家康、鳥居忠吉が秘かに蓄えた金穀に涙する(「どうする家康」15)
「どうする家康」でイッセー尾形さんが演じる鳥居忠吉が秘かに蓄えたお金や穀物(金穀)を、徳川家康(当時は松平元康)や家臣たちに見せる場面がありました。この話は、「どうする家康」では、桶狭間の戦いの後の出来事として描かれていました。しかし、東照宮御実紀(いわゆる「徳川実紀」)では、徳川家康が15歳で元服した際に、父広忠の法要のため岡崎に帰りたいと今川義元にお願いして、義元の許可を得たうえで岡崎に帰った時の話として書かれています。この時、徳川家康は鳥居忠吉が秘かに蓄えた兵糧米や金銭を見せられて涙したと次のように書かれています。下写真JR岡崎駅前にある松平元康の像です。

「ここに鳥居伊賀守忠吉とて先代よりの御家人、今は八十にあまれる老人なり。その身今川が命をうけ岡崎にて賦税の事を司(つかさど)りしが、忍び忍びに粮米金錢を中にたくわえ置く。こたび君(家康のこと)御帰国ありて、譜代の人々対面し奉り、よろこぶ事かぎりなき中にも、忠吉は君の御手をとり、年頃つみ置し府庫の米金を御覧にそなえ、今よりのち、我君良士をあまた召抱えたまい、近国へ御手をかけたまわんため、かく軍粮を儲(たくわえ)置候なりと申ければ、君御涙を催され、その志を感じたまいぬ。又義元三河を押領し。年頃諸方の交戰に我家人をかりたて譜代の家人どもこれがために討死する者多きこそ何よりのなげきなれとて、更に御涙をながし、なきくどかせたまいける。古老の御家人等これを見聞し、御年のほどよりも、御仁心のたぐいなくわたらせ給うさま、御祖父清康君によく似させたまうことて感嘆せぬはなかりけり」
このエピソードはよく知られた話ですから、鳥居忠吉が登場人物として発表があった際に、おそらく、「どうする家康」で描かれるだろうと思っていました。しかし、家康の人質時代がほとんど描かれていないので、もう、この場面はないかなと思っていましたが、意外なところで登場しましたのでビックリしました。また、個人的には、岡崎城内の蔵に秘匿しておいたものとイメージしていましたが、「どうする家康」で描かれていたように洞穴に隠しておいたほうが見つからなくて安全なので、この方法もアリだなと思いました。
鳥居忠吉は、松平清康・広忠・家康の三代に仕え、家康が、駿府にいた頃には、岡崎で総奉行を命じられていました。鳥居家は富裕であったため、駿府にいる家康に衣類や食料を届けたと「寛政重修諸家譜」に書かれています。また、「寛政重修諸家譜」には前述のエピソードも記録されています。
鳥居元忠(「どうする家康」では、音尾琢真さんが演じています)は、忠吉の三男として生まれ、家康が駿府で人質であった時期に、家康のそば近くに仕えました。そして、鳥居忠吉が元亀3年(1572)3月25日80余歳でなくなった後、兄が若くして討死していて次兄は出家していたため、鳥居家の家督を継ぎ、有力武将として数々の武功を挙げています。「どうする家康」でも今後活躍する場面が出て来ることと思います。

