本證寺の庫裏〈三河三ヶ寺⑶〉(徳川家康ゆかりの地④)
今日は本證寺の庫裏について書いていきます。
庫裏は、本堂から堀を挟んだ北側に独立してあります。
庫裏には安城市指定文化財である裏門から向かいます。裏門と呼ばれていますが、本堂前の山門と同じように東を向いて建てられています。
裏門は庫裏の正面に建っていて切妻造・本瓦葺の薬医門の形式の門で、18世紀前半頃の建立と考えられています。 間ロ5.2メートル、 奥行2.61メートルあります。
訪問当日は、御住職の自動車で庫裏前まで送っていただいたため、裏門の写真を撮るのを失念してしまいました。そこで、安城市教育委員会から写真を借用しました。

庫裏は文政13年(1830)に再建されたと考えられています。間ロ21.65メートル、奥行16.33メートルの大きな建物です。下写真は裏門前から撮った庫裏です。

庫裏の玄関には「拝観謝絶」という木札が下げられていますが、御住職のご配慮により、内部を見させていただきました。

玄関を入ると、広い土間が目の前に広がります。その上は巨大な梁組となっています。立派な梁に驚きました。(下写真)

中庭には本多正信の供養墓があります。廊下からお参りさせていただきました。本多正信は、一向宗門徒で三河一向一揆の際に本證寺に籠り、徳川家康と対決しました。そして、三河一向一揆で一向宗側が敗北した際、本多正信も追放され、三河を去っています。その後、徳川家への帰参が許され、参謀として徳川家康を助けました。本多正信のお墓は京都の西本願寺にありますが、三河一向一揆の際に本證寺に籠り一揆方に加勢してくれたお礼と尊敬をこめて本證寺に供養墓を残したそうです。

さらに奥にある「雨漏り御殿」と「イブキの木」をご案内いただきました。
親鸞聖人が関東から京都に戻る時に、矢作(岡崎市)の柳堂(やなぎどう)に逗留して説法をした際、慶円も参加し、親鸞を本證寺に案内しまし部屋でしたが、不思議にも親鸞聖人の周辺には雨がかからなかったそうです。そのため、その部屋は雨漏り御殿と呼ばれるようになったそうですが、その部屋が復元されています。(下写真)

その際、親鸞聖人は、泊めてもらったお礼に床の間に生けてあったイブキの枝を部屋の横の庭に挿しました。やがてその木は根を張り葉が広がり現在のように大きくなったということです。そのイブキが雨漏り御殿の脇にあります。(下写真)

このイブキの樹齢は800年だそうです。親鸞聖人が亡くなったのが弘長2年(1262)11月28日ですので、樹齢800年とすると、辻褄があっています。
イブキは、ヒノキ科の常緑高木で本州〜九州の主として太平洋側の海岸地方に分布ししばしば巨樹となります。幹はしばしば強くねじれることが特徴だそうですが、本證寺の幹も強くねじれていて、よく見ると石を巻き込んでいます。(下写真)

庫裏からは全体がわかりませんでしたので、全体がわかる写真を安城市教育委員会から借用しました。下写真がそれです。

「画像提供 安城市教育委員会」

