今川義元の出陣の目的(「どうする家康」2)
永禄3年(1560)5月19日に桶狭間の戦いが起きたのは、今川義元が上洛をめざして尾張に進出した時に起きたものだというのが通説でした。私は高校の日本史で勉強し、その後もそうだと思っていました。多くの方もそうだろうと思います。しかし、最近では戦国時代の研究が進み、この上洛説は否定されているようです。「どうする家康」でも上洛説は採用しなくて、今川氏真が、出陣の狙いを「今川領を守る要の大高の地から織田を追い払う」ためと言っていました。上洛をめざすとは言っていませんでした。
しかし、上洛説が否定されたものの、それでは、何のために出陣したのかということについては様々な説があるようです。そこで、今日は、「今川義元はなんのため出陣したのか」について書いてみたいと思います。
上洛説が唱えられた背景には、今川家には、「御所(足利将軍家のこと)が絶えれば吉良が継ぎ、吉良が絶えれば今川が継ぐ」という将軍家継承順位に関する伝承があり、その伝承を背景にして、衰退した室町幕府を立て直そうとしたという解釈がされたそうです。しかし、上洛説が書かれているのは「甫庵信長記」や「松平記」などの江戸時代初期に書かれて書物に書かれていて、「信長公記」や「三河物語」には書かれていないこと、さらに上洛するにあたって京都との事前工作・調整が必要と考えられるものが、このときの今川義元の上洛に際しては、事前工作・調整があったとう事実はないことが、上洛説が否定された理由だそうです。(小和田哲男著「今川義元」p232、柴裕之著「青年家康」p158より)


こうして、現代では、すっかり上洛説は否定されています。しかし、上洛説が否定されたものの、それでは今川義元の出陣の狙いを説明する説については諸説があります。しかも、その説の名称も様々で、研究者がそれぞれ独自名づけているように思います。小和田哲男氏は「今川義元」の中で①三河確保説、②織田方封鎖解除説と名づけています。おまた、本多隆成氏は「定本徳川家康」の中で①三河支配安定化説、②尾張制圧説、➂東海地方制圧説と名づけています。さらに、柴裕之氏は「青年家康」p158で、「三河国への軍事的示威、三河・尾張国境の確保、尾張国への領国拡大と確保、東海地域の制圧といった主張がなされている」と書いています。このように様々な主張がされているようです。

小和田哲男氏が名付けた①三河確保説と本多隆成氏が名付けた①三河支配安定化説は、両氏とも主張した人が久保田昌希氏だとしていますので、同じ説を指しています。また、小和田哲男氏が名づけた②織田方封鎖解除説を唱えたのは藤本正行氏だとしていますが、同じ藤田正行氏が唱えた説を本多隆成氏は①三河支配安定化説に含まれると述べています。
これらを踏まえて私なりに諸説をまとめなおすと①三河支配安定化説、②織田方封鎖解除説、➂尾張制圧説、④東海地域制圧という四説になります。
①は今川義元が三河守に任官されたのを機に三河一国における支配を安定させるための示威的行動だという説です。
②は今川家に属した鳴海城や大高城に対して織田信長が砦を築きそれぞれの城を封鎖しました。そこでそれを救援するために出陣したという説です。
➂は、三河まで伸長してきた今川家の勢力範囲をさらにすすめ尾張を制圧しようとしたという説です。
④の東海地域制圧説は、尾張は当然として伊勢国や志摩国まで制圧しようとしたという説です。
小和田哲男氏自身は、尾張制圧説を主張していて、「この永禄三年五月の義元の出陣は、鳴海城・大高城を足場に那護野城のあたりまで今川領に組みこむためであったと、私はとらえている」(「今川義元」p241)としています。小和田氏によれば、織田信長が尾張侵攻を本格化させて理由は二つあり、①戦国大名の宿命②那護野城の奪還をめざしたことにあるそうです。
そして、本多隆成氏は、「義元が大軍を率いて尾張国内に深く踏み込んで軍事行動を展開しているので①(三河支配安定化説)は妥当ではなく、かといって現段階では➂(東海地方制圧説)とまではいえない」(「定本徳川家康」p20より)として②の尾張制圧説を主張しています。
柴裕之氏は、「まずは尾張国鳴海・大高両領の確保が優先目的で、その後のことについては、目的を果たした後の織田氏勢力の対応次第によったのではないだろうか」(「青年家康」p162より)と書いていますので、織田方封鎖解除説に力点がありそうです。
小和田先生は、「どうする家康」で時代考証を担当しています。その小和田先生は今川義元の出陣は尾張制圧説ですが、それにもかかわらず「どうする家康」では、織田方封鎖解除説に基づいて、場面を描いているように思います。
このように現時点では、尾張制圧説が有力なように思いますが様々な説があります。今後もいろいろな説が提唱されてくるかもしれませんが、昔、私が信じていた上洛説はほぼ否定されているということだけはハッキリしているようです。

