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夏目鏡子『漱石の思い出』を読む

夏目鏡子『漱石の思い出』を読む

夏目漱石は幼少の頃に内藤新宿に住んでいたことを調べているうちに『漱石の思い出』を読むたくなり、この間『漱石の思い出』を読んでいましたが、ようやく読了しましたので、気づいたこと等を書きます。

『漱石の思い出』は、漱石の妻夏目鏡子が語った話を漱石の娘婿(長女筆子の夫であり漱石晩年の弟子)である松岡譲が書き留めたものです。

 『漱石の思い出』は、400ページを超える分量(その構成は最下段目次参照)がありますが、漱石の生い立ちから死ぬまでの二人の様子、さら日常の漱石の様子が詳しく書かれています。

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これを読むことにより、明治の文豪夏目漱石が、隣にいる身近な人に感じられるようになりました。

 『漱石の思い出』を読んでみて、「そうか!」と初めて知ったことや気が付いたことが多々ありました。そこで、私なりに気がついたこと等を目次に沿ってアットランダムに書いてみます。なお、全体の目次は、後記しておきましたので、ご参照下さい。

 『漱石の思い出』は冒頭が「松山行」で、漱石が松山中学校に赴任した事情について書いていますが、まず「二 お見合い」の中で初めて知ったことから書いてみます。

 ◆漱石の妻鏡子は、当時貴族院書記官長であった中根重一の長女で、漱石と鏡子のお見合いは、明治281228日、松山から上京してきた漱石が、当時虎ノ門の官舎に住んでいた中根家を訪ねて行われた。 「二 お見合い」p22

 ◆結婚式は、熊本で行われたが、新郎新婦のほかは、鏡子の父中根重一が出席しただけで、鏡子と重一についてきた中根家の女中が三々九度の盃をまわした。「三 結婚式」p32

鏡子は、昔から朝寝坊で、早起きをしようと努力するが、非常につらく、朝ご飯を食べさせずに学校に出すことも時々あった。「三 結婚式」p35

漱石が養子に行った養母の塩原やすから金を工面してほしいと長い手紙が届き、漱石の養子の頃の話を聞いた。「七 養子に行った話」p62

漱石は、鏡子と結婚した翌年の正月には五高の友人山川信次郎と一緒に熊本の西北にある小天(おあま)温泉で過ごした。この小旅行が『草枕』の題材となっている。「八 『草枕』の素材」p69

長女は筆子というが、これは鏡子が字が下手であったため、娘は字が上手になるようにという願いを込めて「筆」となづけた。「十 長女誕生」p86

漱石はロンドンに出発する際に「秋風の一人を吹くや海の上」という句を残していった。鏡子は、これを床の間の横に架けておいた。しかし、漱石は帰朝した際にびりびりに裂いて捨ててしまった。「十三 洋行」p100

ロンドンに留学中に漱石はしばしば手紙を留守宅に出したが、返事を催促されても筆不精の鏡子は返事を書くことができなかったので、一工夫して長女筆子の日記という形で近況を知らせたら漱石は非常に喜んだ。「十四 筆の日記」p102

子規が亡くなる前に一度だけ、鏡子は子規のお見舞いのため、子規庵を訪ねている。「十七 帰朝」p118

留学から帰って3日目か4日目に、理由なく長女の筆子が殴られるという事件が起きた。 この部分は、そのまま引用しておきます。

「長女の筆子が火鉢の向こう側にすわておりますと、どうしたのか火鉢の平べったいふちの上に五厘銭が一つのせてありました。へつにこれを筆子が持って来たのでもない、またそれをもてあそんでいたのでもありません。ふとそれを見ますと、こいついやな真似をするとか何とかいうかと思うと、いきなりびしやりとなぐったものです。何が何やらさっばりわかりません。筆子は泣く、私もいっこう様子がわからないから、だんだんたずねてみますと、ロンドンにいた時の話、ある日街を散歩していると、乞食があわれっぽく金をねだるので、銅貨を一枚出して手渡してやりましたそうです。するとかえってきて便所に入ると、これ見よがしにそれと同じ銅貨か一枚便所の窓にのってるというではありませんか。小癪な真似をする、常々下宿の主婦さんは自分のあとをつけて探偵のようなことをしていると思っていたら、やっばり推定どおり自分の行動は細大洩らさす見ているのだ。しかもそのお手柄を見せびらかしでもするように、これ見よがしに自分の目につくところにのっけておくとは何といういやな婆さんだ。実にけしからんやつだと憤慨したことがあったのだそうですが、それと同じような銅貨が、同じくこれ見よがしに火鉢のふちにのっけてある。いかにも人を莫迦にしたけしからん子供だと思って、一本参ったのだというのですから変な話です。」「十七 帰朝」 p120

 ◆漱石は熊本第五高等学校から留学したので、帰朝したら五高に戻らなければならなかったが、漱石は東京に止まりたいと希望したため、紆余曲折があったもののともかく東京に止まることができた。「十七 帰朝」p121

 ◆『吾輩は猫である』の猫は、夏目家にどこからともなく入り込んだ猫であった。捕まえるたびに外につまみだしていたが、いつのまにか家の中に入ってきた。ある日、やってきたあんまに足の爪まで黒いこの猫は福猫だいわれて飼いだした。「二十四 『猫』の話」p153

