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小栗信由・小栗信友の墓〔大宮普門院②〕 《小栗上野介ゆかりの地2》

小栗信由・小栗信友の墓〔大宮普門院②〕 《小栗上野介ゆかりの地2》

 大宮の普門院の小栗忠政一族の墓の中には忠政の二男小栗信由(のぶよし)と三男信友の墓の墓もあります。今日は、この二人について書いてみます。

小栗信由の墓(下写真が忠政の二男信由の墓です)

小栗信由・小栗信友の墓〔大宮普門院②〕 《小栗上野介ゆかりの地2》_c0187004_19000792.jpg

信由は、『寛政重修諸家譜』によれば、徳川家康に仕え、大坂冬の陣・夏の陣で功績をあげており、元和2年に父の采地のうち武蔵国足立郡で550石を拝領し、後に200石を加増され、都合750石となったと書いてあります。

信由が大成(おおなり)を治めたことから、信由の系統は代々普門院を菩提寺としており、普門院には、二代信政、三代信行、四代信倚(のぶより)、五代信霽(のぶはる)、六代信崇(のぶたか)、八代信任の墓が現存しています。

下写真が小栗一族のお墓群です。写真の最左端の笠塔婆形の墓石が小栗信由のお墓です。 その右隣の板碑型の墓石が信友のお墓で、さらにその右手に続く笠塔婆型の墓石が信由家の歴代当主のお墓です。

小栗信由・小栗信友の墓〔大宮普門院②〕 《小栗上野介ゆかりの地2》_c0187004_19004098.jpg

ところで、小栗信由の通称は仁右衛門ですが、インターネットで小栗仁右衛門を検索すると『講談社デジタル版日本人名大辞典+Plus』 に次のように書かれています。

「小栗仁右衛門おぐりにえもん 15891661 江戸時代前期の武士,武術家。

天正17年生まれ。徳川家康・秀忠につかえて小姓組番士となる。柳生門下で,『鞠身(きくしん)』といわれる秘術で知られる小栗流和(やわら)術の祖。門人に山鹿素行、朝比奈可長(よしなが)がいる。寛文元年66日死去。73歳。三河(愛知県)出身。名は正信(一説に信由)。」

 小栗流とは、坂本龍馬が高知で習っていた武術・剣術としてよく知られています。

 また『ウィキペディア(Wikipedia)』の「小栗正信」の項で、「通称は仁右衛門。諱は信由(のぶよし)とも」として、同様な内容が書かれています。

 これらによれば、小栗信由は、通称が仁右衛門で、本名は小栗正信とも呼び、小栗和(やわら)術の創始者とだされています。本当であれば、小栗信由は坂本龍馬とも縁があることとなり、興味深いことになります。

 しかし、『寛政重修諸家譜』では、小栗信由の通称は仁右衛門ですが、その別名が正信とは書かれていませんし、武道家だったとは一言も書いてありません。『寛政重修諸家譜』は小栗家が幕府に提出した由緒書に従って書かれているものです。その『寛政重修諸家譜』に書かれていないので、この件については、私自身は現時点では確証がありません。また機会があったら調べてみようと思います。


小栗信友の墓(下写真が忠政の三男信友の墓です)

小栗信由・小栗信友の墓〔大宮普門院②〕 《小栗上野介ゆかりの地2》_c0187004_19010193.jpg

 上記の小栗一族のお墓群の写真の説明の中で、最左端の笠塔婆方のお墓が小栗信由のお墓で、その右隣の板碑型のお墓が小栗信友のお墓だと説明しましたが、小栗信友のお墓は板碑型で、信由系の当主のお墓が笠塔婆型であるのと比べて、少し違和感があり、板碑型のお墓が信友のお墓なのか疑問に思いました。そこで少し調べてみました。

