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2019年 07月 29日 ( 1 )
 永代橋(新江戸百景めぐり⑰)

 永代橋(新江戸百景めぐり⑰)


「新江戸百景めぐり」(小学館刊)には、永代橋が紹介されていますので、今日は永代橋をご案内します。

 永代橋は、東京メトロ門前仲町もしくは茅場町から歩いて行けます。門前仲町からですと約9分、茅場町からですと約8分で大差はありません。

 現在の永代橋は、大正15年に竣工したもので平成19年6月、勝鬨橋・清洲橋と共に国の重要文化財(建造物)に指定されました。

現在は橋の改修工事中で、通行は可能ですがきれいな外観をみることはできません。下写真は以前に撮影したものです。

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  永代橋は、元禄11年(1698)8月に、5代将軍徳川綱 吉の50歳を祝って架橋されました。

橋を架ける材木は、同じ年に竣工した寛永寺根本中堂造営であまった材木を利用したといわれています。

 江戸時代の永代橋が架けられていた場所は、現在の橋がある位置よりも100 m程上流でした。架けられた場所は、「深川の大渡し」と呼ばれる渡しがあったところです。

現在日本橋川が隅田川と合流する地点に豊海橋が架けられていますが、その北のたもと付近に架けられていました。下写真の左が豊海橋、中央奥が日本アイビーエムの本社、豊海橋とアイビーエムの本社ビルの間に江戸時代の永代橋が架けられていました。

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永代橋が架けられて場所は、当時は、隅田川の最も河口に近い場所であったため、隅田川を行き交う船が多かったため、船の通行の邪魔にならないように、橋げたが高く作られていました。

 そのため、永代橋からの見晴しは良かったと言われています。

 この難しい工事の指揮をとったのが、関東郡代の伊奈忠順でした。伊那忠順は、新大橋の架橋も指揮しています。

 伊那忠順のお墓は川口の赤山にあったと思われますが、以前、私が訪ねた際には確認できませんでした。その替り、伊那忠順の奥様が開基となったお寺が深川にあります。玄信寺がそれです。(下写真)

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玄信寺は、関東郡代伊奈忠順の妻が開基、還蓮社本誉玄故上人が開山となり、寛永6年(1629)深川下佐賀町に創建、寛永18年当地に移転したといいます。開基の理照院のお墓も残されていますが、お参りにはお寺の許可が必要です。 

 永代橋は、元禄15年(1702)12月15日に、吉良上野介を討ち取った赤穂浪士たちが、討ち入り後に泉岳寺の浅野内匠頭の墓前に上野介の首を供えるために泉岳寺に向かった際に、両国橋でなく永代橋を渡ったことで有名です。 

 その赤穂浪士たちに、甘酒をふるまったのが、永代橋の東のたもとにあった乳熊味噌でした。乳熊味噌の初代竹口作兵衛は赤穂浪士の大高源吾と榎本其角の門下生として親しかったことから、作兵衛は一同を招き入れ甘酒粥を振る舞い、労をねぎらったと言われています。

それを記念した石碑が、永代橋東のたもと近くにあります。(下写真)

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この石碑は、昭和38年、株式会社ちくま味噌によって建立されたものです。

乳熊屋(現在はちくま味噌)は初代竹口作兵衛義通が、伊勢国乳熊郷(三重県松坂市中万町)から慶安年間(1648年~51年)に江戸に進出、日本橋に塗物店を営み、作兵衛勝義(後、通称を喜左衛門と改む)が元禄初年(1688)に深川永代橋際に味噌醸造を始め、乳熊屋作兵衛門商店としたのが、ちくま味噌の始まりだそうです。

ちくま味噌は、現在も存続していますが、現在は永代橋に店舗はなく、ネット販売主力で営業しているようです。

永代橋で有名な事件が、永代橋崩落事件です。

この事件は、文化4年(1807)の富岡八幡宮大祭の時に起こった事件です。文化4年8月の富岡八幡宮の大祭はひさしぶりに開催されたため大変な賑わいとなり、大勢の人々が永代橋を渡った際に、永代橋が崩落し多数の溺死者を出すという江戸はじまって以来の大惨事でした。

文化4年の富岡八幡宮の大祭は、滝沢馬琴編集の「兎園小説余禄」によれば30余年ぶり、太田南畝の「夢の憂橋」によれば34年ぶりと、年数は違っていますが、長いこと開催されていなかった富岡八幡宮の祭礼がしばらくぶりに開催されることとなり、江戸っ子の関心を集めていました。

富岡八幡宮の祭礼は、通常は8月15日に開催されますが、雨のため順延され8月19日開催となりました。8月19日当日は、朝早くから大勢の見物客が深川に向かいました。

その時、将軍関係者が永代橋の下を御座船で通行することから、永代橋は午前10時ごろから一時通行止めとなりました。

 目黒区の海福寺に設置されている東京都教育委員会設置の説明板では、「将軍世子」とされているので11代将軍家斉の子供徳川家慶ということなります。一方、兎園小説では、一橋家と書かれていますので、徳川家斉の実父一橋治斉(はるさだ)ということになると思われます。

こうした違いはありますが、いずれにしても永代橋は通行止めとされていました。その通行止めが解除されるとともに、それまで、通行止めのため、橋のたもとでごったがえしていて大群衆が一気に永代橋を渡り始めました。その結果、大勢の重みに耐えかねて永代橋が崩れ落ちてしまいました。

大群衆の後方の人々は、橋が崩れ落ちたことを知らず、どんどん前に進んでくるため、最前列の人たちは、後ろから押されて、将棋倒しのように次々と隅田川に落ちていくという悲惨な情景が呈され、悲劇が拡大しました。

この時、危機を察した武士が欄干につかまりつつ刀を振り回し、人々が後ずさりしたため落下は止まったと「兎園小説」や「夢の憂橋」に書かれています。

こうした緊急対応がありましたが、「夢の憂橋」と説明板によれば440名の人が亡くなりました。

さらに行方不明者を含めれば被害者は1000人を超えたといわれています。なお、兎園小説では、「水没の老若男女数千人」と書かれていますが、これは被害者が多すぎるように思われます。

 その被害者の供養塔が、深川から遠く離れた目黒の海福寺にあります。下写真が供養塔です。

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海福寺は、明から来朝した隠元禅師が万冶元年(1658)に江戸深川寺町通り(現江東区深川2丁目付近、)に創建した黄檗宗の寺で、日本で最初の黄檗宗のお寺です。有名な宇治の万福寺が創建されたのは、寛文元年(1661)で、海福寺の創建より3年後です。明治43年に現在地へ移転しました。

海福寺があったのは、現在の明治小学校付近だそうで、小学校正門前の公園に下写真の観光高札が建てられています。

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永代橋崩落事故の時、永代橋近くにあった海福寺に無縁仏が埋葬されました。その後、被害者たちの供養塔が海福寺境内に建立されました。

海福寺は、明治43年、目黒に移転しましたが、供養塔もそのとき一緒に移設されました。海福寺の山門左手前にあるのが「文化4年永代橋崩落横死者供養塔及び石碑」(都指定文化財)です。

赤印が永代橋です。

 青印が「赤穂浪士休息の地の碑」設置場所です。

緑印が豊海橋です。

ピンク印が海福寺の跡地です。









by wheatbaku | 2019-07-29 18:14 | 新江戸百景めぐり
  

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