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2019年 10月 09日 ( 1 )
浅草御蔵(新江戸百景めぐり㊶)

浅草御蔵(新江戸百景めぐり㊶)

今日の新江戸百景めぐりは、浅草御蔵をご案内します。『新江戸百景めぐり』(小学館刊)では69ページ第22景で紹介されています。

浅草御蔵は、幕府が建設した米蔵です。

浅草御蔵は、南は現在の浅草柳橋2丁目より、北は浅草蔵前3丁目にかけてありました。

 現在、その名残りを示すものは、「浅草御蔵跡」と刻まれた石碑だけです。

 その石碑は、蔵前橋の西のたもとにあります。(下写真)なお、現在の蔵前橋通りは、浅草御蔵のほぼ中央を横切る形で通っています。

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浅草御蔵は、元和6年(1620)に造られたといわれています。

 江戸時代の初めは、ここのほかに各所に米蔵がありましたが、段々集約されて、ここ浅草の御蔵と本所の竹蔵に集約されました。

 この浅草御蔵は広大な敷地に建てられていました。敷地は、もっとも広かった弘化年間(1844~48)には、およそ3万6000坪ありました。

 南北が580メートル、東西が広いところで830メートル、狭いところで230メートルあり、「東京ドーム」2つ分の広さがありました。

 御蔵内には、天領から船で送られた米を荷揚げするため、8本の舟入堀がありました。下写真は隅田川河畔の護岸壁に設置されていた浅草御蔵の絵図です。

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その堀の両側に米蔵が設置されていて、御蔵全体では、67棟の蔵が建っていました。

浅草御蔵にどのくらいの米が貯蔵されたかについては諸説ありますが、「蔵前の町名由来板」には37500トン=20万8千石 と書かれていますが、別の本には40万石の米が貯蔵されていたとも書いてあります。

 下写真の左端の護岸壁に絵図が設置されています。遠方の橋は厩橋です。

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首尾の松

浅草御蔵の4番蔵と5番蔵の間に、「首尾の松」と呼ばれる大変有名な松がありました。

現在は、7代目と言われる首尾の松が、「浅草御蔵跡」の石碑の蔵前橋通りを挟んだ向かい側にあります。(下写真)

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江戸時代は大変有名な松でした。もちらん、この松は江戸時代から生えているものではなく7代目の松です。 

その由来については次のような諸説があるようです。

1、寛永年間(1624~43)に隅田川が氾濫したとき、三代将軍家光の面前で謹慎中の阿倍豊後守忠秋が、列中に伍している中から進み出て、人馬もろとも勇躍して川中に飛び入り見事対岸に渡りつき、家光がこれを賞して勘気を解いたので、かたわらにあった松を「首尾の松」と称したという。

2、吉原に遊びに行く通人たちは、隅田川をさかのぼり山谷堀から入り込んだものだが、上がり下りの舟が、途中この松の陰によって「首尾」を求め語ったところからの説。

3、首尾は「ひび」の訛りから転じたとする説。江戸時代、このあたりで海苔をとるために「ひび」を水中に立てたが訛って首尾となり、近くにあった松を「首尾の松」と称したという。

 これらの説は首尾の松の脇に設置されている石碑(下写真)に書いてありました。

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 この三つの説の中で、最も人気があるものは、2番目の吉原での首尾を語るという説だと思います。

 首尾の松の推移についても石碑に次のように説明されています。

「初代「首尾の松」は安永年間(1772~80)風災に倒れ、更に植継いだ松の安政年間(1854~59)に枯れ、三度植え継いだ松も明治の末頃枯れてしまい、その後「河畔の蒼松」に改名したが、これも関東大震災、第二次世界大戦の戦災で全焼してしまった。現在の松は七代目といわれている。」


名所江戸百景「浅草川首尾の松御厩河岸」
 「首尾の松」を、歌川広重は、名所江戸百景の「浅草川首尾の松御厩河岸」で描いています。
 下の広重の絵で左上から枝を張り出しているのが「首尾の松」です。なお、下の画像は、国立国会図書館ウェブサイトから転載させていただきました。

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 上記の説明板の説明によれば、広重が描いた首尾の松も、初代のものではありませんでした。
 松の下には男女の忍び合いの屋根舟が係留されています。
 その舟の奥の川船は、御蔵の北にあった御厩河岸と向かいの本所石原町を結ぶ渡し船です。


浅草天文台

 浅草御蔵の前は、江戸時代後期には、天文台が置かれ、浅草天文台と呼ばれました。蔵前一丁目交差点の南西角に説明板が設置されています。(下写真)

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 正確な暦を造るためには、太陽や月の運行を観測する施設が必要なため、天文台が設置されました。

 天文台は、本所二つ目、駿河台、神田佐久間町、牛込藁店などと転々と動きましたが、浅草天文台は天明2年(1782)、牛込藁店(現在の新宿区袋町)から移転しました。

 正式の名を「頒暦所御用屋敷」と言いました。

浅草の天文台は、天文方高橋至時らが寛政の改暦に際して、観測した場所であり、高橋至時の弟子の伊能忠敬は、深川の自宅からこの浅草天文台までの方位と距離を測り、緯度一分の長さを求めようとしました。

富嶽百景「浅草鳥越の図」

浅草天文台を描いた有名な浮世絵が、葛飾北斎の富嶽百景(富嶽三十六景ではない)のうちの「浅草鳥越の図」です。(下写真)

天文台は高さ約9メートルの築山の上に築かれていたそうです。

その天文台を近景として、遠景に富士が描かれています。

手前の球体の形をした器具は、天体の位置を測定するための「渾天儀(こんてんぎ)」という器具です。

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by wheatbaku | 2019-10-09 22:55 | 新江戸百景めぐり
  

江戸や江戸検定についてに気ままに綴るブログ    (絵は広重の「隅田川水神の森真崎」)
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