『寛政重修諸家譜』で確認してみると信友が亡くなったのが「天和元年六月八日」、法名は「夢成」と書かれています。

 墓石の表面もかなり薄れていますが、よく見てみると延宝九辛酉月八〇と読めました。(※延宝9929日に「天和」に改元されています。そのため、信友が亡くなった時点での元号は『延宝』です。『寛政重修諸家譜』には天和元年とされていますが、改元の日にちまで厳密に考えなかったことから延宝9年を天和元年としたものと思います。) さらに法名の「夢成」も墓石に刻まれているように思われました。 

 そうしたことから、信由の右隣のお墓が信友のお墓だと判断しました。〔万が一間違いでしたらお許し下さい。〕

 さて、信友は忠政の三男として生まれ、『寛政重修諸家譜』によれば、2代将軍徳川秀忠に仕え、大坂冬の陣・夏の陣に小姓組の番士として出陣し、戦後三百三十石を拝領して、のちに五百五十石に加増されています。信友の系統も代々続きますが、子孫のお墓は普門院ではなく、麹町福寿院にありました。福寿院は、現在は杉並区高円寺南2丁目に移転しています。

 千代田区の水道橋駅近くに「小栗坂」という坂があります。 江戸時代の「切絵図」にも「小栗坂」と書かれていますので、江戸時代から「小栗坂」と呼ばれていたようです。下図の上部の緑色の部分が神田川で左端が水道橋です。その右が神田川に架かっていた神田上水掛樋(かけひ)です。その中間の南側に「小栗坂」があります。下地図の赤で囲った部分です。

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 千代田区が設置した標示板には「千代田区内に多く存在する人名にちなんで名付けられた坂道の一つで、江戸時代の初めに、坂下の路地を入ったところに七百三十石取りの旗本小栗家の屋敷があったことから名付けられました。」と書かれています。(下写真)

小栗信由・小栗信友の墓〔大宮普門院②〕 《小栗上野介ゆかりの地2》_c0187004_09302260.jpg

 しかし、以前の説明板には、現在のものより詳しく説明がされていて、小栗坂という名前は江戸時代の初期に小栗信友の屋敷があったことにより命名されたようです。
「この坂を小栗坂といいます。『江戸惣鹿子名所大全』には「小栗坂、鷹匠町にあり、水道橋へ上る坂なり、ゆえしらず」とあり、『新撰東京名所図会』には「三崎町1丁目と猿楽町3丁目の間より水道橋の方へ出づる小坂を称す。もと此ところに小栗某の邸ありしに因る」とかかれています。明暦3年(1657)頃のものといわれる江戸大絵図には、坂下から路地を入ったところに小栗又兵衛という武家屋敷があります。この小栗家は『寛政重修諸家譜』から、七百三十石取りの知行取りの旗本で、小栗信友という人物から始まる家と考えられます。 昭和50年(19753月 千代田区」

 


[補足】〈『寛政重修諸家譜』に載っている小栗一族〉

 『寛政重修諸家譜』を読んでみると多くの小栗家が記載されています。そこで、小栗一族がどのような関係なのか調べてみました。

数えてみると後記の9家の小栗家が記載されていました。ただし、そのうちの後記の最下段❾の小栗吉次家は、江戸時代前期の天和年間に改易されていますので、『寛政重修諸家譜』を編纂した時代には小栗一族は8家あったということになります。

 [ ]に書かれた名前が、『寛政重修諸家譜』の筆頭に載っている人物名です。

 ❶ 1[吉忠-忠政] 小栗一族の本家。

        小栗上野介忠順は小栗本家の12代当主です。

 ❷ 2[信由]忠政の二男 通称二右衛門 

 ❸ 2-1[信則(のぶのり)]信由の二男 通称源之助・又左衛門 

 ➍ 3[信友]忠政の三男 通称又兵衛

 ❺ 3-1[信常] 信友の三男 半蔵 甚兵衛

 ❻ 3-2[信盛] 信友の四男

 ❼ 3-2-1[信伊(のぶただ)] 信盛の二男

 ❽ 4[忠次] 忠政の四男 半右衛門

 ❾ 1-1[吉次] 小栗仁右衛門吉忠の二男 長男は忠政


                       以  上




by wheatbaku | 2026-06-12 20:30 | 小栗上野介

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