喜多院の鐘楼門と山門《喜多院④》(徳川家康ゆかりの地67)
徳川家康ゆかりの地として川越の喜多院のご案内をしていますが、今日は、鐘楼門と山門とをご案内します。
〈鐘楼門〉
鐘楼門は、前にご案内した慈眼堂の真東にあります。(下写真は慈眼堂の前から撮った写真です。)
2階建ての階上に梵鐘が吊るされていることから鐘楼門と呼ばれています。鐘楼門は、桁行が3間(5.45m)、梁間(はりま)が2間(3.64m)の大きさで、屋根は入母屋造りの本瓦葺です。1階をぐるりと囲っているものは袴腰(はかまごし)と呼ばれる囲いです。(下写真は境内広場から撮ったものです。)
慈眼堂側が背面で、そこには中央部分は花頭窓となっていて両脇には極彩色の花鳥の彫物を施されています。(下写真)
建立された年ははっきりとしていませんが、寛永10年(1633)に東照宮の門として鐘楼門が建立されたと「星野山御建立記」の記録にあるそうです。その頃は、東照宮は今の慈眼堂の場所にあったようで、その門として建立されたのであれば、慈眼堂の真南にあることも納得できます。
〈山門〉
山門は、喜多院の境内入口に建っていて、東側からお参りする際には、最初に目に留まる建物です。(下写真)
山門は寛永9年(1632)に天海僧正により建立されたことが棟札から分かり、寛永15年(1639)の川越大火でも焼失を免れていて、喜多院では現存する最古の建物です。国重要文化財に指定されています。
山門は、四脚門(しきゃくもん)、屋根は切妻造り、本瓦葺で、もとは後奈良天皇の「星野山」の勅額が掲げられていたといいます。
山門の北側袖には番所があります。(下写真)
間口が十尺(3.03m)、奥行1間半(4.55m)の小さな付属建物ですが、埼玉県指定の文化財です。江戸時代中期の天保年間に建てられたと考えられています。下写真は境内側から見た番所です。なお、境内側に山門と番所についての説明板が設置されています。