徳川家康が元服した静岡浅間神社〈駿府⑶〉(徳川家康ゆかりの地34)
臨済寺から南に約15分、前回紹介した富春院から10分程度南にあるいたところに静岡浅間神社があります。徳川家康は、この静岡浅間神社で元服したと言われています。そこで、今日は、静岡浅間神社をご案内します。
徳川家康(当時は松平竹千代)は、天文24年(10月23日に弘治に改元、1555)14歳で元服し、今川義元の一字「元」を与えられ、「松平次郎三郎元信」と名乗りました。この時の加冠役は今川義元、理髪役は関口氏純(義広)でした。
静岡浅間神社は、静岡駅からは、静鉄ジャストラインというバス路線で、JR静岡駅前より乗車し「赤鳥居浅間神社入口」下車(8分)です。静岡駅から行く場合はバス亭の名称ともなっている赤い大きな鳥居(下写真)が目印です。

臨済寺との距離は徒歩で15分程度です。私は臨済寺から歩いて行きました。臨済寺から行くと総門からお参りすることになります。総門(下写真)は重要文化財に指定されています。

静岡浅間神社は、実は一つの神社ではなく、神部(かんべ)神社・浅間(あさま)神社・大歳御祖(おおとしみおや)神社の三社を総称して静岡浅間神社と呼ばれています。神部神社は、崇神天皇の時代(今から約2100年前)の鎮座と伝えられ、静岡地方ではもっとも古い神社です。主祭神は大己貴命(大国主命の別名)です。浅間神社は、平安時代の延喜元年(901)に醍醐天皇の勅願によって、現在の富士宮の「富士山本宮」の勧請し「冨士新宮」としてお祀りされたものです。主祭神は、木之花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)です。大歳御祖神社は今から1700年ほど前の応神天皇4年(273)に、この地方の物流の拠点・商業の中心地であった「安倍の市」の守護神として創建された静岡市の地主神だそうです。下写真は、神部神社と浅間神社の大拝殿です。舞殿の北側から撮りました。

静岡浅間神社の社殿は、焼失と再建の歴史を繰り返しています。神社のホームページによれば、鎌倉時代の元仁年間(1224年頃)に鎌倉幕府は焼失した社殿を再建し、延文年間(1356年頃)には守護職今川家の造営があり、天正7年(1580)には社殿が焼失したことにより武田家は直ちに造営に取りかかました。また天正9年、徳川家康は、神社の背後にあった武田方の賤機山城を攻めるにあたり、戦勝を祈願し、戦いに勝利した後に必ず再建することを誓った上で社殿を焼き払い、武田方との戦いに勝利しました。そして、天正14年にはその誓いを果たすため東海各国に勧進を行い慶長年間社殿が造営されました。さらに寛永11年(1635)徳川家光が上洛した時にも造営されました。その後安永と天明の2回に、町屋からの出火により社殿にも延焼しました。そこで、文化元年(1804)から60年余の歳月と、当時の金額で10万両の巨費を投じて再建されたのが現在の社殿群で、その社殿の多くが重要文化財に指定されています。
総門から境内に入ると目の前に現れるのが神部神社・浅間神社の楼門です。文化12年起工し翌13年竣工しました。総漆塗で、彫物には「水呑の龍」「虎の子渡し」などがあります。また、二層部分に「當國總社・冨士新宮」の扁額が揚げられています。

楼門には、名工として知られた左甚五郎作と伝えられる「水呑の龍」が彫刻されています。安永2年(1773)の火災の際には龍が池の水を飲み社殿に吹きかけ火事を防いだと云われています。

総門脇にある神厩舎(しんきゅうしゃ:馬屋のこと)内に木彫の馬がいますが、この馬も左甚五郎作と表示されていました。(下写真)

楼門の先にある舞殿は、文化14年起工、文政3年竣工したもので、重要文化財に指定されています。

舞殿の目の前にあるのが大拝殿です。大拝殿は神部浅間両神社の拝殿で、文化2年起工、文化11年竣工した楼閣造りで、いわゆる浅間造の代表的なものです。一層は、桁行七間・梁間四間の千鳥破風のある切妻造りで、二層目は桁行三間・梁間三間の入母屋造で、高さ25mあります。

建築史学者の工藤圭章氏は、『日本大百科全書(ニッポニカ)』の中で、「俗に『静岡浅間』の名で知られる静岡市の神部神社、浅間神社、大歳御祖(おおとしみおや)神社の拝殿も浅間造の建物で、この神社では本殿が拝殿裏の賤機(しずはた)山の中腹の高所に祀られるので、拝殿が浅間造として二重の建物とされたのであろう。」と書いています。下写真が本殿ですが山腹に本殿が建てられているのがわかるだろうと思います。

大歳御祖(おおとしみおや)神社は赤鳥居の目の前にあります。本殿は、全体を見ることができませんが、文政4年起工、天保7年竣工の三間社流造りの重要文化財に指定されています。(下写真)

拝殿と楼門は第二次世界大戦時の空襲により焼失し、鉄筋コンクリート造の拝殿と神門が再建されたものです。下写真は拝殿です。

境内には、八千戈神社・少彦名神社・玉鉾神社・麓山神社の四社が鎮座しています。
八千戈神社-八千戈神社は徳川家康の念持仏、摩利支天像を安置するため創建されたのが始まりとされ当初は摩利支天社と称していました。家康死去後は幕府が庇護し社運も隆盛しましたが、現在の八千戈神社社殿は天保9年(1838)に幕府により造営されたもので、八千戈神社本殿、中門、透塀は江戸時代後期の社殿建築で、意匠に優れた遺構として大変貴重な事から国指定重要文化財に指定されています。しかし、明治時代初頭に発令された神仏分離令とその後の廃仏毀釈運動により、明治6年に摩利支天像が臨済寺に移され八千戈神社に改称しています。

少彦名神社―境内北部に鎮座していて、ご祭神は少彦名命(俗にえびす様と呼ばれます)です。当社はもと神宮司薬師社と称し、古くから医薬・酒造の神、技芸上達・知恵の神と仰がれています。。
玉鉾神社は、本社の北側の少し高くなった場所に鎮座しています。社殿は伊勢神宮の御古材にて昭和51年再建されたものです。御祭神は、「国学の四大人(よんうし)」と呼ばれる荷田春満(かだのあずままろ)・賀茂真渕・本居宣長・平田篤胤の四人で、受験・学問の神と仰がれています。

下地図中央が静岡浅間神社です。

