カテゴリ:江戸の花と木( 55 )
雪吊(ゆきつり) (松⑤ 江戸の花と木)
 松に関係する冬の風物詩として、雪吊(ゆきつり) があります。
 雪吊は、冬季、雪が付着することで、樹木の枝が折れないように、縄で枝を保持することです。
 松の枝は冬になると組織が硬化するため雪の重みで折れやすくなるので、雪吊でそれを防ぎます。
 
【雪吊は兼六園が有名】  
 雪吊は、金沢市の兼六園が有名です。
唐崎の松 雪つり
唐崎の松 雪つり posted by (C)KYR(お休み中)

 兼六園では、毎年11月1日から雪吊作業が行われます。
 雪吊は兼六園で随一の枝ぶりを誇る「唐崎松」から作業が始められます。
 「唐崎松」は樹齢約200年の名木で、高さ9メートル、枝針20メートル、幹回り2.6メートルあります。

 「唐崎松」の雪吊は、りんご吊という手法で行われます。
りんご吊は、樹木の幹付近に柱を立て、柱の先端から各枝へと放射状に縄を張る雪吊の代表的手法です。
 これは、明治以降、西洋リンゴの栽培が日本で始まり、リンゴの実の重さから枝を守るために行った初期の技法に由来するそうです。
 兼六園では大正の初めごろから行われていたと言われています。
 雪吊作業は11月1日~12月中旬に行われ、雪吊の取り外しは、3月15日頃から約1週間で完了するそうです。「唐崎松」を一番最後に取り外し、北陸の春を迎えることになります。

 なお、あまり雪の降らない東京でも雪吊が行われますが、北陸特有の湿気の多い重い雪から木々を守る本来の雪吊とは違い、雪のほとんど降らない東京では、訪れる人の目を楽しませ、伝統技法を理解してもらうことを目的にしているとのことです。
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by wheatbaku | 2010-12-26 12:38 | 江戸の花と木
袈裟掛松 (松④ 江戸の花と木)
 江戸における有名な松に、洗足池の袈裟掛松があります。
 この松も、広重が名所江戸百景に描き、江戸名所図会でも紹介されている松です。

c0187004_16354375.jpg【日蓮が袈裟を掛けた】
 東急池上線洗足池駅を出て目の前の中原街道を横断すると洗足池公園があります。
 その洗足池のほとり、洗足図書館の北側の妙福寺に、日蓮上人が休憩した際に、袈裟を掛けたと伝わる袈裟掛松があります。
 現在は3代目の松であると言われています。
 右の写真のように、かなり高さのある木になっています。

 江戸名所図会には次のように紹介されています。
 ただし、この中では、袈裟でなく腰を掛けてと書かれています。
 『千束の池 本門じの西、一里余を隔ててあり、長さ東西へ3丁ばかり、幅南北へ五十歩ばかりあり。土人いう、往古(そのむかし)、この池に毒蛇住めり、後、七面に祭るといふ。また池の側(かたわら)に、日蓮上人の腰を懸けたまひしと称する古松一株(いっちゅう)あり。』

c0187004_163667.jpg【千束池⇒洗足池】
 千束郷は中世はかなり広い地域だったようです。千束池はその千束郷一帯をうるおす灌漑用の大池でした。
 弘安5年(1282) 、甲斐の身延山を下り、常陸へ湯治に向かう途中の日蓮上人が、この池のほとりで休憩し、手足をすすいだという伝説があります。この伝説とセンゾクという音が結びついて、この池を「洗足池」と呼ぶようになったという有名な説があります。
 江戸時代は「千束池」と書かれていますが、現在は「洗足池」と表記されています。

c0187004_22441562.jpg【「千束の池 袈裟掛松」】
 広重の名所江戸百景の「千束の池 袈裟掛松」で袈裟掛松を描いています。
 画面右中段の柵に囲まれて立っているのが、袈裟掛松です。
 手前の人馬や駕籠が行き交う道が中原街道です。東海道が海岸沿いを通って江戸に入る街道ですが、中原街道は、丘陵地を通って江戸にはいる街道です。徳川家康が江戸に入る際にも中原街道を使用したそうです。
 絵の遠景として書かれている山が何という山であるか特定するのは困難なので、構図をよくするために広重が描いた山であるという説もあります。


c0187004_16374819.jpg【海舟が愛でた地】
 この地の風景を愛した勝海舟の墓が袈裟掛松の北側にあります。
 洗足池駅からは徒歩10分程度です。
 勝海舟は江戸城無血開城のため、池上本門寺に滞在する西郷隆盛と談判をするために、この地を通りました。
 その際に、ここの風景を大変気に入りました。
 そのため、海舟は、明治になってから、ここに別荘を建て、亡くなった際には、ここに葬られたのでした。
 海舟の墓の近くに海舟が建てた「西郷隆盛留魂碑 」も移設されています。


