皆さん、お雑煮は食べられましたか。我が家では、昨日も今日もお雑煮食べました。
江戸時代は、正月三日間はお雑煮を食べました。
東都歳事記には、元日の項に
「今日より三日まで貴賎雑煮餅を食し、・・・・ 」 と書いてあります。
雑煮は、年越しの夜に神を迎えた祭りの直会(なおらい)の式中の食事として、神撰物をおろして、それを一緒に調理したものだそうです。

「雑煮の称は、中世における信仰の衰退から、この不穏当なる称が許され、雑然たつ集め汁の呼称に変わった」と書かれています。
同じく注意書きには、徳川家の雑煮について書かれています。
「徳川家の雑煮は、餅、大根、牛蒡、焼豆腐、芋、くしこ、昆布、くしあわび、結び蕨であった」
と書かれています。
「くしこ」とは腸を取り除いたナマコをゆでて串にさして干したものです。
「絵本江戸風俗往来」には雑煮のことがより詳しく書かれています。

菊池貴一郎は、嘉永元年((1848)に生まれ大正14年(1925)になくなっています。
「絵本江戸風俗往来」は、明治38年に発行されました。
「絵本江戸風俗往来」では、「屠蘇を汲み雑煮を祝う」というタイトルで雑煮について次のように書いています。
江戸中家々あるとあらゆる如何なる貧苦の者にても、正月元日・二日・三日の三朝屠蘇は汲まざるも、雑煮の調えなきものはなし。
(中略)
屠蘇は平生出入りせる医師より参らするものを用ゆ。重詰の品は、田作(ごまめ)・数の子・座禅豆の三種なり。併し家々の式により一定せざるども、この三種通常用ゆる所なりとす。
雑煮は、餅に添えて、小松菜・大根・里芋を通常とす。つゆは味噌汁を用ゆる所もあり。餅も焼きて用ゆるあり。湯に煮て使うあり。箸は雑煮箸とて、別製に大き柳箸を白紙に包み、紅白の水引にて結び、田作(ごまめ)を二つ水引きに差すなり。
上の写真は、我が家で作った雑煮です。菊池貴一郎が書いている食材、餅、小松菜、大根、里芋で作ったものです。
「守貞謾稿」には、江戸と大坂の雑煮について次のように書かれています。
江戸は切餅を焼き、小松菜を加え、鰹節を用ひし醤油の煮だしなり。塩鯛、裡白等のことなし。
大坂の雑煮は味噌仕立なり。五文取りばかりの丸餅を焼き、これを加ふ。小芋、焼豆腐、大根、乾鮑、大略この5種を味噌汁にて製す。
江戸では、切餅で醤油仕立てが中心ですが、大坂では、丸餅で味噌仕立てになっていたようです。