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2014年 05月 17日 ( 1 )
「囚われの軍師」(大河ドラマ「軍師官兵衛」第20回)
 今回の「軍師官兵衛」は、「囚われの軍師」です。
 叛旗を翻した荒木村重の説得のために有岡城に入った官兵衛は、村重に囚われてしまいました。

 荒木村重の反逆に対して、織田信長は天正6年11月安土城から出馬します。
 総勢5万の軍勢で、荒木村重の守る有岡城をはじめ高槻城や茨木城を包囲しました。
 しかし、織田信長は、ひたすら力攻めという戦いはしませんでした。
 織田信長は高山右近と中川清秀に対する調略を行いました。
c0187004_13432265.jpg 高山右近が守る高槻城は要衝の地でした。(右写真はウィッキペデイアより)
 また、中川清秀は猛将でした。
 そのため、力攻めをすれば多くの犠牲がでると考えたからです。
 
 高山右近はキリシタンでした。
 そこで、宣教師のオルガンチーノを説得に向かわせました。
 そして、右近が降伏しなければ、キリスト教を弾圧し、宣教師とキリシタンを皆殺しにすると脅迫しました。
 高山右近は、妹と息子を人質として有岡城に差し出していました。
 右近が信長に味方すれば、人質の妹と息子は殺害されてしまいます。
悩みぬいた高山右近は、信長にも村重にも味方せず、神に仕えるために、城主の地位を棄て、家族も捨てて、紙衣一枚で城を出て信長のところに向かいました。
 一方、右近の父高山飛騨守は、有岡城の人質を救うため、有岡城に行き、自ら人質となるので娘と孫を助けるよう村重に嘆願しました。 
 荒木村重は、大変怒りましたが、人質を殺すことはしませんでした。
 高山右近が、身一つで信長の所に向かったため、高槻城は結果として無血開城となりました。
 これで、荒木村重の重要な拠点が一つ崩されました。
 
 高山右近に次いで、茨木城を守っていた中川清秀も信長に味方することになりました。
 中川清秀の調略にあたったのは、中川清秀の妹せんと結婚していた古田重然(しげなり 後の古田織部)です。
 中川清秀に対して、古田織部を通して、織田信長は、娘鶴姫を清秀の息子秀政に嫁がせるという条件を出して降伏を誘いました。
 こうした好条件を出されて、中川清秀は織田信長に味方することになりました。

 思い返せば、荒木村重の謀反のきっかけは、中川清秀の家来が本願寺に兵糧を横流ししたということでした。
 また、村重が安土城に申開きに行こうとした際に、それに強く反対したのは中川清秀でした。
 いってみれば、荒木村重の謀反の元凶は、中川清秀ともいえるのですが、その元凶があっさり、信長に味方することとなりました。
 戦国時代は権謀術数が世の習いですが、この裏切りの報を聞いた時、荒木村重はどう感じたのでしょうか
  中川清秀は、この後、織田信長に仕え、信長死後は秀吉に仕えました。そして賤ヶ岳の戦いで、猛将佐久間盛政に攻撃され戦死しました。
 家督は長男の秀政が相続し、秀政没後、次男の秀成が豊後岡藩初代藩主となり、中川家は岡藩藩主として幕末まで存続しました。
by wheatbaku | 2014-05-17 16:03 | 大河ドラマ
  

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