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鴻池家ゆかりの地

鴻池家ゆかりの地

 文京学院大学の生涯学習センターの講座「江戸の豪商列伝」では、紀伊国屋文左衛門、三井高利、鴻池善右衛門についてお話します。

 そこで、紀伊国屋文左衛門ゆかりの地のほかに、鴻池家ゆかりの地も訪ねてきました。

鴻池家の始祖は鴻池新六といいます。この鴻池新六は、戦国大名尼子氏の武将であった山中鹿之介幸盛の子供といわれています。

新六は、慶長年間に摂津国鴻池村で酒造業を始めました。

鴻池村は、現在は伊丹市となっていて、伊丹市鴻池6丁目にある児童公園に鴻池稲荷祠碑(こうのいけいなりしひ)が残されています。

鴻池稲荷祠碑は、清酒醸造成功記念に建てた当初の稲荷祠が宝暦13年(1763)に壊れたので、天明4年(1784)に再建されたことなどが刻まれているようです。

下写真の右側にあるのが稲荷祠碑です。

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山中新六は酒造業で成功し、大坂に店を構え、海運業を始めます。酒造業と海運業で財を成した鴻池家は、明暦2 (1656) に両替屋を始め、今橋通に両替店を移しました。そこが本宅となります。

鴻池本宅は、昭和22年(1947)大阪美術倶楽部に売却され、現在は、鴻池本宅の跡には大阪美術倶楽部が建っています。大阪美術倶楽部の入口に「旧鴻池家本宅跡」と刻まれた石碑があり、それだけがわずかにその名残をととどめていました。

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鴻池家の表屋は戦後は大阪美術倶楽部の会館として使用されていましたが、昭和54年に大阪美術倶楽部の改装に際して表屋が撤去される事になり、三宅製餡株式会社がこれを引き取り、奈良市鳥見町の所有地に移築しました。

現在は、「和菓子屋・カフェ」として営業しており、鴻池家の表屋を内部からもみることができます。

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鴻池新田は、鴻池家三代目の善右衛門宗利が広大な新開池の跡地を開発したもので、鴻池新田の会所は、その新田を管理を行う事務所でした。

その会所は、宝永4(1707)に建てられたものですが、現在も東大阪市に残されています。下写真は鴻池新田会所の表長屋門です。

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鴻池家ゆかりの地は、兵庫県伊丹市、大阪市、東大阪市、奈良市と一府二県に散らばっていましたので、一日で回るのは大変でしたが、現地をみることができたのは有意義でした。

今回のこのレポートで詳しく紹介しきれませんが、文京学院大学の講座では、もう少し深くご紹介しようと思っています。

講座の概要は次の通りです。

 一代で巨大な富を築いた男たち

 ―江戸の豪商列伝―

 日程     71327

 曜日・時間  土曜日 13301500

ご興味のある方は、下ホームページからお申込みください。

 文京学院大学生涯学習センター



# by wheatbaku | 2019-06-13 12:43
箱根山(戸山公園)に登頂してきました。

箱根山(戸山公園)に登頂してきました。

(「~山手線一周~駅から気ままに江戸散歩」

昨日は、毎日文化センターの「~山手線一周~駅から気ままに江戸散歩」で新大久保駅をスタートして大久保周辺を散歩して、最後は山手線内で最高峰の箱根山まで登ってきました。 

 NHKの朝の天気予報では、午後は雷雨になるかもしれないという予報でしたので心配しながら出発しましたが、結果的には、雷雨にもあわず、快適な散歩となりました。

 ご参加いただいた皆さん、ありがとうございました。

昨日の散歩ルートは次の通りです。

新大久保駅 ⇒ 皆中稲荷神社 ⇒ 小泉八雲記念公園 ⇒ 小泉八雲終焉の地 ⇒ 稲荷鬼王神社 ⇒ 島崎藤村旧居跡 ⇒ 新宿イーストサイドスクエア(休憩) ⇒ 西向天神社 ⇒ 大聖院 ⇒ 抜弁天 ⇒ 戸山公園(箱根山) ⇒ 東新宿駅

