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2019年 10月 14日 ( 1 )
東 禅 寺(新江戸百景めぐり㊸)

東 禅 寺(新江戸百景めぐり㊸)

 台風19号は日本列島各地に多くの被害をもたらしました。
 私も近くの大河川が氾濫する怖れがあるということで大変心配しました。そうしたことから被害を受けた人々のことが他人事とは思えません。被災者の皆様に心よりお見舞い申し上げます。


さて、新江戸百景めぐり、今日は、東禅寺のご案内をします。『新江戸百景めぐり』(小学館刊)では158ページの第93景で紹介されています。

 東禅寺は、品川駅から、第一京浜を田町方向に歩いて、丘陵側に少し入った場所にあります。徒歩で約10分かかります。 下写真は本堂と庫裏の全景です。

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 東禅寺は臨済宗妙心寺派の別格本山で、妙心寺派の江戸四箇寺の1つでした。妙心寺派江戸四箇寺とは、東禅寺の他、湯島の麟祥院、浅草の海禅寺、牛込の松源寺を言いました。

東禅寺は、慶長15年(1610)嶺南和尚が日向国飫肥藩2代藩主伊東祐慶(すけのり)の帰依を受け、溜池に開きました。
 当初は嶺南庵と呼ばれていました。アメリカ大使館とホテルオークラの間にある霊南坂の名称は、嶺南庵に由来します。
 開基の伊東祐慶の法名が東禅寺殿前匠征泰雲玄興大居士ですので、東禅寺という寺号は伊藤祐慶の法名からとられたものと思われます。

 寛永13年(1636)、現在地に移転しました。眼前に江戸湾が広がることから海上禅林とも呼ばれ、その額も本堂に掲げられています。(下写真)本堂と庫裏は昭和6年に建てられたものです。 以前のものが震災や火災にあったためでなく、古くなったため建て替えられたとのことでした。

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 江戸時代の境内は、多くの塔頭が建ち並んでいたそうですが、現在は、緑の多い静かな雰囲気の境内となっています。下写真は山門から見た参道ですが、参道自体はあまり広いわけではないのですが、参道両脇に樹木が植えられていて、緑の参道となっています。

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 その境内に大きくそびえる三重塔が建っています。
 この塔は、建築後25年とのことですので、昭和の終わりに建てられたようです。
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 江戸時代には東禅寺は、開基の飫肥藩伊東家をはじめ、陸奥仙台藩伊達家、伊予宇和島藩伊達家 備前岡山藩池田家、信濃高島藩諏訪家、豊後佐伯藩毛利家など多くの大名家の菩提寺でした。 そのため、少し離れた墓地には、今も諸大名の見事な墓群がありますが、一般の人には公開されていません。その中で、墓所の外から見えるお墓もかあります。下写真は、仙台藩伊達家の合祀墓です。また、有名な蘭学者大槻玄沢のお墓が港区の史跡となっているのですがこれもみることができません。

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 東禅寺は、安政6年(1859)には日本初のイギリス公使館が置かれ、初代公使オールコックが駐在しました。

山門の前には、「最初のイギリス公使宿館跡」の石碑が建てられています。(下写真)

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東禅寺事件

この東禅寺では有名な「東禅寺事件」という外国人に対する襲撃事件が起きています。

「東禅寺事件」というのは第一次東禅寺事件と第二次東禅寺事件と2回起きています。

第一次東禅寺事件は、文久元年(1861)5月28日、水戸藩脱藩の攘夷派浪士14名がイギリス公使オールコックらを襲撃した事件です

文久元年5月、イギリス公使オールコックは長崎から江戸へ向かう際、幕府が警備上の問題から海路での移動を勧めたのに対し、条約で定める国内旅行権を強硬に主張して陸路で江戸へ旅し、5月27日にはイギリス公使館が置かれていた江戸高輪東禅寺に入りました。

この行動に対し、尊攘派の志士らは「神州日本が穢された」と憤激しました。

オールコックが東禅寺についた翌日の5月28日午後10時頃、水戸藩脱藩の攘夷派浪士14名は東禅寺のイギリス公使館内に侵入し、オールコック公使らを襲撃しました。

オールコックは危うく難を逃れたが、乗馬用のムチで立ち向かった書記官オリファントとピストルで応戦した長崎領事モリソンの2人が負傷しました。

一方、攘夷派浪士は公使らの殺害に失敗し、警備側に3名が討取られたり、一旦は逃走したものの逃げ切れず切腹した者もおり、その後逮捕された者もいますが、逃亡した後、坂下門外の変に参加した者もいます。

第二次東禅寺事件は、「第一次東禅寺事件」のちょうど1年後の文久2年(1862)5月29日、東禅寺警備の松本藩士伊藤軍兵衛がイギリス人2人を斬殺した事件です。

第一次東禅寺事件の後、オールコックは幕府による警護が期待できないとして、公使館を横浜に移しました。しかし、オールコックが帰国中に代理公使となったジョン・ニールは、再び東禅寺に公使館を戻しました。

その頃、東禅寺の警備を命じられていたのが松本藩でした。警備を任せられていた松本藩士伊藤軍兵衛は、公使を殺害しようとして夜中にニールの寝室に入ろうとしましたが、警備にあたっていてイギリス兵2人に発見され戦闘になり、イギリス兵が殺害されました。襲った伊藤軍兵衛も負傷し自刃しました。

これにより松本藩は警備の任を解かれ、藩主戸田光則は差控(謹慎)処分を受けることになりました。

 また、この事件により、イギリスは、公使館を襲撃されやすい寺院に置くのではなく、独立した公使館を建設するよう幕府に要求しました。この要求に応えて幕府が建設することにしたのが品川御殿山の公使館です。

赤印が東禅寺です。
青印が泉岳寺です。






by wheatbaku | 2019-10-14 19:43 | 新江戸百景めぐり
  

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