久能山東照宮の表参道から眺める駿河湾は絶景《久能山東照宮⑸》(徳川家康ゆかりの地60)
前回まで、久能山東照宮の社務所から上にある御社殿や廟所等をご案内しました。ここを参拝した後、私は表参道を下りましたので、今日は表参道をご案内します。表参道は山麓の「山下石鳥居」から本殿前までの石段が1159段あります。昔の人は「いちいちごくろうさん」と洒落を言いながら登ったそうです。日本平ロープウェイが開通するまでは、表参道が唯一の参拝路でした。現在でも東照宮の神職さんたちは毎日歩いて登るそうです。
私は1159段の石段を登る自信がなかったので参拝した後に石段を下りましたが、表参道から見る駿河湾は絶景でした。体力に自信のある方は、ぜひ表参道にチャレンジしてみると良いと思います。下写真は一ノ門から見た駿河湾です。

さて、それでは、社務所近くにある久能山東照宮博物館から山下の石鳥居までご案内します。
《久能山東照宮博物館》
社務所の近くに久能山東照宮博物館があります。(下写真)

久能山東照宮博物館は、久能山東照宮に付属する博物館です。館内は撮影禁止でしたので、写真は撮れませんでしたが、館内には徳川家康が関ケ原の戦いの際に着用していた「歯朶具足(しだぐそく)」や「どうする家康」で話題になった「金陀美具足(きんだみぐそく)」が展示されていました。また、有名なスペイン国王フェリペ3世が家康に贈った洋時計も展示されていました。私が特に注目したのは徳川家康の身の回りの品々で当時のメガネである「目器」(重要文化財)、薬好き家康が使用したという薬調合用の「青磁鉢」と「乳棒」、さらにガラス製の「びいどろ薬壷」(いずれも重要文化財)などが展示されています。それぞれが一見の価値のあるものばかりでした。
《勘介井戸》
博物館を見てから下に下ってくると左手に「勘助井戸」があります。(下写真)

勘助井戸は、戦国時代に武田信玄の軍師山本勘介が掘ったと伝えられているそうです。久能山東照宮の前にあった久能城は山本勘助が築城にかかわったという言い伝えがありますので、そうしたことを踏まえたものだと思われます。
勘助井戸のある場所は見晴台ともなっています。下写真は見晴台から眼下に見える石垣イチゴの温室群です。

《一ノ門》
勘助井戸がある見晴台からすこし下ると一ノ門が見えてきます。(下写真)
久能城があった頃はここに大手門があったそうです。一ノ門は元は櫓門でしたが、明治17年9月15日の暴風雨風によって倒壊したため、平屋に改築されたものです。現在の一ノ門は、城門風となっていて屋根は左右切妻造りの銅板葺きです。

ここからは駿河湾、伊豆半島はもちろん望むことができますし、御前崎までも見ることができるようです。下写真は一ノ門前から東方向を見た写真ですが、正面に見える山景は伊豆半島です。

下写真は一ノ門前から見た表参道の石段です。表参道がどのような様子なのかわかると思います。

《門衛所(もんえいしょ)》
久能山東照宮の一ノ門を警護および東照宮そのものの警備を江戸時代に担当したのが「総門番」という役職でした。この役職は榊原照久を初代とする榊原氏が世襲していました。一の門内の正面に建っている建物が門衛所(下写真)で、ここで、総門番榊原氏配下の与力が人ずつ昼夜交代で勤務していました。ここは、上番所と呼ばれ、与力が詰めていたようです。ここの西側には同心8人ずつが与力同様、昼夜交代勤務していた下番所が置かれていましたが、下番所があった建物は残っていません。門衛所は明治24年4月に改築されたものです。

昨日は、節分でしたが、久能山東照宮では、節分には「古儀節分祭」が執り行われるようです。久能山東照宮の古儀節分祭は、徳川家康が駿府城にいる頃、城の門ごとに鬼撃木(おにうちぎ)を飾ったことに由来しているそうです。当日は、宮司の祝詞奏上ののち、神前にお供えした豆をおさげして、石の間にて「豆打ちの儀」を行い、神職2名が楼門、一ノ門にてそれぞれ豆打ちの儀を行い、除災招福を祈願するそうです。
一ノ門には、「鬼撃木」が打ち付けられていました。鬼撃木は長さが55㎝ほどです(下写真)。久能山東照宮では鬼撃木の御札も販売しているそうです。

《表参道の途中》
下写真は、表参道の中で長坂と呼ばれている付近の石段を下から撮ったものです。見事な石段です。下る時はまったく苦になりませんでしたが、登るのは大変なんでしょうね。

《駿河稲荷神社》
駿河稲荷神社は山下の石鳥居より少し参道を登った左側にある久能梅林入口に鎮座しています。下る際には、この稲荷神社が見えてくるとまもなく表参道も終わりとなります。(下写真)

駿河稲荷神社は元久能山目代(代官)であった杉江家が伏見稲荷大社から勧請してお祀りしていましたが、昭和57年に現在の地に遷されたものです。
《徳音院》
急な石段を下りきって、山麓の鳥居が見えてくると鳥居に向かって参道の左手(東側)に徳音院というお寺があります。(下写真)
徳音院は、久能山東照宮が神仏習合として祀られていた江戸時代には、久能山東照宮の別当・学頭を勤めていました。久能山東照宮が神仏習合であった時代の名残りを残す寺院です。

お堂に掲示されていた「久能山徳音院縁起」に次のように書かれていました。

「徳音院は徳川家康をはじめ三代将軍に仕えた南光坊天海(慈眼大師)により開かれたお寺です。御本尊は家康ゆかりの薬師如来で、そのほか不動明王、財福聖天、厄除開運の両大師をおまつりする駿河の霊場です。徳川家康は元和2年4月17日に亡くなり遺命により久能山へ納められました。家康を神様としてお祀りするにあたり、将軍秀忠は天海の主唱する山王一実神道で東照大権現の神号をいただき、元和3年4月には天海大僧正により日光山に改葬されました。家光の代には久能山にも社殿及び寺院ができ、徳音院はその学頭として江戸時代は栄えておりました。ところが明治になって山上の寺院は取り壊されて、麗の徳音院だけが元三、慈眼両大師堂として残されました。」
《石鳥居》
山下の石鳥居は、高さ6.5メートルあります。大正4年4月17日、東照宮三百年祭を記念して奉納されました。(下写真)

下写真が石鳥居の前から見上げた久能山東照宮です。急な断崖であることがよくわかると思います。