皆中稲荷神社

皆中稲荷神社は、戦国時代の天文2年(1533)に創建された神社で、大久保の鎮守ですが、寛永年間、徳川幕府が鉄砲百人組の組屋敷が現在の新宿区百人町に置かれたことから、鉄砲百人組の人たちに篤く信仰されました。

 ある時、鉄砲組の与力が射撃の上達を祈願したらところ夢の中にお稲荷さんがでてきて、翌日、稲荷神社に参拝してから射撃を試みたところ百発百中、全て的中したそうです。他の隊士たちも、それにならって稲荷神社に祈願して射撃をすると百発百中で的中したため、皆中(みなあたる)ということから皆中稲荷神社とよばれるようになったと言われています。

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小泉八雲記念公園

明治時代の文人小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、明治29年から亡くなる明治37年まで新宿で暮らしていました。小泉八雲が没した旧居跡近くに小泉八雲記念公園が平成5年に造られました。小泉八雲記念公園は、ギリシア風の公園となっていて、ギリシア大使から寄贈された胸像もあります。近くの大久保小学校の校門脇には小泉八雲終焉の地の石碑も設置されています。下写真の中央奥に小泉八雲の胸像があります。

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稲荷鬼王神社

稲荷鬼王神社の創建はご由緒書によれば承応2年(1653)に大久保の氏神として稲荷神社が建てられ、その後、宝暦2年(1752)に当地の百姓・田中清右衛門によって、紀州熊野より勧請された鬼王権現を勧請し、天保2年(1831)に稲荷神社と合祀して「稲荷鬼王神社」となったとされています。

現在では、鬼王権現を祀っている神社は稲荷鬼王神社だけだそうです。

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《紅皿の墓》

西向天神社の北側にある大聖院の駐車場の中に、紅皿の墓があります。

紅皿という名前はあまり聞きなれない名前だと思いますが、紅皿は、太田道灌の山吹の里伝説にでてくる女性です。

 紅皿の墓の脇に設置されている教育委員会の説明板には次のように書かれています。「太田道灌の山吹の里伝説に登場する少女・紅皿の墓と伝承されている。(中略)道灌の死後、紅皿は尼となって大久保に庵を建て、死後その地に葬られたという。」 

その説明板を見ながら説明を聞く参加者の皆さんの様子が下写真です。写真の奥に、紅皿の墓があります。

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抜弁天

抜弁天は、交差点の名前として知られていますが、もともとは厳島神社の別名です。

抜弁天(厳島神社)は、応徳3年(1086)源義家が後三年の役で奥州征伐の途上この地に立ち寄り、遠く富士を望み安芸の厳島神社に勝利を祈願しました。奥州平定して京都に帰る途中、お礼のために厳島神社を創建したと伝えられます。

境内が南北に通り抜けでき、また源義家が多くの苦難を切り抜けたことにちなんで、抜弁天として多くの庶民から信仰されてきました。

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箱根山

散歩の最後は戸山公園にある箱根山です。

箱根山は、標高44.6メートルあり、山手線内で最高峰です。

箱根山がある都立戸山公園の一帯は、江戸時代、尾張藩の下屋敷がありました。当時は「戸山荘」と呼ばれ、約45万平方メートルの広大な敷地には御殿のほか、池や山がありました。尾張藩の戸山荘は、尾張藩2代藩主の徳川光友が築いたもので、池をつくるために掘った土を盛り上げて造った人工の山です。下写真の奥に写っている山が箱根山です。

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 ご参加いただいた皆さんありがとうございました。




# by wheatbaku | 2019-06-09 13:31 | ~山手線一周~ 駅から気ままに江戸散歩
紀伊国屋文左衛門ゆかりの史跡

紀伊国屋文左衛門ゆかりの史跡

 和歌山県の湯浅町を訪ねた目的の一つに、紀伊国屋文左衛門ゆかりの史跡を訪ねるということもありました。

 紀伊国屋文左衛門は、暴風雨の中、紀州から蜜柑を運び大儲けをし、その資金を元手に、材木商を始めて、巨万の富を稼ぎ、吉原で散在し、紀文大尽と呼ばれたということで大変有名です。

