「銀座発祥の地」碑(江戸のお金①)
3月には文京学院大学生涯学習センターで江戸時代の貨幣制度について講義し(下写真)、4月には、毎日文化センターの「山手線一周 ~駅から気ままに江戸散歩~」で新橋駅から京橋駅まで銀座中心に案内するなど、この間、「銀座」に接する機会が何度かありました。

そこで、これから、「銀座」を中心とした江戸時代の貨幣制度について、“気ままに“書いて行きます。
銀座とは、いうまでなく、江戸時代の銀貨鋳造所です。江戸時代初期から中期にかけて現在の中央区銀座に江戸の「銀座」が置かれました。そこで、中央区銀座二丁目に「銀座発祥の地」の碑が建てられています。(下写真)

碑文には、「慶長17年(紀元2272年 西暦1612年)徳川幕府此の地に銀貨幣鋳造の銀座役所を設置す。当時町名を新両替町と称せしも通称を銀座町と呼称せられ、明治2年遂に銀座を町名とする事に公示さる。」と刻まれています。
銀座が最初に設置されたのは伏見であり、慶長6年(1601)に開設されました。その後、慶長11年(1606)に駿府にも開設されました。江戸の銀座は慶長17年(1612)に駿府の銀座が移転されて設置されたものです。
銀座は、江戸のほか、京都、大坂、長崎にも置かれました。
京都の銀座は伏見にあった銀座が慶長13年(1608)に移転したものであり、大坂の銀座は、同じく慶長13年に設置されました。大坂の銀座は生野・石見銀山で産出した銀や、粗銅から抽出した銀を京都に回送する役割を担っていした。
長崎の銀座は、慶長19年(1614)から元和の頃に開設され、銀が海外に流出するのを監視・管理する役割を果たしました。
四つある銀座のなかで、江戸と京都の銀座が江戸時代を通じて銀貨の鋳造を行ないました。
江戸の銀座は、江戸時代後期の寛政12年(1800)に蛎殻町(現在の日本橋人形町)に移転して、明治維新まで蛎殻町に存続しました。
江戸時代に銀座に関係する人々が住んでいた現在の銀座一丁目から四丁目は、 江戸時代の町名は「新両替町」であり、「銀座」という町名は通称でした。銀座が正式な町名となったのは明治2年(1869)のことでした。
なお、「新両替町」という町名は「本両替町」と対をなす町名で、「本両替町」は、金座のあった日本橋の町名でした。
下記地図の赤印が「銀座発祥の地」碑です。