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家康、吉良義昭を攻撃し今川家から離反(「どうする家康」14)

家康、吉良義昭を攻撃し今川家から離反(「どうする家康」14

 今川氏真の支援を得られなかった徳川家康(当時は松平元康)は、やがて織田信長と和睦し、三河統一に向けて、西三河の国衆たちを従えていきます。その中には、名族吉良氏がいました。「どうする家康」では、矢島健一さん演じる吉良吉昭が登場しました。そこで、今日は吉良氏の説明をしつつ、徳川家康が今川家から離反したことについて書いていきます。

 吉良氏といえば、多くの人が思い浮かべるのは赤穂浪士に討ち取られた吉良上野介でしょう。この吉良上野介は、吉良氏の末裔ですので最後で述べますが、まず吉良氏の歴史から書いてみます。

 吉良氏は、室町幕府の将軍足利氏の一族で、三河国幡豆郡吉良庄を領したことより吉良氏と称しました。足利氏は、源義家の孫義康を初代とします。義康は北条時政の娘を妻としていました。義康の孫の義氏は承久の乱(1221年)の戦功により三河国守護に任じられました。足利義氏は足利に戻りましたが、その兄長氏は、そのまま三河に残り吉良庄を拠点として吉良氏の初代となりました。吉良長氏の長男が吉良氏を継ぎますが、次男は今川(現在西尾市今川町)を領して今川氏を名のりました。つまり、吉良氏は足利将軍家の分家で、今川氏は吉良家の分家です。そこで、吉良家は「御所(足利将軍家)が絶えれば、吉良が継ぎ、吉良が絶えれば今川が継ぐ」と言われるほど高い家格を誇る家柄でした。

 戦国時代には、吉良家は、西条吉良家と東条吉良家の二家となっていました。東条吉良家の吉良持広は、松平清康が暗殺された際、嫡子の松平広忠がまだ幼いかったため岡崎城を追われた際に広忠を援助し、広忠の岡崎城帰城を支援しました。松平広忠が元服する際には加冠役となり、広忠の広は持広の一字からとったものです。

 その吉良持広が亡くなると、実子が幼かったため、西条吉良家の吉良義安を養子にもらいました。そのため、西条吉良家では、吉良義安の弟吉良義昭が家督を継ぎました。この吉良義昭が「どうする家康」で登場した人物です。

 永禄4年(15612月頃、織田家と和睦した徳川家康は、4月に今川方であった牧野成定が守る西尾城や吉良義昭が守る東条城を攻撃しました。さらに、411日には、今川氏の三河統治における重要な拠点である牛久保城を攻撃しました。この牛久保城攻撃により徳川家康が今川氏から離反することが明確になり、「今川氏真は、元康によるこの牛久保城攻撃を受け、『松平蔵人佐敵対』『岡崎逆心』と味方の勢力に呼びかけ対抗の姿勢を示した」(柴裕之著「青年家康」p180より)ようです。

 「どうする家康」で今川氏真が怒りをあらわにしたり、家康の家臣の妻たちを処罰したりする場面がありましたが、この頃の出来事として描いたものだと思います。ただ、家臣の妻たちが映像のように処罰されたことが史実かどうかは不明です。

 吉良義昭が籠る東条城は、松平勢の攻撃に堪えていましたが、ついに913日、東条城の西にある藤波畷で合戦が行われ吉良勢は敗北し、吉良義昭は降伏しました。

 降伏した吉良義昭は岡崎に移されましたが、永禄6年(1653)に三河一向一揆が起きた際に、一揆側に協力して、徳川家康に抵抗しました。(※三河一向一揆については「どうする家康」ではまだ描かれていませんが、三河一向一揆の際に、また吉良義昭が登場するのでしょうか。)

一揆勢とともに徳川家康に反抗した吉良義昭は、三河一向一揆が徳川家康により抑え込まれると近江へ出奔し西条吉良家は断絶し、吉良義安の東条吉良家だけが残りました。

江戸時代になり、吉良家は、吉良義安の孫義弥(よしみつ)の代に、三河吉良に3千石を拝領し、朝廷関係のことに関わりました。これが高家の始りと言われていて、これ以降の吉良家は、高家として幕府の儀式典礼関係を取り仕切りました。義弥(よしみつ)の孫が吉良義央すなわち有名な吉良上野介です。

下写真は、以前訪ねた東条城跡です。東条城跡は現在「古城公園」となっています。

家康、吉良義昭を攻撃し今川家から離反(「どうする家康」14)_c0187004_17572882.jpg

当時は立派な大手門が復元されていましたが、現在は解体されてしまったようです。

家康、吉良義昭を攻撃し今川家から離反(「どうする家康」14)_c0187004_17565952.jpg

公園内には下写真のように東条城の歴史を書いた説明板がありました。そこの一部には次のように書かれています。

「(前略)十二代持広は、松平清康の妹を娶(めと)り、清康が尾張守山に不慮の死を遂げるや、清康の遺児仙千代(家康の父・広忠)の親代りとなり松平一門の危機を救った。

 家康は、桶狭間合戦以後織田信長と結び、吉良・今川氏と戦い、永禄四年(一五六一)東条城を攻め、十四代義昭、降伏して東条吉良家は滅亡する。しかし、天下を掌握した家康は、十三代義安の子義定を旗本に取り立て吉良家を再興した。これが江戸時代の高家吉良家の始まりである。(後略)」

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 東条城跡近くには吉良家の菩提寺華蔵寺(けぞうじ)があります。その墓域には吉良家歴代の立派なお墓が林立していました。手前のお墓が吉良上野介のお墓です。

家康、吉良義昭を攻撃し今川家から離反(「どうする家康」14)_c0187004_17565887.jpg



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by wheatbaku | 2023-01-26 16:52 | 大河ドラマ「どうする家康」

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