その紀伊国屋文左衛門の出生地については諸説がありますが、紀伊国湯浅の別所生まれとする説があります。

 そのため、湯浅には、紀文に関係する石碑等が数多く設置されていました。

 

 湯浅駅から2分程度の駅近くに文平の像があります。

 文平というのは紀伊国屋文左衛門の幼い時の名前だと言われています。

 その文平(紀之国屋文左衛門)がみかん船にのって海の乗り出す雄姿を描いたものです。平成10年に建てられました。(下写真)

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 湯浅駅から5分ほどのところに勝楽寺があります。

勝楽寺は、平安時代に有田地域一帯に勢力を持っていた湯浅氏の菩提寺として創建され、創建当時は七堂伽藍を持つ大きなお寺でした。

そのお寺の本堂裏側に「紀伊国屋文左衛門之碑」があります。

この石碑は紀伊国屋文左衛門を顕彰するため、昭和34年に建てられたものです。
 石碑の前には、「奉納松下幸之助」と刻まれた石灯籠がありました。(下写真奥が石碑で、右手前が石灯篭です)

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勝楽寺の北側(徒歩で1分)を国道42号が通っていますが、国道42号沿いの所に紀文生誕地記念碑と刻まれた石碑があります。

 この石碑がある地区は別所という地区であり、紀伊国屋文左衛門が生まれたのは湯浅の別所という説があるので、それに基づいた石碑だと思われます。

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 湯浅から少し離れた海南市の下津港が見える道路沿いに「紀伊国屋文左衛門船出の地」と刻まれた大きな石碑が建っています。

 JRきのくに線加茂郷駅からはタクシーを利用しましたが、5分程度で到着しました。ちなみに下津駅のほうが近そうですが、下津駅ではタクシーが拾えないということでしたので、加茂郷からタクシーを利用しました。

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 このように紀伊国屋文左衛門は紀州湯浅の出身ということで、湯浅では、紀伊国屋文左衛門は有名人ですが、その実像はあまりはっきしていないともいわれています。 
 7月に、文京学院大学生涯学習センターで、江戸の豪商たちについてお話をさせていただきますので、現地を訪問した情報も含めて紀伊国屋文左衛門についても触れますので、ご興味のあるかたはぜひお申込みください。


講座の概要は次の通りです。

 一代で巨大な富を築いた男たち

 ―江戸の豪商列伝―

 日程     71327

 曜日・時間  土曜日 13301500


 詳細やお申し込みは下記ホームページからお願いします。

 文京学院大学生涯学習センター




# by wheatbaku | 2019-06-05 10:27
「江戸検1級合格虎の巻」講座の申込受付を開始!!

「江戸検1級合格虎の巻」講座の申込受付を開始!!

 かねて、予告させていただいていた江戸楽アカデミーでの『江戸検1級合格虎の巻』講座ですが、江戸楽アカデミーのホームページで告知されましたので、お知らせします。

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 講座概要は、次の通りです。

《江戸楽アカデミーの講座概要》

これを聞けば合格に必ず近づく!『江戸検1級合格虎の巻』講座

開催  8月10日(土)12:30~15:30

受講料(税込) 4,860円

会場  小学館集英社プロダクション・SP第3ビル

定員  38名

 この講座では合格のためのエッセンス(心構え、勉強方法、記述問題対策)をお話しします。それに加え昨年合格した人の合格体験談もあります。

 江戸検は来年で終了だそうです。何としても1級に合格したいと思っている方、ぜひご受講ください。
 また、今年初めて1級を受検される方でも、合格できる方法がありますので、初めて受検される方もぜひご受講ください。


 受講ご希望の方、江戸楽アカデミーの公式ホームページから、お申し込みください。 

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 江戸楽アカデミーのホームページは下記です。講座の詳細や申込方法が告知されています。  

江戸楽アカデミー











# by wheatbaku | 2019-06-03 15:00
江戸検は来年で終了です!

江戸検は来年で終了だそうです!

 

 皆さん、江戸検が来年で終わりになることを御存知ですか?

