徳川秀忠、誕生の井戸(徳川家康ゆかりの地51《浜松⑨》)
昨日、徳川秀忠の誕生の話を書きましたが、浜松市には、「徳川秀忠公誕生の井戸」が残されています。今年の1月に訪問していますので、今日は、その井戸を紹介します。下写真が井戸の全景です。
「徳川秀忠公の誕生の井戸」は、現在は遠州鉄道「遠州病院駅」近くの浜松中央警察署新川交番の脇にあります。「遠州病院駅」は、遠州鉄道新浜松駅から2つ目の駅で、新浜松駅からは2分です。また、「徳川秀忠公の誕生の井戸」はJR浜松駅から歩いていくこともできる距離で、10分強で到着します。私は、浜松駅から歩いて行きました。
井戸の入り口に「誕生井戸の由来」と刻まれた石柱があります。(下写真)
それには「誕生井戸の由来 誕生井戸はここの西方約五十メートル位のところにあった。昔、その一帯は旧城下であり家康の在城当時には下屋敷が構えられていた。二代将軍徳川秀忠の生母は、家康の側室西郷の局で秀忠の出産は同下屋敷でおこなわれた。その時使われた産湯の井戸を誕生井戸という。その井戸は明治の頃まで残っていたそうである。」と書いてあります。
つまり、本来の場所は現在の井戸から50mほど西に下屋敷があって、そこでお愛の方(西郷局)がその屋敷で秀忠を出産したと伝えられているようです。 下写真が井戸です。
復元された井戸の脇にある説明板(下写真)には次のように書かれています。
「徳川秀忠公誕生の井戸
江戸幕府2代将軍、徳川秀忠公出生の地
家康公の側室である西郷局が2代将軍秀忠公を生んだとき、産湯としてこの辺りにあった井戸水が使われたという伝承をもとに作られた井戸です。出生地とされる場所は2説あり、1説はこの付近。もう1説は浜松城二の丸の北にあったといわれています。」
秀忠の誕生地については、二説あって、「誕生の井戸」が復元されている地点近くの下屋敷のほか、浜松城二の丸で生まれたという説もあるようです。
下地図の中央が「徳川秀忠公誕生の井戸」です。