人気ブログランキング | 話題のタグを見る
今川氏真の妻早川殿(「どうする家康」36)

今川氏真の妻早川殿(「どうする家康」

 今日は今川氏真の妻早川殿について書いていきます。なお、「どうする家康」では、「糸」と呼ばれていましたが、早川殿の名前については史料が残されていないので、確かに「糸」と呼ばれていたのかは不明のようですので、ここでは早川殿と表記します。

早川殿は北条氏康の娘です。早川殿が氏康と結婚したのは、甲相駿(こうそうすん)三国同盟を支える婚姻政策の一環です。甲相駿三国同盟は、天文23年(1554)に結ばれた甲斐武田信玄・相模北条氏康・駿河今川義元による軍事同盟です。

甲相駿三国同盟が結ばれ、武田信玄、北条氏康、今川義元は、それぞれの息子にそれぞれの娘を嫁がせ、その関係を強化することにしました。その結果、武田信玄の息子義信に今川義元の娘嶺松院が嫁ぎ、北条氏康の息子氏政に武田信玄の娘黄梅院が嫁ぎ、今川義元の息子氏真に北条氏康の娘早川殿が嫁ぐこととなりました。

早川殿が今川氏真に嫁いだのは天文23年(1553)のことです。早川殿が何年に生れたのかはっきりしませんので、何歳で嫁いだのかはっきりしませんが、早川殿が生まれたのは天文16年と推測されていて、それが生年であれば8歳で嫁いだことになります(黒田基樹著「北条氏康の妻瑞渓院」より)。 また、早川殿の母つまり北条氏康の妻瑞渓院は、今川氏親の娘で母は寿桂尼ですので、今川義元の実姉であり、氏真と早川殿は従兄妹です。早川殿は、母の実家の従兄に嫁入りしたということになります。

こうしたことを考えると「どうする家康」で、糸がなかなか嫁ぎ先がなかったかのようなセリフがあったように思いますが、そうしたことは創作だということになります。それに関連して足が不自由であったということも創作だろうと思います。

早川殿は、今川家に輿入れし、自らの祖母である寿桂尼が亡くなった後は、寿桂尼の立場を継承し、今川家の家政を取り仕切る立場になったと考えられています。

そうした早川殿も、武田信玄の駿河侵攻により、氏真が駿府を脱出する際には、輿も準備されず徒裸足で脱出したと言われていて、このことに父氏康は激怒したといいます。永禄12年(1569)正月2日付けの書状に「愚老息女(早川殿のこと)は乗り物を求め得ざる体(てい)、此の恥辱雪(そそ)ぎ難く候」と書いているそうです。

また、氏康は、武田家と今川家の間の雲行きが怪しくなった際に、その両者の仲介者となって同盟継続を認めさせましたが、信玄の駿河侵攻は、その氏康の仲介者としての立場も踏みにじることであったため、氏康の怒りは激しいものがありました。

そのため、氏康は信玄との同盟を破棄し、今川家を救援するため、北条氏政を総大将として大軍を駿河に派遣しました。北条軍は、薩埵峠に陣を構え、駿府に入った武田軍を背後から脅かしました。そのため、甲斐との通路を断たれた信玄は、永禄124月には、一部軍勢を残して、甲斐に撤退せざるをえなくなっています。

さらに前述の通り、氏政の妻は信玄の娘の黄梅院ですが、信玄の駿河侵攻に怒った氏康は、氏政に黄梅院を離縁させ甲府に送り還えさせたといいます。

掛川城に籠城した氏真は徳川家康の猛攻に頑強に抵抗し続けた結果、家康と和睦するということになり、永禄12年(156959日に和睦が成立し、515日掛川城が開城しました。そして、517日に氏真と早川殿は、蒲原城に入りました。

その後、閏53日には沼津に移りました。氏真はその後沼津の大平城に在城しましたが、早川殿は、翌元亀元年(15704月には、小田原に近い早川に住むようになりました。早川殿という呼び名は早川に住んだことによるものです。しばらくすると氏真も早川に移ってきて一緒に住むようになります。

その後、早川殿の父氏康が亡くなると、氏政は、武田信玄との同盟を復活させます。その際に、駿河は武田氏が領有することを北条氏が認めたため、氏真が念願した駿河領有の復活が叶わなくなりました。そのため、氏政の庇護を離れ、家康を頼ることとし、天正元年(15738月に浜松城に移りました。早川殿も、氏真とともに浜松に移っています。

なお、氏真と早川殿の間には子供が大勢います。駿府にいる間は娘が一人だけでしたが、早川で嫡男範以(のりもち)が生まれています。その後に高久以下3人の男の子がいます。範以は、38歳で亡くなりますが、その子の直房は高家として江戸幕府に仕えました。また、次男高久は品川氏を名乗り、同じく高家として幕府に仕えています。




by wheatbaku | 2023-03-30 14:50 | 大河ドラマ「どうする家康」

江戸や江戸検定について気ままに綴るブログ    (絵は広重の「隅田川水神の森真崎」)
by 夢見る獏(バク)
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
以前の記事
2024年 03月
2024年 02月
2024年 01月
2023年 12月
2023年 11月
2023年 10月
2023年 09月
2023年 08月
2023年 07月
2023年 06月
2023年 05月
2023年 04月
2023年 03月
2023年 02月
2023年 01月
2022年 12月
2022年 11月
2022年 10月
2022年 09月
2022年 08月
2022年 07月
2022年 06月
2022年 05月
2022年 04月
2022年 03月
2022年 02月
2022年 01月
2021年 12月
2021年 11月
2021年 10月
2021年 09月
2021年 08月
2021年 07月
2021年 06月
2021年 05月
2021年 04月
2021年 03月
2021年 02月
2021年 01月
2020年 12月
2020年 11月
2020年 10月
2020年 09月
2020年 08月
2020年 07月
2020年 06月
2020年 05月
2020年 04月
2020年 03月
2020年 02月
2020年 01月
2019年 12月
2019年 11月
2019年 10月
2019年 09月
2019年 08月
2019年 07月
2019年 06月
2019年 05月
2019年 04月
2019年 03月
2019年 02月
2019年 01月
2018年 12月
2018年 11月
2018年 10月
2018年 09月
2018年 08月
2018年 07月
2018年 06月
2018年 05月
2018年 04月
2018年 03月
2018年 02月
2018年 01月
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
ブログパーツ
ブログジャンル
歴史
日々の出来事