松平東照宮《松平郷⑴》(徳川家康ゆかりの地38)
徳川家康の先祖は松平親氏とされていますが、松平氏の発祥の地が松平郷です。つまり、松平郷は徳川家康のルーツの地でもあります。松平郷は、現在は豊田市にあり、岡崎城に行った際に、少し足を伸ばして、訪ねてきましたので、数回にわたって松平郷を紹介をします。
松平郷は、豊田市の中心市街地から東に10キロほどあるため、車で20分以上かかります。実際に訪ねてみると山村の趣の漂う地域です。松平東照宮は、そんな松平郷の中心部にあります。(下写真は正面の鳥居です)

松平東照宮が鎮座する場所は、江戸時代、松平郷を治めた松平太郎左衛門家の屋敷があった場所です。松平太郎左衛門家は、大正初期までこの地に居住していたそうです。
松平東照宮は、はじめは、若宮八幡宮と称して松平家の屋敷神でした。元和5 年(1619)に久能山東照宮より徳川家康の分霊を勧請し昭和40年には初代親氏を合祀しました。(下写真が拝殿です。)

松平郷を治めた松平家は、松平太郎左衛門家と呼ばれ、その初代は、松平親氏の長子の信広です。親氏の三男信光が松平家の三代当主となり岩津(岡崎市岩津町)に本拠を移し、その子孫は、安城城⇒岡崎城と拠点を移動して、勢力を拡大していきました。徳川家康は、信光の子孫として岡崎城で誕生しています。
信光が岩津に進出した後も、太郎左衛門家は松平郷に残り、この地域を治めました。太郎左衛門家は、江戸時代は交代寄合でした。交代寄合とは、特別の役職につかない旗本ですが、身分・格式が大名に準じられ、領地と江戸を参勤交代していました。
松平東照宮に現存する水濠や石垣は、松平太郎左衛門家9代尚栄によって関ケ原の合戦のあと築かれたものです。見るからに城の堀と石垣という感じがしました。下写真が堀と石垣です。

堀には錦鯉が放されていて、「お堀の錦鯉」という説明板がありました。