 江戸文化歴史検定協会のホームページに次のように書かれています。
14回を迎えた江戸文化歴史検定は、2020年の第15回をもって終了することになりました。長年“江戸検”に親しんでくださったことに深く感謝申し上げます。』


 詳しくは、江戸文化歴史検定協会のホームページの 『第13回 江戸文化歴史検定 実施概要【本試験】』 のページの最下段のお知らせを読んでみてください。

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 江戸検1級に11年前に合格して以来、いろいろな形で江戸検に関わっていた私としては、江戸検がなくなることは、大変さびしく感じて、少なからずショックでした。

 私と同じように感じる人も多いと思います。

しかし、最も大きな衝撃を受けるのは、今年、江戸検を受検しようと思っている方々、特に、いずれは1級に合格したいと思っている皆さんなのではないでしょうか?

 いずれは合格できるようにしたいとは思っていたものの、あと1年、最大でも2年で1級に合格できるのかと不安に思う方もいるのではないかと思います。

 でも、大丈夫です。絶対に合格しようと思って頑張れば必ず合格できます。

 しかし、やみくもに準備をしても合格は難しいとは思います。合格するにはそれなりのノウハウがあります。

合格に何が必要で、何をすれば1級に合格できるかについて、既に私なりに『合格虎の巻』にまとめました。
 その『合格虎の巻』について解説するのが先週ご案内した「これを聞けば合格に必ず近づく!『江戸検1級合格虎の巻』講座」 です。

江戸検が終了するまでに、1級に合格したいと思っている方はぜひご受講ください。必ずお役に立つと思います。開講は8月10日午後12時30分~15時30分です。

近日中に、江戸楽アカデミーのホームページに講座の内容がアップされると思います。
 適宜確認して、アップされたら早めにお申し込みください。 

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 江戸楽アカデミーのホームページは下記です。
  江戸楽アカデミー


 頑張れば必ず合格できます(断言できます)ので、頑張ってください。そして、江戸検終了までに、是非とも1級に合格してください。 









# by wheatbaku | 2019-05-29 20:54
蘭学・医学への貢献(濱口梧陵⑤)

蘭学・医学への貢献(濱口梧陵⑤)

 濱口梧陵といえば、「稲むらの火」と広村堤防の築堤が大きく取り上げられていますが、濱口梧陵の功績で、見落とすことができないと思っていることがあります。それが、蘭学・医学への貢献です。

 濱口梧陵は、ふとした縁で、蘭方医三宅艮斎と知り合います。

三宅艮斎は、肥前国島原に生まれ、14歳の時に長崎に出て、蘭方医楢林栄建から医学を学び、天保9年(1838)に佐藤泰然を頼り、江戸で開業しました。しかし、その頃、漢方医の圧力により、蘭方医の扱える医療分野が外科と眼科に限定されたことから、天保12年(1841)に銚子に移り開業しました。銚子は、ヤマサ醤油の本拠地であり、これにより、濱口梧陵は三宅艮斎と知り合いました。

その後、三宅艮斎との関係は急速に強まり、師とも友ともいえる強い関係となりました。


安政5年(1858)に、伊東玄朴や大槻俊斎らが呼びかけ、蘭学者たちが一致協力して、神田お玉ヶ池の川路聖謨の屋敷に種痘所を開設しました。これがお玉が池種痘所です。この開設には三宅艮斎も多大な尽力をしていました。 下写真はお玉が池種痘所跡の記念碑です。

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お玉ヶ池種痘所が、開設後半年後に近くで起きた火事に類焼して焼失してしまいました。種痘所の再建は急務でしたが、なかなか資金が集まらず、蘭方医たち苦労していました。そのとき、濱口梧陵は300両の寄付をしました。当然、三宅艮斎との交友があったからだと思われます。
 その他の資金拠出もあり、種痘所は場所を替えて再建されました。さらに、濱口梧陵は、図書や機器類の購入資金として、400両を寄付しています。

また、銚子で開業していた関寛斎をお玉ヶ池種痘所に赴かせ、伊東玄朴、三宅艮斎の下で種痘の方法を学ばせました。関寛斎は銚子に戻り、コレラの予防・拡大防止に大きな業績をあげました。

