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椿姫観音(徳川家康ゆかりの地41《浜松①》)

椿姫観音(徳川家康ゆかりの地41《浜松①》)

 「どうする家康」第11回の紀行潤礼でも紹介されていた椿姫観音は、お田鶴の方ゆかりの観音様です。

 今年1月に浜松を訪ねた際に、椿姫観音にも寄ってきました。そこには、徳川家康に引馬城を攻撃された際にお田鶴の方が降伏を拒否し侍女たちとともに戦い討死したことが書いてありましたので、今日は、椿姫観音を紹介します。(下写真は正面からみた椿姫観音です。)

椿姫観音(徳川家康ゆかりの地41《浜松①》)_c0187004_20435458.jpg

 椿姫観音は、浜松駅から行く場合には、遠州鉄道八幡駅から徒歩5分で行けますので遠州鉄道を利用するのが良いと思います。住宅街の中にひっそりと鎮座する観音堂といった趣です。(下写真)

椿姫観音(徳川家康ゆかりの地41《浜松①》)_c0187004_20435454.jpg

 椿姫観音の掲示板に「椿姫観音堂由来記」が掲示されていました。その由来記には次のように書かれていました。少し長くなりますが、「どうする家康」でも描かれていた場面そのままのような由来記ですので、最後まで是非お読みください。下写真が掲示板に掲示された由来記です。

椿姫観音(徳川家康ゆかりの地41《浜松①》)_c0187004_20435419.jpg

「戦国時代、この地方は、今川家の領地として、今川家重臣、飯尾豊前守乗竜(※)が支配しておりましたが、今川義元が桶狭間の戦いで 織田信長に敗れ戦死すると、今川家の力は、急速に衰え衰退が始まります。※当時の引馬城主は「どうする家康」でも描かれていたように飯尾連龍でした。「由来記」に書かれている飯尾豊前守乗竜は飯尾連龍を指していると思いますが、静岡県史や浜松市史を見ても同一人物だとは確認できませんでしたので、掲示されていた「由来記」どおり乗竜と表記しておきます。

今川義元から氏真に代が替わると、徳川家康は、今川家の弱体に目を付け、徳川方に付くよう何度も要請します。

城内は今川派、徳川派に分裂、今川氏真は、乗竜が、徳川側に付いたとし、今川家に対する謀反だ!として 引馬城に攻め込みます。

しかし、引馬城は容易に陥落しませんでした。そこで氏真は、策を講じ和睦と見せかけ乗竜を駿府城に呼び出し暗殺してしまいます。永禄8年(1565年)

引馬城に残されたのは、城主乗竜の嫡男義廣・その母お田鶴の方(後に乗竜亡き後、幼い義廣に代わり第五代引馬城主となる)であった。又とない絶好の時家康は、大軍で引馬城に攻め込みます。引馬城は小城ですが地理的にみてどうしても手に入れたい城でもある。

軍事力に勝る家康軍を相手に、大奮闘の兵、 しかし武力に勝る家康軍の前には・・

落城寸前のさなか緋縅の鎧に白柄のなぎなた、丈なす黒髪に純白の鉢巻きのお田鶴の方、それを取り巻く、白鉢巻き、たすき掛け、刀を手にした18人の侍女、主君お田鶴の方を守り壮絶な戦い、引馬城の最後の戦いであった。

この辺り一帯がその戦場となり力尽きたお田鶴の方は侍女18人と共に戦死した。永禄111224日の事でした。

女の身でありながら、あっ晴れな最後であり不憫であると家康は、この地に、お田鶴の方と侍女18人の亡骸を手厚く葬り塚を築き祠を建てました。

家康の正室築山御前も塚の周りに百本余りの椿の木を植え、供養を営みました。

椿は毎年、美しい花を咲かせ付近の人々この塚を(御台塚)と呼び追悼供養を捧げました。

その場所はこの御堂より5m位西北、田の中に十坪余りの台地があり其の中に祠と二本の塔場が建ってた。と云い伝えられています。」

 椿姫観音堂は、昭和19年に建立されましたが、戦時中、浜松大空襲で焼け落ちため、戦後の昭和27年に再建されたもののようです。

 そして、「毎年11月23日には町内を挙げて追善供養をしています。」とも書いてありますので、地元の人々は、現在でもお田鶴の方を篤く敬っているのだろうと思います。 


下地図中央が椿姫観音です。




by wheatbaku | 2023-03-25 20:43 | 徳川家康ゆかりの地

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