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秋山真之の少年時代(スペシャルドラマ「坂の上の雲」①)

秋山真之の少年時代(スペシャルドラマ「坂の上の雲」①)

 スペシャルドラマ「坂の上の雲」の放映が202498日より開始されました。このドラマは司馬遼太郎原作の「坂の上の雲」をドラマ化したもので、2009年から2011年までの3年間、毎年年末に放映されたものの再放送です。当時の大河ドラマは、11月末で終了し、12月には「坂の上の雲」が放映されました。90分ものが全13回でしたので、大河ドラマ半分に見合う大規模なテレビドラマでした。

 私も毎年、毎回、楽しみにみていました。今回、再放送されることになったので、可能な限りコメントしていこうと思います。

「坂の上の雲」の主人公は伊予松山出身の3人の青年です。その三人とは、秋山真之、秋山好古、正岡子規です。秋山真之は、成人して海軍に入り、日本海海戦では東郷平八郎大将のもとで参謀としてT字戦法を考案し、世界最強と呼ばれたバルチック艦隊を破りました。また真之の兄秋山好古は、陸軍に入り騎兵隊司令官となり、日露戦争で、勇猛さを謳われたロシアのコサック騎兵隊を打ち破る軍功を挙げました。正岡子規は、いうまでもありませんが、明治の俳壇・歌壇に革新を起こしました。正岡子規は、秋山真之の同級生でした。

この三人を中心に日本を近代化し欧米に伍していける強国に作り上げる人々が描かれる非常に壮大なドラマです。

秋山兄弟を主人公としたことについて司馬遼太郎自身が原作の中で語っていますので、少し長くなりますが引用しておきます。

「余談ながら、私は日露戦争というものをこの物語のある時期から書こうとしている。

小さなといえば、明治初年の日本ほど小さな国はなかったであろう。産業といえば農業しかなく、人材といえば三百年の読書階級であった旧士族しかいなかった。この小さな、世界の片田舎のような国が、はじめてヨーロッパ文明と血みどろの対決をしたのが、日露戦争である。

その対決に、辛うじて勝った。その勝った収穫を後世の日本人は食いちらしたことになるが、とにかくこの当時の日本人たちは精一杯の智恵と勇気と、そして幸運をすかさずつかんで操作する外交能力のかぎりをつくしてそこまで漕ぎつけた。いまからおもえば、ひやりとするほどの奇蹟といっていい。

その奇蹟の演出者たちは、数え方によっては数百万もおり、しぼれば数万人もいるであろう。しかし小説である以上、その代表者をえらばねばならない。

その代表者を、顕官のなかからはえらばなかった。

一組の兄弟にえらんだ。

すでに登場しつつあるように、伊予松山のひと、秋山好古と秋山真之である。この兄弟は、奇蹟を演じたひとびとのなかではもっとも演者たるにふさわしい。」

原作は、文春文庫8冊にもなる長編ですが、原作を読むと、テレビドラマがより楽しくなると思います。お時間のある方には原作をお読みになるようお勧めします。

秋山真之の少年時代(スペシャルドラマ「坂の上の雲」①)_c0187004_15493649.jpg

さて、98日放映の第1回は、真之の誕生から正岡子規の上京までが描かれていました。

 まず、秋山真之・好古兄弟の両親について書いてみます。

二人の父親は、秋山平五郎久敬といって江戸時代には松山藩の歩行(かち)目付でした。寛容で衆望の厚い人だったようで、はじめは普通の歩行(かち)でしたが、知恵者でもあったので歩行(かち)目付にまでなったようです。久敬は晩年になると室内でも頭巾をかぶっていたようです。写真でも頭巾をかぶっていますし、『坂の上の雲』でも頭巾をかぶっています。久敬は「親があまり偉くなると子供が偉くならないからなぁ」と言っていたようで、これが秋山兄弟に対する教育方針であったそうです。

母貞は旧松山藩士山口正貞に二女として生まれ、五男一女の子供をもうけました。好古は三男、真之は五男でした。母は男子には自ら四書五経の素読をさせ、女子には炊事から裁縫までを教えたそうです。

 秋山真之にとっては、母貞は厳しい母だったようです。

 少年時代の真之は、ドラマで描かれていたように、ガキ大将でよく喧嘩をして相手の子供を泣かし、その都度相手の子供の親たちから抗議が持ち込まれ、貞がお詫びをしていました。ある時、貞は真之を招いていきなり短刀を突き付け、「お母さんもこれで死ぬからお前もお死に」と諭したといいます。この話はドラマでも描かれていましたが実話のようです。しかし、真之は、この母を非常に大切にして、自身の結婚相手について、貞の気に入ることが条件だったそうです。下写真は海軍大佐時代の秋山真之です。

秋山真之の少年時代(スペシャルドラマ「坂の上の雲」①)_c0187004_15500848.jpg
                                         「国立国会図書館所蔵」

 真之の兄の秋山好古は安政6年(1859)に生れました。秋山家の三男として生まれています。真之が生まれた際、父と母が生活が苦しいから寺に出そうと話をしていると隣の部屋でこれを聞いていた好古が「お父さん、待ってくれ。今に私が大きくなったら豆腐ほどの儲けをしてやるから」と両親にお願いし、この健気な言葉が真之が寺にやることを押しとどめたと言います。豆腐ほどというのは豆腐ほどの厚みの紙幣という意味だそうです。

 松山での好古の少年時代は、ドラマで描かれていたように、風呂屋の手伝いなどをして家計をたすけていましたが、大坂に学費無料の大阪師範学校ができると聞いて明治8(1875)18歳の時に大阪に出て大阪師範学校に入学しました。それ以降の好古については、真之が10歳の時には士官学校に入った好古が帰郷して、真之を中学校に行かせてくれと頼む場面のみが描かれているだけでしたが、原作には丁寧に書かれています。好古は、明治9年大阪師範学校を卒業し大阪の小学校の教員となりましたが、明治10年(1877)に教職を辞し、陸軍士官学校に入校し、明治12年(1879)陸軍士官学校を卒業して騎兵少尉に任官し、明治16年に陸軍大学校に入校しています。下写真が将軍(おそらく大将)時代の秋山好古です。

秋山真之の少年時代(スペシャルドラマ「坂の上の雲」①)_c0187004_15502927.jpg
                                      「国立国会図書館所蔵」

 

 以上、長くなりましたので、第1回についてはこの辺にして、第2回については次回書こうと思います。

この記事を読んでドラマ『坂の上の雲』に興味を持たれた方、9月8日第1回の見逃し配信は終わってしまいましたが、915日放映の第2回はまだNHK+で見ることができますのでそちらでご覧ください。





by wheatbaku | 2024-09-18 15:30 | スペシャルドラマ「坂の上の雲」

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