 関寛斎は現在の千葉県東金市で生まれ、佐倉の佐藤泰然に入門し、さらに林洞海、三宅艮斎に学びました。一旦、故郷に帰り開業した後、安政3(1856)に銚子に移り開業しました。そこで、濱口梧陵は、関寛斎を知り、お玉ヶ池種痘所に派遣したのでした。
 さらに、関寛斎は、万延1(1860)に長崎に留学、蘭医ポンペに就いて西洋医学を学んでいます。この長崎遊学は濱口梧陵の資金援助があり実現したものです。

また、濱口梧陵は佐久間象山の塾にも入門して西洋事情を習得していました。

こうした背景もあると思われますが、勝海舟と知り合い、生涯の友となっています。

広川町教育委員会発行の「濱口梧陵の生涯」によれば、濱口梧陵と勝海舟の出会いは、日本橋の本屋で渋田利右衛門が濱口梧陵に勝海舟を紹介したことに始まりました。当時、渋田利右衛門は、貧しいながらも本屋の店頭で日々懸命に読書をし続けていた若く才能のある勝海舟を見出しており、自ら交際を求めて支援をしていましたが、病でまもなく死ぬ自分に代わって海舟の志を支えてやって欲しいと濱口梧陵に頼んだのでした。

渋田利右衛門にあらかじめ勝海舟の人柄を聞いていた濱口梧陵でしたが、実際に勝海舟に会って話してみると、いかにもざっくばらんで見識のある勝海舟に大きな魅力を感じました。そして、お互いに尊敬しあい、生涯の友となりました。


後に勝海舟が咸臨丸で遣米使節に随行した際には、濱口梧陵は勝海舟から渡米を勧められるほどの仲になっています。

もっとも、濱口梧陵は、この時は、渡米を断っています。

さて、最後に、広村堤防に建設されている「感恩の碑」の紹介がしてありませんでしたので、最後に、その紹介をしておきます。

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「感恩の碑」は、広村堤防中央部の海側の波除石垣の上に建てられています。 

私財を投じて堤防を築いた浜口梧陵の偉業とその徳を称えたもので、昭和812月に建立されました。

 赤印が、「感恩の碑」です。広村堤防のちょうど中間にあります。
 青印が、稲むらの火の館です。





# by wheatbaku | 2019-05-26 20:30
濱口梧陵の生涯(濱口梧陵④)

濱口梧陵の生涯(濱口梧陵④)

 今日は、濱口梧陵の生涯について書いてみます。

 濱口梧陵は、文政3年(1820)に、銚子でヤマサ醤油を営む濱口儀兵衛家の分家である濱口七右衛門の長男として生まれました。(下写真は耐久高等学校にある濱口梧陵の銅像です)

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12歳で本家(濱口儀兵衛家)の養子となりました。養父となった6代目濱口儀兵衛は実の叔父でした。その頃まだ存命であった5代目儀兵衛はお祖父さんでした。

本家の養子となると、銚子に向かい、丁稚と同じように家業に励みました。

嘉永5年(1852)、濱口梧陵が33歳の時、親族の濱口吉右衛門らとともに広村に稽古場「耐久舎」を開設して後進の育成を図りました。

耐久舎は、その後の継続し、現在では、和歌山県立耐久高等学校へ発展しています。耐久舍の建物は、広川町立耐久中学校の敷地内に残されています。(下写真)

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また、耐久中学校と耐久高等学校には、濱口梧陵の銅像が建てられていて、現在も子供たちを見守っています。(最上段が、耐久高等学校の銅像、下が耐久中学校の銅像)

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嘉永6年(1853)家督を相続し、七代目濱口儀兵衛を名のり、醤油醸造の本業に力を注ぎました。

そして、濱口梧陵が家督を相続した翌年、安政南海地震によって起きた大津波が広村を襲い、その後、広村堤防を建設に尽力しました。その功績については、既に書いた通りです。

こうして家業であるヤマサ醤油の発展に取り組み、さらに社会奉仕にも尽力する中で、明治になると、和歌山藩の藩政改革に参画しています。

明治元年1月に紀州藩の勘定奉行に抜擢され、さらに和歌山藩権大参事となり、藩政運営の中心として活躍しました。

こうした和歌山での濱口梧陵の活躍は中央政府の知るところとなり、明治4年には、大久保利通の推挙で初代駅逓頭(えきていのかみ)(のちの郵政大臣に相当)に就任しました。