 緑が「袈裟掛松」青が「勝海舟墓」です

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by wheatbaku | 2010-12-24 05:53 | 江戸の花と木
小名木川五本松(松③ 江戸の花と木)
 江戸の有名な松の2回目は 「小名木川五本松」 について書いていきます。
 小名木川五本松は、広重の「名所江戸百景」に描かれたり、「江戸名所図会」にも書かれた文字通り江戸の名所でした。

【小名木橋のたもとに3本】
 現在の小名木川の五本松は、東京メトロ半蔵門線「住吉」駅5番出口から徒歩3分の小名木川にかかる小名木川橋の東北のたもとに植えられています。
c0187004_0104727.jpg 小名木川は、江戸時代の初めに、下総の行徳から塩を運ぶ水路として開削された運河です。
 その小名木川のほぼ中間の北岸、深川猿江町の一角に整然と並ぶ5本の松がありました。それが有名な小名木川五本松です。
 この松は、明治の末に枯死しましたが、昭和63年9月に現在の地に復活しました。
 昔は5本でしたが、現在、小名木川橋の東北のたもとに植えられているのは3本の松です。【帰宅後調べてみると西北のたもとに2本の松が植えられているようです。両方をあわせると5本の松になります。】

c0187004_0112059.jpg【小名木川は重要な水路】
 小名木川は、小名木四郎兵衛により開削されたため、その名がついたといわれています。
 東側は、中川と中川御番所でつながり、西は万年橋の近くで隅田川とつながり、約5キロを一直線に結んでいます。
江戸が発展するにつれて、小名木川は塩を運ぶだけの水路でなく、銚子から利根川をさかのぼり、関宿から江戸川を下ってきた物資を江戸に運ぶ水路の役割も果たしました。

c0187004_0145428.jpg【小奈木川五本まつ】
  広重が描いた頃には、五本松のうち4本は既に枯れてしまっていて、丹波綾部藩九鬼家の下屋敷内に残った1本の松の枝が、伸びに伸びて小名木川の水面に覆っていました。
 江戸の日本橋小網町にあった行徳河岸から行徳までは、「行徳船」と呼ばれる船が往復していました。
 15人から24人ほどが乗れる舟で江戸から行徳までは半日かかったようです。
 絵に描かれているのは、その「行徳船」と思われます。
 広重のこの絵では、小名木川が曲がって描かれていますが、実際は直線でした。


【江戸名所図会】
 江戸名所図会には次のように書かれています。
c0187004_9354234.jpg 『同所小名木川通り大島にあり。(ある人云く、旧名女木三谷(おなぎさや)なりと。古き江戸の図にうなぎ沢とも書けり。『江戸雀』小奈木川に作る。又この地に鍋匠(なべつくり)の家ある故に、俗間字して鍋屋堀とよべり。)九鬼家の構へのうちより、道路を越えて水面を覆ふ所の古松をいふ。(昔は、この川筋に同じ程の古松五株までありしとなり。他は枯れて、ただこの松樹(まつ)のみ今なお蒼々たり。)又この川を隔てテ南岸の地は、知恩院宮尊空法親王御幽棲の旧跡なり。(同卷本所霊山寺の条下を合せみるべし。)』


c0187004_0114446.jpg【芭蕉句碑】
 その五本松の碑の北側に、松尾芭蕉の句碑がありました。
 この句碑は、2008年12月に、この地に本社がある住友セメントシステム開発という会社が創立20周年記念事業の一環として建立したそうです。
 「奥の細道」の旅を終えた芭蕉が、元禄6年(1680)に小名木川五本松のほとりに舟を浮かべて一句を吟じたそうです。
 石碑には、その時に読んだ「川上とこの川下や月の友」の句が刻まれていました。



赤字が小名木川五本松です

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by wheatbaku | 2010-12-23 09:43 | 江戸の花と木
首尾の松 (松② 江戸の花と木)
 江戸には、有名な松が何本もありました。その松はほとんどが枯れてしまっています。
 しかし、いくつかは、その後継の松が植えられているものがあります。
 蔵前にあった 「首尾の松」 もその一つです。

【現在の首尾の松は7代目】 
 「首尾の松」は現在は、蔵前橋の西のたもとにあります。 
c0187004_14572975.jpg 都営地下鉄「蔵前」駅A1番出口から徒歩5分のところです。
 現在の首尾の松は7代目といわれていますが、それほど大きくありません。
 右写真は蔵前橋通りの反対側から撮ったものですが、2本の松のうち右の大きいほうが「首尾の松」です。
 背景にみえるのは隅田川の向こう側にある両国国技館です。

