松平信康供養塔のある四谷西念寺(徳川家康ゆかりの地49)
天正7年(1579)9月15日、松平信康が切腹した際に、その介錯を命じられた服部半蔵正成は、介錯できず、のち家康から「鬼と言われた半蔵でも主君を手にかけることはできなかったか」と言われたことを前回書きました。
その服部半蔵正成は、後年、信康の冥福を祈念するため寺院を建立しています。それが東京四谷にある西念寺です。その西念寺に本日お参りに行ってきましたので、今日は西念寺をご案内します。下写真が西念寺の本堂です。

信康の介錯を命じられた服部半蔵正成は、後年、世の無常を感じ、信康を供養するため仏門に入り、麹町清水谷に安養院を建立しました。そして、文禄2年(1593)に信康の冥福を祈念するための一宇の建立の内命を家康から受けます。しかし、完成する前の文禄4年に没します。その後、寺院が完成し、「西念寺」となりました。寛永11年(1634)には、江戸城の壕の拡張工事に伴い四谷に移りました。
現在の西念寺は、JR「四谷駅」赤坂口から歩いて7分ほどの距離にあります。西念寺の山号・寺号は、服部半蔵正成の法名「専称院殿安誉西念大禅定門」からとって、「専称山安養院西念寺」と言います。
松平信康の供養塔は、本堂の西側にあります(下写真)。正面に「清瀧寺殿前三州達岩善通大居士」と刻まれています。新宿歴史博物館によれば文禄2年(1593)に服部半蔵が建立したとなっています。

服部半蔵正成は、慶長元年(1597)11月14日、55歳で没し、自らの創建した西念寺に葬られています。服部半蔵の墓(下写真)は、本堂右隣にあり新宿区指定史跡です。墓碑正面には「安誉西念大禅定門」と刻まれています。服部半蔵正成は、伊賀の生まれと思う人が多いようですが、実際は三河国に生れたとされています。お墓の左側面には「三州住人」と刻まれていますので、確かに三河国生れだと思われます。

服部半蔵正成は槍の名手としても知られていて、西念寺には服部半蔵が家康から拝領したという槍が所蔵されています。服部半蔵の槍は、本堂の脇の和室の床の間に飾られています。槍は新宿区登録文化財で、先端が30センチ、矢尻150センチを戦災で損壊したそうですが、それでも全長が258センチ、重量7.5キロもある大きな槍です。(下写真は本堂の正面からガラス越しに写したものです)
なお、服部半蔵正成は槍の名手ですが、「槍の半蔵」と言った場合には渡辺守綱のことを言います。渡辺守綱も通称は半蔵で、服部半蔵正成ともに徳川十六神将の一人に数えられています。一方、服部半蔵正成は「鬼の半蔵」と呼ばれました。


