文京学院大学で江戸の貨幣制度についてお話しました。
昨日、文京学院大学生涯学習センターで江戸講座が開講されました。今回は、「よくわかる江戸のお金のはなし」と題して江戸の貨幣制度について話してきました。(下写真は文京学院大学の校門の写真です。)
江戸時代の貨幣制度は複雑だとよく言われます。それは、現代の貨幣制度と比較して、①金貨、銀貨、銭貨(せんか)の三種類の貨幣が公認されていたこと。②東日本では金貨が主に使用され、西日本では銀貨が主に使用されていたこと。③それぞれの貨幣の単位が異なっているうえに、金貨は十進法でなく四進法で数えられたことなどによります。
そこで、主に江戸時代の三貨制度を中心に説明しました。
三貨制度を創ったのは徳川家康です。徳川家康は、慶長5年(1600)関ヶ原の戦いに勝利し、天下の実権をほぼその手中に収めましたが、征夷大将軍に任じられるより前の慶長6年(1601)5月、慶長小判、慶長一分金、慶長丁銀、慶長豆板銀を鋳造し、全国流通を目的とした統一貨幣として発行しました。
家康は、室町時代まで全国的に流通していた銭貨をべースにして、その頃、産出が増加していた金銀を組み入れて、全国一律に適用される貨幣制度を創り上げました。
このことから、徳川家康が初めて貨幣を統一したと評価されています。こうした説明を入り口として三貨制度について詳しく説明しました。
今回のテーマは経済関係のテーマであるため、興味を持たれる方が少ないのではないかと危惧していましたが、いざ蓋をあけてみると30人弱の方が受講してくださり、大変うれしく思いました。
しかも、講義の際には、真剣に聞いてくださり、最後の質問コーナーでも多くの人に質問していただき、熱心に受講していただいたことがよくわかりました。(下写真は講義の様子です) 受講いただいた皆様ありがとうございました。
また、アンケートでも、皆さんから継続して江戸のお金の話を聞きたいという感想をいただきました。こうしたアンケート結果に感謝しつつ、江戸の貨幣制度は奥が深いので、さらに深い話ができる機会を設定したいと思いながら帰途につきました。