東大駒場キャンパスに残る旧制一高の面影(駒場散歩①)
先日の日曜日(5月12日)に江戸検仲間で作っているグループ「獏塾友の会」の駒場散歩があり参加してきました。今回は、R@彰義隊さんの案内で、東大駒場キャンパスと旧前田家本邸を散歩してきました。R@彰義隊さんの準備万端のガイドと仲間たちとの気楽な会話で楽しい散歩となりました。皆さん、ありがとうございました。下写真は、東大教養学部正門前から写した正門と教養学部1号館です。
現在東大教養学部がある駒場キャンパスには、戦前は旧制第一高等学校(以下一高と略します。)がありました。それ以前は、駒場には東京帝大農学部がありました。一高は、もともと本郷(江戸時代には水戸家中屋敷であった土地:現在の東大農学部がある弥生キャンパス)にありました。キャンパスを本郷に集中したい東京帝大と敷地が狭くて校地を広くしたいと願っていた一高との思惑が一致して、昭和10年に本郷の一高と駒場の東京帝大農学部の土地を交換することになりました。こうした経緯を経て、戦前には駒場に一高がありました。そのため、現在の東大駒場キャンパスには、一高時代の建物が数多く残っています。それらを中心に案内してもらいました。なお、帝大農学部時代の建物は、東京大空襲や戦後の建物解体により一つも残っていないようです。そこで、日曜日の散歩の際には駒場キャンパス内の一高時代の建物や一高に関係する石碑などを中心とした案内がされました。(下写真は、学内案内図の前で東大駒場キャンパスの歴史の説明を聞く参加者たち)
東大教養学部正門(一高正門)
井之頭線駒場東大前駅東口を降りると真正面に正門があります。ここは一高正門として造られたものです。そのため、門扉には一高の校章が残されています。(下写真)
一高の校章は、「柏の葉」と「オリーブ」を図案化したもので、「柏の葉」はギリシャ・ローマ神話に登場する武神マルスの象徴といわれています。一方の「オリーブ」は学問・平和・道徳の女神であるミネルヴァ(アテネ)を象徴するものといわれています。この柏の葉とオリーブの校章は「文武両道」を意味しているといいます。門は昭和13年頃に完成したものですが、門扉は平成20年に復元されたものです。(下写真は説明を聞く参加者たち)
教養学部1号館(旧一高本館)
正門を入ると正面に見えるのが教養学部1号館です。時計台があり駒場キャンパスの象徴となっている建物ですが、旧制第一高等学校の本館でした。登録有形文化財です。昭和8年に完成したもので、設計は内田祥三(よしかず)です。内田祥三は本郷にある安田講堂も設計しており、雰囲気が安田講堂に良く似ています。(下写真は説明を聞く参加者たち)
《内田祥三(よしかず)》
内田祥三は、明治18年に東京深川に生れ、東京帝国大学を卒業し、大正10年東京帝大教授となりました。関東大震災後に東京帝大学営繕課長を兼務して、関東大震災後のキャンパス復興を主導しました。安田講堂をはじめ東京帝国大学の多くの建物を設計しています。また、昭和18年には東京帝大総長となり、学徒出陣に立ち会い、戦後のGHQとの交渉にもあたりました。昭和18年の学徒出陣に際しては、内田祥三が設計した安田講堂で東大の学徒壮行会が行われ、そこで内田祥三自身が総長として学徒たちに対して壮行の挨拶をしています。出征する東大学徒たちは安田講堂前の銀杏並木を通り皇居前まで行進し出征したそうです。内田祥三は昭和47年文化勲章を受章しましたが、その年の12月14日死去しました。87歳でした。
《護国旗レリーフ》
1号館真裏の中庭入口アーチ上部に一高の校旗「護国旗」のレリーフがあります。柏葉とオリーブの徽章の中央に「國」の字を配してあります。明治22年に校旗として制定されました。「護国旗」は文武両道をもって国を護るという一高教育の神髄を表しているそうです。(上写真)
駒場博物館(旧一高図書館)
駒場博物館は、一高時代には図書館でした。この建物も内田祥三の設計です。博物館の入り口の上部には円形の装飾がありますが、その中の十字はオリーブの文様となってます。1号館を挟んで真西には一高の講堂(現在は900番教室)がありますが、そこに柏の葉が図案化されています。一高時代には、図書館と講堂が一体として設計されていたていたようです。
この建物は、現在では駒場博物館として利用されていて、先日行った時も「日本農芸化学会創立100周年記念展」いう展覧会が開催されていました。(下写真は説明を聞く参加者たち)
駒場池(一二郎池)
キャンパスの東端に駒場池があります。この池は目黒川の水源の一つだったそうですが、現在は、流出路はないようです。(下写真が駒場池)
農学部時代には養魚場として利用されていたそうで、数少ない農学部時代の名残りです。池の別名は「一郎二郎池」といいますが、駒場には1・2年生が通学し本郷には3・4年生が通学することから、本郷にある「三四郎池」と対になった名前となっているようです。しかし、「一二郎」は「一浪・二浪」にも通じることから、この池を見た受検生は合格しないとかこれをみた学生は留年するといった言い伝えもあって、駒場池を見に来る東大生は少ないそうです。(下写真は駒場池を見ながら説明を聞く参加者たち)
900番教室(旧一高講堂)
1号館の西にある建物が900番教室で、一高時代に講堂として建設されました。1号館の東にある駒場博物館(旧一高図書館)と対になっています。正面上部の円形の装飾の中の十字ですが、駒場博物館のそれはオリーブでしたが、こちらは柏の葉となっています。(下写真は説明を聞く参加者たち)
一高ここにありき碑
900番教室の南側の空き地に「一高ここにありき」と刻まれた石碑があります。一高同窓会が、同窓会としての本格的活動を終了する際に建立されたものです。(下写真は説明を聞く参加者たち)
駒場農学碑
900番教室の南側に「駒場農学碑」があります。木陰に隠れていて見落としがちです。一高とキャンパスを交換して農学部が弥生に移る際の昭和11年に、駒場が農学発祥地であることを伝えるために建てられました。(下写真は説明を聞く参加者たち)
嗚呼玉杯之碑
「嗚呼玉杯」は、「嗚呼玉杯に花うけて」で始まる代表的な一高寮歌です。「嗚呼玉杯之碑」は、一高卒業生が昭和31年に建立したものです。一高には全寮制をとっていました。そして、毎年紀念祭が開催され、寮歌が募集され、それが歌い継がれました。「嗚呼玉杯」は、そうした一高寮歌のなかでも最も有名なもので明治35年に開催された「第12回紀念際」に作られた寮歌です。 旧一高同窓会館であった「ファカルティハウス」の庭に建っています。(下写真は碑を見ながら説明を聞く参加者たち)
東大駒場キャンパスの紹介だけでだいぶ長くなりましたので、旧前田家本邸については次回アップします。