城下町行田散歩~「ブラタモリ」ロケ地を巡って~
本日、江戸検1級の仲間たちと江戸時代忍城の城下町であった行田を散歩してきました。
今年の7月にNHKの「ブラタモリ」で行田が紹介されましたが、それをきっかけに行田に行ってみたいという声があがり、それを受けて開催しました。「ブラタモリ」の放映から4か月たちましたが、みんなの日程を調整した結果、本日開催となりました。
行田は江戸時代は忍城の城下町でしたが、古代の史跡としてはさきたま古墳群、戦国時代の史跡としては「石田堤」、近代の史跡としては「足袋蔵」があり、いろいろな時代の史跡を巡ることができました。また、「ブラタモリ」の撮影地も坂巻古墳を除く全ての撮影地を巡ることが出来ました。
本日の散歩ルートは次のようなコースでした。石田堤史跡公園 ⇒ 堀切橋 ⇒ 石田堤 ⇒〈タクシー〉 ⇒ 天祥寺 ⇒ さきたま古墳群(愛宕山古墳、丸墓山古墳、稲荷山古墳、二子山古墳) ⇒ 金沢製菓店 ⇒ 前玉(さきたま)神社 ⇒ 〈バス〉― 忍城バスターミナル ⇒ 鳥居強右衛門屋敷跡 ⇒ 足袋とくらしの博物館 ⇒ 代官所跡 ⇒ 高札場跡 ⇒ 大木商店 ⇒ 閑居(休憩)⇒ 大手門外桝形城門跡 ⇒ 孝子蔵 ⇒ 大手門跡 ⇒ 忍城跡(行田市立郷土博物館)
今日は、行田散歩の様子をスナップで紹介します。
⑴石田堤 天正18年の秀吉が小田原城を攻めた時、北条方の忍城は、石田三成を総大将とする秀吉軍に攻撃されました。その際、石田三成は、秀吉の命令により水攻めを行いました。その時に築かれた堤防の一部が石田堤として残されています。下写真は、昔の館林道沿いの松が植えられた石田堤の説明を見る参加者の皆さんです。

⑵天祥寺 天祥寺は、忍藩主松平下総家の菩提寺です。松平家が文政6年(1823)3月に忍藩主として桑名から移封(いほう)となり、天祥寺も桑名から現在地に移転しました。現在は9代忠堯(ただたか)、11代忠国、12代忠誠の3人のお墓が残されています。参加者の皆さんが見ているのが松平三代のお墓です。

⑶丸墓山古墳 丸墓山古墳は、さきたま古墳の中の中心古墳の一つです。丸墓山古墳は直径105メートル、高さ19メートルあります。忍城攻めの際、この丸墓山に石田三成が本陣を構えたといいます。丸墓山の頂上からは現在も忍城の御三階櫓を眺めることができます。下写真は、忍城の御三階櫓を眺める参加者の皆さんです。

⑷前玉神社
「ブラタモリ」では、タモリさんの散歩は前玉神社の参道から始まりました。下写真は、前玉神社を撮影する参加者の皆さんです。奥に「古墳最中」の看板が見えるのは参道脇の江戸時代創業の老舗「金沢製菓店」です。「金沢製菓店」の名物は、「いがまんじゅう」と「塩あんびん」ですが、参加者の皆さんが御土産に買ってくれました。

⑸「足袋とくらしの博物館」
「力弥足袋」の商標で知られた牧野本店の木造洋風2階建ての工場を「足袋とくらしの博物館」として再活用したもの。隣の牧野本店の店舗兼住宅は、大正13年頃に建てられた行田を代表する半蔵造りの店蔵です。館内で、足袋づくりの実演見学や、足袋づくり体験をすることができます。訪問した際には、足袋づくりの工程を丁寧に説明していただきました。

⑹孝子蔵
「ブラタモリ」のエンディングシーンが撮影されたのが「孝子蔵」の前でした。「孝子蔵」は、主柱がなく大谷石を積み上げた壁のうえに屋根を乗せてあります。窓の引き戸も大谷石でできています。

忍城跡(行田市立郷土博物館)
忍城は、室町時代の文明年間(15世紀後半)にこの地を統一した成田氏によって築城されたと伝えられており、江戸時代は、譜代大名が藩主となり、多くの老中を輩出したことから「老中の城」とも呼ばれています。現在の御三階櫓は昭和63年(1988)に再建されたものです。

御参加いただいた皆様、大変お世話になりました。お陰様で楽しい散歩になりました。ありがとうございました。

