思います。
実は若女将さんは、2016年5月14日に放送された「ブラタモリ」に出演して、幕末には「田中屋」のすぐ裏手まで海がせまっていたことなどタモリさんに説明しています。
その当時の様子が下記「ブラタモリ 8 横浜 横須賀 会津 会津磐梯山 高尾山」に記されています。