しかし、わずか1週間で辞職しています。これは、後に郵便制度の父と呼ばれる前島密との意見の食い違いによるという説が有力です。

辞職後、和歌山県大参事に任命され、明治13年(1880)には初代和歌山県会議長に、当時の和歌山県知事のたっての願いにより就任しました。明治17年には、すべての公職をしりぞき、念願の海外渡航に出向きました。下写真は、濱口梧陵記念館に展示されていた、ナイアガラの滝を背景に撮られた写真をもとに描かれた「濱口梧陵とナイアガラ瀑布」という絵です。

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しかし、ニューヨークに滞在中、体調を崩し、明治18年4月21日、ニューヨークで帰らぬ人となりました。

遺体は防腐剤で保護され、船で横浜・神戸を経由し広村に帰り、6月14日広村で葬儀が行われました。葬儀には4千人もの人々が会葬したといいます。当時、未曽有の大葬儀でした(いや現在でもそうでしょう)。浜口梧陵の偉大さを表していると思います。

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浜口梧陵のお墓は、広川町の淡濃山(たんのうさん)の東南麓の御坊湯浅線という道路の脇にあり、昭和13年に国の史跡に指定されています。(上写真)

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入口には、「史跡浜口梧陵墓」と刻まれた石柱と説明板が設置されていて、墓所は、三方を塀で仕切られ後方に切り石積みの基壇の手前に濱口梧陵の墓碑が立っています。上写真左奥の扉の中が浜口梧陵の墓所です。

赤印が濱口梧陵の墓です。青印が、耐久中学校です。ピンク印が「稲むらの火の館」です。







# by wheatbaku | 2019-05-24 20:18
広村堤防の築堤(濱口梧陵③)

広村堤防の築堤(濱口梧陵③)

 浜口梧陵について書き始めましたが、先週1週間は、別の記事を3回続けて書いたため、少し間が空きました。

 今日から、また、濱口梧陵について書き始めます。

 前回は、嘉永7年(1854115日、安政南海地震によって発生した大津波から浜口梧陵が「稲むらの火」をともして村民を救った話までしました。

 今日は、濱口梧陵が築いて広村堤防について書いていきます。下写真は、広川町立耐久中学校正門近くから撮った広村堤防です。

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 安政南海地震の時に広村の被害の概略は次のようになっていました。

1、流され死んだ人 30人(男12人、女18人)

2、家屋 ①流失家屋125軒、②全壊家屋10軒、③半壊家屋46軒、④浸水・大小破損の家屋 158軒、以上家屋の被害合計339

 広村は、当時300余軒の戸数だったと推測されていますので、村は壊滅状態になってしましました。

 当時の広村では、50年から100年毎に必ず津波があるとの説を信じられていました。

天正13年(1585)宝永4年(1707)の被害年から数えると、嘉永7年(1854 )もこの説にあてはまるので、家財を失い肉親とも離れ、恐怖に襲われた村民の多くは、大津波に襲われたため、他に移住しようと考えたり、復興の意気を失っていました。

こうした村民の様子を見た濱口梧陵は、当面の措置として、まず家屋50軒を新築して、極貧者には無料で居住させ、多少の資力ある人には10年間の年賦で貸与し、農具や漁具も配分し、商人には応分の資本を融通しました。

さらに根本的に津波から広村を守るため、堅固な防波堤の築造を考え、親戚の濱口吉右衛門の賛同を得て、紀州藩に対して工事着工の許可を申請しました。

新しく築く堤防は、これまで古くから存在した約一間(1.8メートル)の石垣の背後に、高さ二間半(4.5メートル)、根幅11間(20メートル)、上幅4間(7.2メートル)、延長五百間(900メートル)の築堤を行おうとしたものです。

