久能山東照宮の御社殿は国宝、その他の建造物は重要文化財《久能山東照宮⑷》(徳川家康ゆかりの地59)
久能山東照宮は、御社殿(本殿・拝殿・石の間)が国宝に指定されているほか、13棟の建造物が重要文化財に指定されているという文化財の宝庫です。国宝の御社殿(本殿・拝殿・石の間)のほか、重要文化財に指定されている13の建造物はつぎのとおりです。⑴楼門、⑵神厩(しんきゅう)、⑶鼓楼(ころう)、⑷神饌所(しんせんじょ)、⑸神楽殿(かぐらでん)、⑹神庫(しんこ)、⑺日枝神社本殿、⑻東門、⑼唐門、⑽玉垣(たまがき)、⑾渡廊(わたりろう)、⑿廟門(びょうもん)、⒀神廟(しんびょう)
前回は⑴楼門から⑺日枝神社本殿までご案内しましたので、今日は、⑻東門以降の重要文化財を紹介します。
⑻東門
御社殿(本殿、拝殿、石の間)にお参りするルートは日枝神社をお参りした後お参りするルートでした。このルートで日枝神社から東照宮の拝殿にお参りする際に門があります。これが東門です(下写真)。久能山東照宮のホームページには、この東門が重要文化財の一つとして紹介されていませんが、文化庁の文化財データで確認すると東門が重要文化財に登録されています。

⑼唐門
拝殿正面にある門で、屋根は銅瓦本葺黒漆塗の四方唐破風造の門です。下写真は、正面からみた唐門です。

玉垣は御社殿の周囲にめぐらされた垣です。玉垣の腰に透彫の彫刻があります。下写真の奥は拝殿前から見た唐門でその手前に写っているのが玉垣です。

御社殿は、本殿、拝殿、そして本殿と拝殿をつなぐ石の間からなっています。この本殿、拝殿、石の間からなる様式は「権現造」と呼ばれています。数多くの東照宮がこの様式で建てられています。元和3年(1617)に江戸幕府大工棟梁中井大和守正清により建立されました。平成22年に国宝に指定されました。下写真は東門から撮った拝殿です。


※逆さ葵 社殿の軒先をみると葵の御紋が逆さになっている部分があります。これは建物が未完成であることを表していて、さらなる発展への願いが込められているそうです。下写真の2段目の左から5番目の葵が逆さになっています。

下写真は、左手からから写した拝殿です。

上写真を撮ったあとふとふりかえると「山下より1159段、家康公御廟所まで40段」と書かれた説明板がありました。久能山の山麓から徳川家康のお墓までは約1200段の石段を登るんですね。すごい石段の数です。

⑾廟門(重要文化財)
廟門は、本殿の後方西側にある廟所に通ずる門です。以前は御宝塔御門と呼んでいたそうです。

⑿渡廊(わたりろう:重要文化財)
渡廊は、重要文化財に登録されていますが、久能山東照宮ホームページの境内図および境内案内にも載っていませんでしたので、久能山東照宮博物館に問い合わせて尋ねました。すると渡廊は、神饌所(しんせんじょ)から御社殿に通じる廊下だそうです。東照宮に勤めている人たちだけが利用できる部分で一般に公開していないので、境内図や境内案内には載せていないとのことでした。一般公開していないため写真も撮れませんでした。
⒀神廟(しんびょう)(重要文化財)
神廟は御社殿からは40段の石段を登ります。文化庁では廟所宝塔と呼んでいるようです。ここは徳川家康の遺骸を埋葬した所です。以前は御宝塔と称していたそうです。 元和2年(1616)の創建当初は木造桧皮葺の造りでしたが、寛永17年(1640)に3代将軍徳川家光により現在の石造宝塔に造替されました。宝塔の高さは、5.5メートル、外廻り約8メートル、前面に唐戸があります。軒の四隅に唐銅の風鐸が掛かっています。神廟は徳川家康の遺命により西を向いています。


徳川家康公が家臣に『金の成る木』について問われたところ誰も知らず、家康公は自ら筆をとられて幹三本を描き、『よろず程のよ木(万ほどの良き)』『志ひふかき(慈悲深き)』『志やうぢ木(正直)』と懸かれ、「これを常々信用すれば必ず富貴が得られよう」と言われたそうです。その後、細川忠興公がこれに左右の枝を描き『あさお木(朝起き)』『いさぎよ木(※潔き)』『志んぼうつよ木(※辛抱強き)』『ゆだんな木(※油断なき)』『ようじょうよ木(養生よき)』『かないむつまし木(※家内睦まじき)』と書き加えられ、(※家康は)「左右の枝が繁昌するならば一段と富貴が得られるであろう。皆々この『金の成る木』を写し取って家内のものに教えるように」と命ぜられたといいます。」

※家康公愛馬之霊所 宝塔の裏側の右手奥に『家康公愛馬之霊所』という木札が建てられています。久能山東照宮ホームページの神厩(しんきゅう)の説明に「家康公の愛馬は神廟裏手石垣の南隅に埋葬されたとされています」と書かれていますが、ここが徳川家康の愛馬が埋葬された場所のようです。


