尾張徳川家の菩提寺~建中寺~(尾張徳川家②)
今週初めに、所用があり名古屋に行ってきました。その際に、尾張徳川家の菩提寺である建中寺を訪ねてきました。
建中寺は、尾張徳川家の菩提寺でしたので、歴代藩主のお墓がありましたが、現在は、歴代藩主のお墓は改葬されていて、2代徳川光友のお墓が残されているだけですが、尾張徳川家ゆかりのお寺ですので訪ねてきました。下写真は建中寺の本堂です。

建中寺は、名古屋市営地下鉄桜通線の「車道(くるまみち)駅」から徒歩10分でした。
建中寺は慶安3年(1650)に亡くなった初代尾張藩主徳川義直の菩提を弔うため、第2代藩主徳川光友が、翌慶安4年(1651)に創建した寺院で、徳川光友自身も埋葬されており、以降、尾張徳川家代々の菩提寺でした。
なお、初代藩主徳川義直は、愛知県瀬戸市の定光寺脇の源光廟に埋葬されています。
創建当初、建中寺の境内地は約5万坪(165,000㎡)の広大な敷地があり、諸堂伽藍が建ち並んでいましたが、現在は、約1万坪の境内となっています。元々の境内地は、現在は東区役所、名古屋市立あずま中学校、名古屋市立筒井小学校、東海学園東海中学校・高等学校園などとなっています。
また、現在の境内の南側は、建中寺公園となっていますが、戦後の区画整理前までは公園までが建中寺の境内でした。公園の南端に建中寺の総門が残されています。
下写真は総門の写真ですが、寺号標に刻まれているように、山号は「徳興山」と言います。山号にも徳川家との関係の深さを感じさせるものがあります。

建中寺公園を通り過ぎると正面に三門が現れますが、三門から北側が現在の建中寺の境内となります。現在の境内図は下記図の通りです。

建中寺には創建当時の総門・三門を始め、天明年間に再建された本堂のほか多くの建築物がありますので、以下、順に紹介します。
総門は、慶安4年(1651)創建当時の建物で、総欅造りの三間薬医門の様式で本瓦葺きです。(下写真)

三門は、慶安4年(1651)創建当時の建築物で、総檜造り三間重層門の建築様式で、本瓦葺きで、名古屋市指定文化財です。
三門は別名山門とも表記しますが、この場合は徳興山という山号に因んだ名称で、徳興山の門という意味だそうです。
三門の二階には、釈迦牟尼仏を中心として十六羅漢の像が祀られているようですが、普段は公開されていません。

三門を抜けると正面に本堂が見えます。この本堂は天明7年(1787)大火の後に再建されたもので、入母屋造り本瓦葺きで、間口15間(27m)奥行14間(25.2m)建坪210坪(700㎡)の巨大な木造建築で、現在名古屋市内の木造建築物としては最大のものだそうです。名古屋市指定文化財です。下写真は三門から見た本堂です。

本堂内に鎮座する本尊阿弥陀如来は、開山の開山廓呑上人が結城弘経寺から招来された、止利仏師作と伝えられる中品中生の印を結ばれた大変貴重な仏像だそうですが、撮影禁止です。下写真は、ご本尊様が写らないように撮影した本堂内の様子です。

〈不動堂〉
本堂に向かって左手側手前に不動堂があります。昭和44年(1969)の再建されたものですが、本尊不動明王は、江戸時代から尾張徳川家戦勝祈願の秘仏として伝えられてきたもので秘仏は非公開です。

〈開山堂〉
不動堂の本堂よりに開山堂があります。棟札によると、火災消失の後天明6年(1786)に再建された寄せ棟造り桟瓦(さんがわら)葺き総欅造りの建物です。
堂内には本尊阿弥陀如来を中心として建中寺の開山上人中興上人の木像を安置し、代々の住職の位牌が祀られているそうです。

〈鐘楼〉
本堂に向かって右手(東側)手前に鐘楼があります。天明七年の再建で、入母屋造り本瓦葺き、台形の袴腰つきの建築様式で、名古屋市指定文化財です。
鐘楼には五百貫の(1,923㎏)の梵鐘がつるされていますが、この梵鐘には林道春(羅山)の銘が刻まれていたため、戦時中の供出を免れたそうです。

〈経蔵〉
本堂に向かって右手(東側)奥に経蔵があります。宝形造り本瓦葺きの建物で
名古屋市指定文化財です。棟札によると文政11年(1828)建立です。

〈源正公(げんしょうこう)廟〉
建中寺は、尾張徳川家の菩提寺でしたので、歴代藩主が埋葬され、そのお墓もあったようです。しかし、現在では、歴代藩主のお墓は改葬され、愛知県瀬戸市にある定光寺脇の徳川家納骨堂に納められているそうです。
そうした中で、第2代藩主徳川光友のお墓だけが残されていて、「源正公廟」と呼ばれています。
源正公廟は公開されていませんが、唐門を見ることができます。唐門は徳川光友が亡くなった翌年の元禄14年(1701)に建築されたものです。

〈御霊屋〉
本堂の真後ろに、建中寺では御霊屋(ごれいや)と呼んでいる建物がある位牌堂があります。ここは非公開です。下写真は、 源正公廟への参道から写した写真です。ここには歴代藩主のお位牌が納められていて、毎日、御回向が行われているそうです。

〈御成門〉
建中寺は、東側に幼稚園を併設していますが、その幼稚園の南側―三門の東側に御成門があります。元々は、5代藩主徳川五郎太の霊廟の門だったそうです。五郎太は4代藩主徳川吉通の嫡男で父吉通が若くして亡くなったため3歳で5代藩主となりましたが、相続後わずか2か月で亡くなりました。現在は賓客をもてなす門として移築されています。

下地図の中央が建中寺です。