しかも、その口上書には、工事のために、濱口梧陵が私財を投じるとの旨も書かれていました。

濱口梧陵が、この計画を立てたのは、防災堤防を建設して村民を津波から守ると同時に当面の村民の生活も支援するために、堤防工事を始めたのでした。

下写真は、濱口梧陵記念館で展示されている工事の様子を描いたジオラマです。

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このようにして、広村永遠の安全を期そうとした堤防工事は、濱口梧陵に作った見積書によれば、人夫合計56,736人、費用合計94貫344匁(1572両)とあったそうでした。

工事は、安政2年(1855)2月に起され、日々これに従事するもの4~500人、老若男女を問わず、特に一日の労働が終わればその都度その日の日当を支払ったので、村民はとても喜んだそうです。

また農繁期となれば一時工事を中止し、冬斯の閑散期を見て再びこれを継続しました。

こうして、着工後約4年たった安政5年(1858)12月に築堤の全部が完成しました。

最初の予定では、広川堤まで900メートル(500間)の計画でしたが、その後、幕末となり、世の中で不穏な動きが強まってきたので、一旦、工事を中止し、完成した長さは670メートルでした。

この広村堤防は、現在も、広川町に残されています。堤防の基底の幅は約20メートル、高さ約5メートルとなっています。堤防の上を通行できるようになっています。(下写真)

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濱口梧陵が、植えた松林は、現在は2代目だそうですが、整然と植えられていて、大変見事な姿を現在も見せています。

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# by wheatbaku | 2019-05-21 19:44
上野公園を散歩してきました。(「~山手線一周~駅から気ままに江戸散歩」)

上野公園を散歩してきました。(「~山手線一周~駅から気ままに江戸散歩」)

昨日は、毎日文化センターの「~山手線一周~駅から気ままに江戸散歩」で上野公園を、参加者の皆さんと一緒に散歩してきました。

 少し暑い程度の陽気で、上野公園は、大勢の行楽客や外国からの観光客ぐらいあふれていました。

 寛永寺の開山堂などは以前は拝観客などほとんどいませんでしたが、昨日はかなりの拝観客がいました。そうした中で、楽しく散歩することができました。下写真は、寛永寺開山堂で説明をきく参加者の皆様ですが、ご参加いただいた皆様ありがとうございました。

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昨日は、次のコースで散歩してきました。

国立西洋美術館 ⇒ 両大師・寛永寺旧本坊表門 ⇒ 根本中堂跡 ⇒ 旧因州屋敷表門 ⇒ 東照宮(大石鳥居、水舎門、燈籠、唐門、透塀、社殿) ⇒ 上野大仏 ⇒ 時の鐘 ⇒ 時忘れじの塔 ⇒ 清水観音堂 ⇒ 秋色桜 ⇒ 彰義隊の墓 ⇒ 西郷隆盛銅像 

 主なご案内ポイントをスナップで紹介します。

 最初のご案内場所は、世界遺産に登録されている国立西洋美術館です。設計者はフランス人のル・コレビュジエです。西洋美術館は、松方コレクションを所属するために建てられた美術館です。前庭には、「考える人」をはじめとするロダンの作品が展示されています。これらのロダンの作品は、すべて本物であると説明したところ、皆さんは大変喜んでいました。下写真は「考える人」を見る参加者の皆様です。

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寛永寺の本坊は、御住職が起居する場所でしたが、上野戦争で焼失してしまいました。その中で、唯一焼失を免れたのが表門です。明治になって、帝室博物館(現在の国立博物館)の表門として利用されたあと、博物館の建直しに伴い、開山堂の東側に移築されました。

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上野公園には、寛永寺本坊表門のほか、もう一つ立派な門があります。それが国立博物館の中にある旧因州池田屋敷表門です。池田家の上屋敷は、現在の丸の内にありました。明治になって、高輪にあった東宮御所の正門として使用されたあと、昭和29年に国立博物館に移築されたものです。鳥取藩は32万石でしたが、その格式に則った立派な門です。

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 上野の東照宮は、元々は藤堂高虎が寛永4年(1627)、自分の屋敷に創建したものです。 現在の社殿は、慶安4年(1651)、3代将軍家光が大規模に造り替えたものです。

