今日は、高野長英の最後の地(青山百人町)の近くにある 青山善光寺にある「高野長英の碑」 を紹介します。
その前に、昨日の記事に追加です。高野長英を捕らえたのは、南町奉行所の与力・同心ですが、これを指揮した南町奉行は遠山左衛門尉景元すなわち「遠山の金さん」 でした。

青山善光寺は、東京メトロ「表参道」駅から3分のところにあります。
信州善光寺の東京別院です。
慶長6年(1601)徳川家により谷中に信州善光寺の別院として設けられましたが、火事で焼失したため、現在の青山に移されました。
高野長英の最期の地である「青山スパイラル」からは約400メートル、歩いて5分で到着します。
【高野長英の碑】
高野長英の名誉が回復されたのは没後48年たった明治31年のことで、正四位が授与され、北青山の善光寺には勝海舟の撰文による顕彰碑がつくられました。

善光寺の山門を入り、本堂に向かって左手の築山のなかに建っています。
撰文をした勝海舟は、高野長英と会ったことがあるという話も伝えられています。
「長英逃亡」の中にも、高野長英と勝海舟が会う場面が取り入れられています。
【碑文】 碑には次のように書かれています。
高野長英先生

その間に多くの門人を教え又訳書や著書八十余を作ったが「夢物語」で幕府の疑いを受け遂に禁獄の身となり四十七才で不幸な最後をとげた 最後の処は今の青山南町六丁目四三の隠れ家で遺体の行方もわからなかったが明治参壱年先生に正四位が贈られたので同郷人等が発起してこの寺に勝海舟の文の碑を建てた処昭和戦災で大部分こわれた
よってここに残った元の碑の一部を保存し再建する
昭和三十九年十月