JR王寺駅中央改札口の北側に「洋紙発祥之地」という石碑があります。(下写真の中央の石碑)
この石碑の脇に、日本製紙が設置した「洋紙発祥の碑」の説明板が立てられていて、次のように書かれています。(下写真の左部分)
「日本の洋紙生産は,明治6年 (1873年)ヨーロッパの先進文明を視察して帰国した渋沢栄一が「抄紙会社」を設立し,ここ王子に製紙工場を作ったことから始まりました。
田圃の中,煙を吐くレンガづくりの工場は,当時の錦絵にも描かれ,東京の新名所になりました。その後日本の製紙業に大きな役割を果たしましたが,昭和20年 (1945年),戦災によりその歴史を閉じました。
この碑は,工場創立80周年を記念し,昭和28年,その跡地に建てられたものです。日本製紙株式会社」
石碑そのものには次のように書かれています。
「洋紙発祥之地
此地ハ明治五年十一月渋沢栄一ノ発議ニ因リ創立シタル王子製紙株式会社ガ英国ヨリ機械ヲ輸入シ洋紙業ヲ起セシ発祥ノ地ナリ当時此会社ハ資本金拾五万円ヲ以テ発足シ同九年畏クモ明治天皇英照皇太后昭憲皇太后ノ臨幸ヲ仰ギ奉リ東京新名所トシテ一般ノ縦覧スル所トナレリ 同社ハ昭和二十四年八月苫小牧製紙十條製紙本州製紙ノ三社ニ分割スルニ至ルマデ名実共ニ日本洋紙界ノ中心タリキ茲ニ八十年ノ歴史ヲ記念シテ永ク洋紙業発展ノ一里塚トセン 昭和二十八年十月」
「洋紙発祥の地」碑は以前から建てられていましたが、2021年の大河ドラマ「青天を衝け」が放映されたことから、石碑の裏の壁面に、渋沢栄一の功績を紹介する「洋紙発祥の地」というタイトルが大きく書かれたパネルが設置されました。(下写真)
そのパネルの左手には次のように書かれています。
明治8年(1875)から大正期に王子界隈に出現した製紙関連工場群
「抄紙会社」が開業されると工場が次々と建設され、日本の近代化産業発祥の地となりました。戦後、工場は次々と郊外へ移転し、跡地には団地が建設された地もあります。
豊富な水源石神井川、千川上水が製紙関連工場群を造り、近代化産業に導く
千川上水の水は、音無川(石神井川)に流し入れ、この川から水を引き農業用水としていた地元王子と23か村。抄紙会社工場内と国立印刷局内には石神井川上に掛桶(木桶)で渡して千川上水を工場に引いていました。かつては江戸幕府が滝野川村に反射炉と水車を設置時、石神井川の川幅広げ、川底を下げる堀継ぎ工事が行われていた地域。製紙工場が水路利用するための証書や嘆願書等が多く交わされています。その貴重な資料は紙の博物館に保存されています。
この解説の中に「抄紙会社工場内と国立印刷局内には石神井川上に掛桶(木桶)で渡して千川上水を工場に引いていました。かつては江戸幕府が滝野川村に反射炉と水車を設置時、石神井川の川幅広げ、川底を下げる堀継ぎ工事が行われていた地域。」(上記のピンク部分)と書かれていて、千川上水や幕府が滝野川に反射炉や水車を設置したことの恩恵を利用したと説明されています。
ただ、反射炉の建設や王子分水の開削は小栗上野介の幕閣への上申や作事奉行などへの働きかけにより実現したことです。
そうしたことを考慮すると、私個人としては、「抄紙会社工場内と国立印刷局内には石神井川上に掛桶(木桶)で渡して《小栗上野介の働きかけにより開削された》千川上水を工場に引いていました。かつては江戸幕府が《小栗上野介の上申により》滝野川村に反射炉と水車を設置時、石神井川の川幅広げ、川底を下げる堀継ぎ工事が行われていた地域。」と小栗上野介の功績も併せて明記して紹介して欲しいと感じました。
下地図の中央が「洋紙発祥の地」の石碑です。