長篠城本丸跡〈長篠の戦い⑷〉(徳川家康ゆかりの地20)
今日は長篠城の本丸跡を紹介します。
長篠城は、天正3年(1575)の頃は、約10ヘクタールの広さがあり、本丸、帯曲輪、野牛曲輪、巴城曲輪、瓢曲輪、弾正曲輪等に分かれていました。下写真は、長篠城跡の帯曲輪にあった「長篠城概要図」と書かれた長篠城の縄張り図です。

これを見ると、本丸を中心に東に野牛曲輪、北側に帯曲輪があります。帯曲輪は二ノ丸にあたります。本丸の西側には碁石川を挟んで弾正曲輪があります。 そして、帯曲輪の北東側には巴城(はじょう)曲輪、瓢(ふくべ)曲輪があります。
長篠城跡すべてを見る時間がなくて、本丸、帯曲輪程度を見ただけですので、今日は本丸を中心に長篠城跡の様子を紹介します。
長篠城の北側を国道257号線が通っています。その国道沿いには「長篠城」と書かれた看板があります。この看板には鳥居強右衛門が描かれています。長篠城の大手門は城の北西に、搦手門は北東にありました。この看板がある辺りが長篠城の大手口にあたります。看板の右手が国道257号線です。手前の道路が長篠城跡への入り口です。

帯曲輪と本丸との間には内堀があり、その跡が現在も残されています。(下写真、手前の杭には「帯郭跡」と書かれています。)

「史蹟長篠城阯」という史跡標柱は、本丸に入った場所に建てられています。

本丸には土塁が残されています。おそらく堀を掘った土砂で土塁を築いたものでしょう。

本丸は広い広場となっています。本丸には「長篠城本丸跡」と書かれた標柱が建てられています。

本丸の広場の先には、鳥居強右衛門の磔場所を示す案内板が設けられています。鳥居強右衛門については後日詳しく説明しますが、岡崎にいる徳川家康と織田信長に救援依頼に行った後、長篠城まで戻ったものの、武田軍に見つかり磔とされました。下写真は、その磔場所が豊川を越えた前方にあることを示す案内板ですが、実際には樹木が茂っていて、磔場所を確認するのは困難でした。

本丸からは鳶ヶ巣山を見ることができました。(下写真赤矢印が鳶ヶ巣山です。)鳶ケ巣山には武田軍が砦を築いて長篠城を監視していましたが、長篠城から見て、本当に目の前にある感じで監視するには最適な山だと実感しました。