漱石が小説を書き始めた初期は、小説を書くのが楽しそうで、書くのも短時間で書いていた。『坊ちゃん』『草枕』は書き始めて5日か1週間で書いていたように思う。「二十四 『猫』の話」p159

『吾輩は猫である』の重要人物の「苦沙弥先生(くしゃみせんせい)」と「迷亭(めいてい)」は漱石自身が持っている性格を二人に分けて書いたようである。「二十四 『猫』の話」p167

四女愛子が生れた時は産婆が間に合わず、漱石が取り上げた。「二十七 生と死」p178

夏目は涙もろい性(たち)で、人の気の毒な話などにはすぐ同情してしまうほうだったし、また頼まれれば欲得を離れて、かなり骨折って何かとめんどうを見る質の人であった。「二十九 朝日入社」p192

『虞美人草』を書いている頃、総理大臣西園寺公望から西園寺主催の文士の会合への招待があったが、ハガキにお断りの俳句を書いて謝絶してしまったことがあった。「二十九 朝日入社」p196

漱石は長年胃の具合が悪く、長与胃腸病院で胃潰瘍と診断され、入院したが、まもなく退院し、療養のため伊豆の修善寺の菊屋旅館に転地療養した。しかし、体調が悪化し大量の血を吐き、脈が止まるという危篤状態に陥いった。付き添いの森成麟造医師らの懸命の治療により一命をとりとめた。漱石が吐血した際には鏡子の着物の胸から下が真っ赤に染まるほどだったと書いてある。「三十七 修善寺の大患」p228

修善寺大患の時に、親友である満鉄総裁の中村是公(よしこと:通称ぜこう)が、療養していた宿の宿泊代などの支援をしてもらった。中村是公は、漱石の大学以来の親友「四十一 病院生活」p263

文部省が文学博士号を贈るといってきたのに対して断固として受け付けなかった。「四十二 博士号辞退」p274

漱石はお金には恬淡でのんきであった。鏡子が紙入れにいくらか入れておいても、それがいくら入っているか知らない様子であった。誰かが来て泣きついて金を借りていったり、自分で好きな書画骨董を買う程度であった。「四十三 良寛の書など」286

娘たちに小説を読ませるのは大嫌いで、ほどんど厳禁であった。「四十九 私の迷信」p318

 岩波書店は当初は微々たる出版社で、時々お金を融通していた。岩波書店で最初に出版したが『こころ』であるが、その費用は岩波で用立てできなかったため、漱石が自費で出版した。「五十三 自費出版」p341

漱石が亡くなる前の1年間の木曜会には午前中から中央公論の名編集者でもあった滝田樗陰(ちょいん)がやってきて、盛んに書画を描かせた。漱石は頼まれればよく書画を書いたが、鏡子自身が書いてもらったものはほとんどない。「五十八 晩年の書画」p378

 漱石が亡くなった際に、鏡子から遺体の解剖を願い出た。これは五女雛子が幼くして亡くなった後に、死因を明らかにするには解剖したほうが良かったと後悔しいたからだという。「六十一 臨終」p410

 漱石のデスマスクを残そうと言い出したのは森田草平である。「六十一 臨終」p411

 漱石が亡くなった際に、雑司ヶ谷霊園に埋葬した。これは、五女雛子が亡くなった際に雑司ヶ谷にお墓を建てていたことによる。その後、雑司ヶ谷霊園が拡大され、新墓地が出来た際に、現在地に移転した。安楽椅子型のお墓は、鏡子の妹婿の鈴木禎次(ていじ)が設計した。「六十四 その後のことども」p437


《参照》『漱石の思い出』 目次

一 松山行  二 見合い  三 結婚式  四 新家庭  五 父の死 六 上京  七 養子に行った話  八 「草枕」の素材  九 書生さん  長女誕生  十一 姉さん  十二 犬の話 十三 洋行 十四 筆の日記 十五 留守中の生活 十六 白紙の報告書 十七 帰朝 十八 黒板の似顔 十九 別居 二十 小刀細工 二十一 離縁の手紙 二十二 小康 二十三 「猫」の家 二十四 「猫」の話 二十五 ありがたい泥棒 二十六 「猫」の出版 二十七 生と死 二十八 木曜会 二十九 朝日入社 三十 長男誕生 三十一 最後の転居 三十二 坑夫 三十三 謡の稽古 三十四 いわゆる「煤煙」事件 三十五 猫の墓 三十六 満韓旅行 三十七 修善寺の大患 三十八 病床日記 三十九 経過 四十 帰京入院 四十一 病院生活 四十二 博士号辞退 四十三 良寛の書など 四十四 善光寺行 四十五 二つの縁談 四十六 朝日講演 四十七 破れ障子 四十八 雛子の死 四十九 私の迷信 五十 のんきな旅 五十一 二度めの危機 五十二 酔漢と女客 五十三 自費出版 五十四 芝居と角力 五十五 京都行 五十六 子供の教育 五十七 糖尿病 五十八 晩年の書画 五十九 二人の雲水 六十 死の床 六十一 臨終 六十二 解剖 六十三 葬儀の前後 六十四 その後のことども 



by wheatbaku | 2025-06-19 20:00

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