築山殿の武田勝頼への内通の企て(「どうする家康」83)
「どうする家康」第23回で、築山殿の屋敷に「滅敬(めっけい)」と名乗る唐人医師が現れます。「滅敬(めっけい)」を演じているのは田辺誠一さんとのことなので、滅敬=穴山梅雪という設定なのでしょうか。すると、これから築山殿と武田家との秘かな交渉が開始されるのでしょうか。
ところで、昨日紹介した『改正三河後風土記』には、築山殿が減敬(げんきょう)という唐人医師を介して武田勝頼と秘密交渉をしたという話が載っていますので、今日は、その話を書いていきます。なお、「減敬(げんきょう)」は「滅敬(ねっけい)」とも呼ばれたと書いたものもあります。「減」と「滅」はよく似た漢字ですので、「減敬」が「滅敬」となっても仕方ないかなと思いました。
『改正三河後風土記』は国立国会図書館デジタルコレクションで読むことができますが、詳しい内容は下記の通りです。なお、『改正三河後風土記』は、江戸時代後期に書かれた書物ですので、難解の語句をわかりやすくして書いてみます。
「築山殿は通常でない心持ちとなってわずらい、神社で祈祷したり、名のある医者を呼び薬を飲んだりしながらも(病状が回復せず)寝込んでいた。そうした時、甲州から来た減敬という唐人の医者がいるとのことで信康に頼むと信康は減敬を呼び出した。減敬が薬を差し上げるとやがて気分もさわやかになった。これ以降、築山殿は、減敬を慈しみ愛すること並々のことではなくなり、常に閨(ねや)を一緒にするほどであった。やがて怪しからんこととして段々世間の噂になってきた。
また、築山殿は、減敬をたよって内々に武田勝頼に申し入れた。その内容は「信康は私の子供なので、徳川家康と織田信長は、私が考えた計画があり、まちがいなく滅ぼします。このことが成就した暁には、徳川の旧領はそのまま信康に頂戴したい。また私については、御家来の中でしかるべき人物の妻となるようにさせていただきたい。この願い事がかなえていただけるのであれば、しっかりとした請証文をいただきたいと思います。これより、信康を説得し御味方になるようにいたします」ということであった。減敬は甲州へ帰り急いで勝頼に申し上げたところ、勝頼は渡りに船を得た心地で(大いに喜んで)早々に次のような自筆の誓詞を書いて減敬にさずけた。
『この度、減敬に申し越された趣、神妙に覚えます。何としても三郎殿を勝頼の味方にしてもらい、はかりごとを実行し、信長と家康が滅亡した場合には、家康の所領は申すに及ばず、信長の所得の内でいずれなりとも望みにまかせて、一ヵ国を新恩として差し上げます。次に築山殿ですが、幸いなことに郡内の小山田兵衛(※)と申す大身の侍が、昨年妻を失って独身となりましたので、彼の妻となっていただこうと思います。信康が味方になることが決まれば築山殿を先んじて甲州へ迎えたいと思います。 天正6年11月16日勝頼血判 築山殿』
※小山田兵衛とは小山田信茂のこと。小山田信茂は武田勝頼の重臣で武田二十四将の一人
この誓詞を受け取った築山殿は、大いに喜んだ。一方、減敬は、こうした仲介をなしたことから双方から十分な謝礼をいただき、しばらく滞在したのち、いずこともなく立ち去っていた。」
『改正三河後風土記」に書かれていることが事実であったかどうか断定できませんが、「築山殿は、自身が体調を崩した時に病を治したのをきっかけに懇ろの関係になった唐人医師減敬を通じて武田勝頼と連絡をとり、『築山殿の計画で家康と信長を殺すので、その際には信康が徳川領をそのまま拝領し築山殿は武田家の重臣の妻にしてもらいたい』と申し入れをしたところ、勝頼は非常に喜んで、築山度宛に誓詞を差し出した」と書いてあります。
次回「どうする家康」ではどのような展開になるのでしょうか。

