「徳川家康 天下への道」(徳川家康ゆかりの地①)
来年の大河ドラマは、徳川家康を主人公とした「どうする家康」です。これに併せて文京学院大学で 「徳川家康 天下への道 ~合戦を通じてみる~」というタイトルでお話をさせていただきます。徳川家康は、数多くの合戦を戦い、最後には天下をとりましたが、多くの合戦の中から、三方ヶ原の戦い、長篠の戦い、小牧・長久手の戦い、関ヶ原の戦い、大阪の陣に焦点をあてながら、徳川家康がいかにして天下をとったかをみていきたいと思っています。
講座の準備のため、先週3日間かけて、愛知県内の徳川家康ゆかりの地を訪ねてきました。今回訪ねた先について、今後、順次詳しくご案内しますが、まず最初に今回の訪問先について概括的に紹介します。
今回、訪ねたテーマは3つあります。一つは「三河一向一揆」、二つ目が「桶狭間の戦い」、三つ目が「長篠の戦い」です。
1,三河三ヶ寺
三河一向一揆は、永禄6年(1563)から7年にかけて,三河国で起こった一向一揆で、徳川家康にとって三大危機の一つに数えられるほど重大な事件です。その中心となった寺院が三河三ヶ寺とよばれる上宮寺(じょうぐうじ)・勝鬘寺(しょうまんじ)・本證寺(ほんしょうじ)です。今回は、この三河三ヶ寺を訪ねてきました。
⑴本證寺
安城市野寺町にあり、現在も土塁や堀の一部が残されていて寺内町の面影が強く残っています。下写真は、寛文3年建立の本堂です。

⑵上宮寺
岡崎市上佐々木町にあります。下写真は現在の本堂ですが、昭和63年に旧本堂が全焼し平成8年に再建されたもので、非常に近代的な本堂でした。

⑶勝鬘寺
JR岡崎駅から近い岡崎市針崎町にあります。下写真は享保19年(1734)に再建された本堂です。

2,桶狭間古戦場
桶狭間の戦いは、言うまでもなく織田信長が今川義元の首をとった戦いです。桶狭間古戦場跡は、名古屋市緑区に「桶狭間古戦場公園」、隣の豊明市に「桶狭間古戦場伝説地」と二つあります。今回は2ヶ所とも訪ねてきました。また、桶狭間の戦いに関連する大高城跡も訪ねてきました。
⑴桶狭間古戦場公園
桶狭間古戦場公園は、名古屋市緑区にあり、今川義元の最期の地と言われています。公園入口には、今川義元と織田信長が並びたつ像が建てられています。右の床几に座った人物が今川義元、左の立っている人物が織田信長です。

⑵桶狭間古戦場伝説地
桶狭間古戦場伝説地は、豊明市にあり、今川義元が本陣を設営し織田信長と戦った激戦地で義元戦死の地と言われています。昭和12年に文化庁が、ここを国指定史跡に指定しました。下写真は桶狭間古戦場伝説地入り口の写真ですが、右手の石柱が「史跡桶狭間古戦場」と刻まれた史跡指定標柱です。

⑶大高城
大高城は、桶狭間の戦いの頃には今川方の城でした。戦いの直前、徳川家康が大高城に兵糧を運び込んだことはよく知られた話です。現在は大高城跡公園として公開されています。下写真は大高城跡入口です。

3,長篠・設楽原古戦場
長篠の戦いも有名な合戦で、武田勝頼と徳川家康・織田信長連合軍が戦い、徳川家康・織田信長連合軍が鉄砲で武田騎馬軍団を撃破したと言われています。今回は長篠城址と設楽原決戦場にある史跡をほぼ網羅してきました。
⑴長篠城址
長篠の戦いは、長篠城の攻防戦から始まっています。その合戦の場となったのが長篠城です。下写真は、長篠城南の牛渕橋から写した長篠城址の写真です。写真の中央が長篠城址ですが、二つ川の合流点の断崖の上に長篠城が築かれていることがわかります。

⑵設楽原決戦場
徳川家康・織田信長連合軍が鉄砲で武田騎馬軍団を撃破した戦いが行われたのは、長篠城の3キロ西にある設楽原でした。ここに織田信長が馬防柵を構築し鉄砲で武田騎馬軍団を迎え撃ちました。現在、馬防柵が復元されています。

⑶火縄銃の演武
長篠城址では、ご案内いただいた長篠城ボランティアガイドの方のご厚意により、火縄銃の演武を拝見することができました。


