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徳川慶勝のお墓がある西光庵(尾張徳川家①)

徳川慶勝のお墓がある西光庵(尾張徳川家①)

 しばらく、ブログの更新できませんでしたが、昨日、新宿にある西光庵(さいこうあん)を訪ねてきましたので、その記事を書いて、久しぶりの更新とします。

西光庵を訪ねたのは、「青松葉事件」の当事者である尾張藩主徳川慶勝のお墓があるからです。西光庵で徳川慶勝のお墓参りをしてきました。

 西光庵は浄土宗のお寺で、大江戸線東新宿駅から徒歩おおよそ10分のところにあります。住宅街の一画にあるため、初めての方は事前によく調べて訪ねたほうがよいと思います。

 西光庵は「庵」という名前がついていることから「草庵」のイメージがありますが、りっぱなお寺です。(下写真は門から写した全景です。正面が庫裏で、その左手が本堂です。)

徳川慶勝のお墓がある西光庵(尾張徳川家①)_c0187004_17435962.jpg

 西光庵のパンフレットには「寺名の中では珍しい西光庵の『庵』は僧尼あるいは隠遁者の侘び住まいを意味しており、後世になると尼寺を指すようになりました。」と書いてあります。また「『庵』と号する浄土宗寺院は都内で西光庵一ヶ寺のみとなっています」とのことです。 

 ここに書いてある通り、西光庵は尼寺です。御住職も当然のことながら女性でした。

 西光庵は、江戸時代後期の文化12年(1815)に小石川伝通院の実興上人によって開山され、蓮忍法尼が初代庵主として入庵した寺院だそうです。開山当初から尾張藩徳川家の庇護があったようです。 

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墓地は本堂に向かって左手にあります。上写真が本堂です。

尾張徳川家のお墓は、その墓地の一番奥まった西の端にありました。尾張家徳川家の墓域には、徳川慶勝、正室、徳川義宜(よしのり)、そして徳川家分家のお墓が並んでいます。尾張徳川家の地元の菩提寺は名古屋の建中寺で、歴代藩主のお墓はそこにありました。(※現在は、尾張徳川家の歴代当主は愛知県瀬戸市の定光寺の徳川家納骨堂に葬られているようです)

西光庵が尾張徳川家の東京の菩提寺となったのは、お参りした際に頂戴した『西光庵開山に百年史』によれば、明治8年だったようです。

 徳川慶勝のお墓は一番奥まったところにあります。墓碑には「従一位勲二等徳川慶勝卿墓」と刻まれています。

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 徳川慶勝のお墓の左隣(南側)には正室矩姫(かねひめ)のお墓です。墓碑には「貞徳院殿恭蓮社寛誉和厚大禅定尼」と刻まれています。矩姫は二本松藩主丹羽長富の三女として生まれ、19歳で慶勝に輿入れし、明治35年に71歳で亡くなっています。

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 矩姫の墓の左隣には、16代藩主徳川義宜(よしのり)のお墓があります。義宜(よしのり)は、慶勝の三男として生まれましたが、兄たちが夭逝していたため6歳で家督を継ぎましたが、明治8年(1875)、18歳の若さでなくなりました。

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 なお、徳川慶勝の遺骨は、昭和28年に愛知県瀬戸市の定光寺の初代徳川義直霊廟脇に造られた徳川家納骨堂に改葬されていますが、墓碑等は原形のまま残されたものだそうです。おそらく、正室矩姫と徳川義宜(よしのり)お二人も改葬されているもと思います。 

 徳川慶勝は、子だくさんでした。しかし、男の子の多くが幼くして亡くなっています。15代藩主となった義宜(よしのり)も明治8年に18歳で亡くなってしまったため、高松松平家の義礼(よしあきら)を養子としました。その後、十一男義恕(よしくみ)が産まれました。そこで、 義恕(よしくみ)は分家を創設し男爵となりました。その徳川分家のお墓が尾張徳川家の南側にあります。(下写真)墓碑には「徳川氏之墓」と刻まれています。

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 墓碑の右手にある墓誌を見ると、昭和11年から昭和天皇の侍従をつとめ、昭和60年から昭和~63年に侍従長をつとめた徳川義寛の名前もありました。徳川義寛は徳川義恕(よしくみ)の長男です。


 墓地の入り口左手に高須松平家の墓域があります。高須松平家は徳川慶勝の生家です。

 ひときわ目出つ大きなお墓が13代藩主松平義勇(よしたけ)のお墓です。

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松平義勇(よしたけ)は、10代藩主松平義建の十男で、徳川慶勝の異母弟です。高須松平家は、10代の義建の後、11代松平義比(よしちか)12代松平義端(よしまさ)13代松平義勇(よしたけ)と続きます。11代松平義比(よしちか)は兄で尾張藩主であった慶勝が安政の大獄で隠居を命じられたため、尾張藩主となり徳川茂徳(もちなが)と改名します。そして義比(よしちか)の子供が高須藩主となります。それが12代義端(よしまさ)です。しかし、義端(よしまさ)は万延元年(1860)に3歳で亡くなったため、。松平義勇(よしたけ)13代藩主となりました。義勇(よしたけ)は、明治2年に病により家督を養嗣子の義生(よしなり)に譲り、明治24年、31歳で亡くなりました。墓碑には「従五位松平義勇之墓」と刻まれています。

 松平義勇(よしたけ)の墓の手前には合祀墓があります。

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 その手前に建てられている墓誌をみると初代から12代までの歴代高須松平家の当主の戒名が刻まれ、14代以降は当主および令室の戒名が刻まれています。

 高須松平家は、高須(岐阜県海津市)に行基寺という菩提寺があるので、西光庵は東京(江戸)の菩提寺ということです。西光庵は文化12年(1815)に創建されていて、高須松平家初代の松平義行は正徳5年(1715)に亡くなっているので、その頃の菩提寺は、西光庵でなかったと思います。当時の菩提寺がどこであるか調べましたが、確かなことはわかりませんでした。ただし、私自身は、港区虎ノ門にある天徳寺がもともと江戸の菩提寺であったのではないかと推測しています。 

 下地図の中央が西光庵です。



by wheatbaku | 2024-09-16 20:00 | 江戸の大名

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