本丸御殿の表書院は藩主が客と対面する場所(名古屋城本丸御殿②)
今回は名古屋城本丸御殿のご案内の2回目です。本丸御殿で配布されていた「名古屋城本丸御殿」のリーフレットに記載されていたの内部の平面図は次のようになっています。

これを見ると「中之口部屋」、「玄関」、「表御殿」、「対面所」、「上洛殿」、「湯殿書院」、「黒木書院」などがあります。このうち、「湯殿書院」と「黒木書院」は本丸御殿内部から行くことはできなくて、一旦外から回って「湯殿書院」の南入口にから入ることなっています。今回、私は時間がなかったため「湯殿書院」と「黒木書院」は見学しませんでした。
「中之口部屋」は、来場者の受け入れ場所で、靴箱やコインロッカーなどがあるスペースで見るべきものはありません。下写真が「中之口部屋」の部分に設けられた御殿の入り口です。

「中之口部屋」で見学の準備を整えた後、「玄関」⇒「表書院」⇒「鷺之廊下」⇒「上洛殿」⇒「梅之間」⇒「上御膳所」⇒「下御膳所」の順で見学することとなっています。
本丸御殿見学のメインは、「玄関」「表書院」「対面所」「上洛殿」です。「玄関」は、本丸御殿を訪れた人がまず通され、対面を待つ場所でした。「表書院」は、正式な謁見に用いられた本丸御殿内で一番大きな一画です。「対面所」は、藩主が身内や家臣との私的な対面や宴席に用いられた部分です。「上洛殿」は、寛永11年(1634)の3代将軍家光の上洛に合わせて増築された建物です。
これらすべてを1回で紹介すると長くなるので、今回は、「玄関」と「表御殿」だけをご案内します。
玄関は、普通の屋敷の玄関と異なり、18畳ある一之間と28畳ある二之間の2部屋からなっている広いスペースです。四周の壁や襖には、竹林と勇猛な虎や豹などが描かれているため通称「虎之間」と呼ばれました。江戸時代には、豹は雌の虎だと考えられていたそうですので、「竹林豹虎図」は竹林で遊ぶ夫婦の虎を描いたようです。
下写真は一之間です。正面の床の間に虎と豹が描かれていて、その右隣りには違棚もついています。

下写真は廊下からみた二之間です。上の写真の右手につながっています(つまり下写真の左手が一之間です)が、二之間には床や違い棚はありません。

表書院は、上段之間 (15畳)・一之間(24畳半)・二之間(24畳半)・三之間(39畳)・納戸之間(24畳)の五部屋からなっています。江戸時代には大広間と呼ばれていたようです。
上段之間は徳川義直が着座した部屋で最も奥にあります。順路としては三之間⇒二之間⇒一之間の順となっています。
下写真が三之間です。正面の壁に描かれている動物は麝香猫(じゃこうねこ)だそうです。そこから「麝香猫の間」と呼ばれていました。

二之間には花鳥図が描かれています。下写真は、一之間側の襖絵で、「槙楓椿図」と呼ばれています。

下写真が一之間です。一之間に描かれている絵は、満開の桜の木の下に雉が描かれていて「桜花雉子図(おうかきじず)」と言われています。奥に写っている部屋は上段之間です。

上段之間は、藩主が対面する部屋ですので豪華に造られています。上段之間は、床之間、付書院、帳台構(ちょうだいがまえ)が造られた典型的な書院造りとなっていいます。下写真、手前が付書院、中央が床の間、奥が帳台構となっています。床の間には大きな松が描かれています。

下写真が帳台構(ちょうだいがまえ)です。帳台構(ちょうだいがまえ)とは、辞書によると「書院造りの上段の間にあり、多くは床の間の向かって右側に設けるもの。敷居を一段高く、鴨居を低くし、襖は中央から左右に引きわけるようにし、その引き手には大きな緋総(ひぶさ)を下げる。寝殿造りの寝所の入り口が装飾化したもの。」と書かれています。帳台構には、時には武者を隠しておき、主人を護る機能もあったため、「武者隠し」とも呼ばれています。