 東照宮の大石鳥居は、寛永10年(1633)上州厩橋(現在の前橋)藩主で老中を勤めた酒井忠世が奉納したものです。この石鳥居は基礎工事が万全だったため、安政の大地震、関東大震災の折にも少しも傾かなかったことで有名です。

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東照宮の参道から、上野動物園にある五重塔が見えます。

この五重塔は寛永8年(1631)に、江戸幕府の老中で土井大炊頭利勝の寄進により、上野東照宮の塔として建てられました。しかし竣工の8年後の寛永16年(1639)の春に花見客の過失によって焼失してしまい、現在見ることのできる五重塔は、その年のうちに再建されたものです。明治になって、東照宮から寛永寺に移され、さらに寛永寺から東京都に寄付されたものです。

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上野では、慶応4515日、新政府軍と彰義隊の戦いが起きました。敗北した彰義隊の人々の遺骸を焼いた場所に建てられたのが彰義隊の墓です。政府をはばかって「戦死之墓」とだけ刻まれています。字は山岡鉄舟が揮毫したものです。

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最後に案内したのは、西郷隆盛の銅像です。上野のランドマークの西郷隆盛さんの銅像は、高村光雲と後藤貞行の二人のコンビにより製作されました。明治31年の序幕式で、西郷隆盛の糸子夫人が「うちのひとはこんなひとじゃなかった」とつぶやいたといわれていますので、その背景などを説明しました。

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 上野公園内だけの散歩でしたので、歩く距離は、あまり長くありませんでしたが、そのかわり、各所でじっくりと説明しましたので、終了したのは5時直前でした。

ご参加いただいた皆様ありがとうございました。







# by wheatbaku | 2019-05-19 14:37 | ~山手線一周~ 駅から気ままに江戸散歩
「江戸検1級合格虎の巻」講座の開講(予告)

「江戸検1級合格虎の巻」講座の開講(予告)

 

 江戸楽アカデミーで、810日に、『江戸検1級合格虎の巻』講座を開講することになりましたので、早めにご案内させてもらいます。

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 過去6年にわたり、江戸検1級合格のお手伝いをしてきましたが、昨年までで延べ50人の方が1級に合格しました。

 この間の1級合格のお手伝いをする中で学んだ合格するための勉強方法や心構えを、昨年「1級合格虎の巻」という小冊子にまとめました。この小冊子には多くの合格のためのノウハウが詰まっています。

 昨年、その「1級合格虎の巻」を解説する講座を開講したところ、大勢の人に受講いただき、大変好評でした。しかも、受講いただいて人たちの中から9名もの1級合格者がでました。

 昨年の1級合格者は全体で36名でしたので、その四分の一の人が講座受講者ということになり、大変うれしく思いました。

 こうしたことから、江戸検受検者の皆さんから、今年もぜひ「1級合格虎の巻」講座を開講して欲しいという要望がありましたので、次の日程で開講することになりました。

《江戸楽アカデミーの講座概要》

これを聞けば合格に必ず近づく!『江戸検1級合格虎の巻』講座

開催  8月10日(土)12:30~15:30

受講料(税込) 4,860円

会場  小学館集英社プロダクション・SP第3ビル

定員  38名

 昨年と同じように、合格のための勉強方法や心構えを詳しく説明しますが、今年はさらに、多くの人が苦手と考えている記述問題対策を追加します。そして、昨年この講座を受講して見事1級に合格した人の合格体験談も話していただくことにしました。

 ですから、今年の講義は、昨年の2時間から3時間と、講義時間を1時間長くして、虎の巻解説と合格体験談の発表をさせていただきます。

 まだ、虎の巻講座を受講していない方にはもちろんですが、昨年受講し今年も江戸検を受検される方にもお役に立つ講座だと思います。多くの人の受講をお待ちしています。

 なお、江戸楽アカデミー事務局からの正式な告知は、5月下旬になると思われます。(⇒最新情報では6月初旬になるかもしれません)
 江戸楽アカデミーの公式ホームページを適宜チェックしていただき、早めにお申し込みください。






# by wheatbaku | 2019-05-16 23:22
  

江戸や江戸検定についてに気ままに綴るブログ    (絵は広重の「隅田川水神の森真崎」)
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