【首尾の松の説明板】 
 首尾の松の説明板に、首尾の松についてわかりややすく書かれていました。
c0187004_14574823.jpg 『この碑から約百メートル川下に当たる。浅草御蔵の四番堀と五番堀のあいだの隅田川岸に、枝が川面にさしかかるように枝垂れていた「首尾の松」があった。
 その由来については次のような諸説がある。
1、寛永年間(1624~43)に隅田川が氾濫したとき、三代将軍家光の面前で謹慎中の阿倍豊後守忠秋が、列中に伍している中から進み出て、人馬もろとも勇躍して川中に飛び入り見事対岸に渡りつき、家光がこれを賞して勘気を解いたので、かたわらにあった松を「首尾の松」と称したという。
 2、吉原に遊びに行く通人たちは、隅田川をさかのぼり山谷堀から入り込んだものだが、上がり下りの舟が、途中この松陰によって「首尾」を求め語ったところからの説。
 3、首尾は「ひび」の訛りから転じたとする説。江戸時代、このあたりで海苔をとるために「ひび」を水中に立てたが訛って首尾となり、近くにあった松を「首尾の松」と称したという。
 初代「首尾の松」は安永年間(1772~80)風災に倒れ、更に植継いだ松の安政年間(1854~59)に枯れ、三度植え継いだ松も明治の末頃枯れてしまい、その後「河畔の蒼松」に改名したが、これも関東大震災、第二次世界大戦の戦災で全焼してしまった。昭和三十七年十二月、これを惜しんだ浅草南部商工観光協会が、地元関係者とともに、この橋際に碑を建設した。現在の松は七代目といわれている。』


 c0187004_1585053.jpg 【名所江戸百景「浅草川首尾の松御厩河岸」】 
 「首尾の松」を、歌川広重は、名所江戸百景の「浅草川首尾の松御厩河岸」で描いています。
 「首尾の松」は、浅草御蔵のなかにありました。
 御蔵には、米を荷揚げするために1番堀から8番堀まで櫛状の堀がありました。
 その堀の4番堀と5番堀の間の埠頭の先端にあった松が「首尾の松」でした。
 広重の絵では左上から枝を張り出しているのが「首尾の松」です。
 広重が描いている松も、上記の説明板の説明されているように初代の「首尾の松」ではありませんでした。
 松の下には男女の忍び合いの屋根舟が係留されています。
 その舟の奥の川船は、御蔵の北にあった御厩河岸と向かいの本所石原町を結ぶ渡し船です。

【浅草御蔵】 
 浅草御蔵について少し説明しておきます。
  蔵前には、江戸時代天領から送られた米を保管する米蔵がありました。
c0187004_8321446.jpg これは浅草御蔵と呼ばれていました。
 浅草御蔵は、南は現在の浅草柳橋2丁目より、北は浅草蔵前3丁目にかけてありました。
 敷地は、もっとも広かった弘化年間(1844~48)には、およそ3万6000坪ありました。
 南北が580メートル、東西が広いところで830メートル、狭いところで230メートルあり、「東京ドーム」2つ分の広さがありました。
 現在、蔵前橋通りをはさんだ首尾の松の反対側に「浅草御蔵跡」の碑が建っています。
 現在の蔵前橋通りは、浅草御蔵のほぼ中央を横切る形で通っています。


 緑が「首尾の松」、ピンクが「浅草御蔵跡の碑」 

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by wheatbaku | 2010-12-22 05:47 | 江戸の花と木
松の種類 (松①  江戸の花と木)
 今年も残りわずかとなってきました。
 お正月を迎えるにあたって松を目にすることが多くなりますので、今日からは「松」についていろいろ書いていきたいと思います。

【マツの語源】 
 まず、マツの語源ですが、マツの語源についての定説はないそうですので、いくつかの説を紹介したいと思います。
c0187004_15294347.jpg マツは、神が天から降りるのを待つ木、「祭り木」が転じたものだという説があります。
 また、松の葉は二股となっているので、股がマツになったなどの説があります。
 貝原益軒は「大和本草」で「マツは『タモツ』の上を略したものである。「モ」と「マ」とはお互いに通じあう。マツとは久しく寿をタモツ木なり」と書いています。

【マツは日本に8種あります】 
 マツは、世界中に約90種類あります。松の生育地は、日本、朝鮮、中国、ヨーロッパ、北米など温帯を中心となっており、寒帯・熱帯には生息していません。また、北半球のみで南半球には生息していないそうです。
 日本には、8種類のマツがあります。黒松、赤松が中心で、そのほか、五葉松、朝鮮松、姫小松、這松(ハイマツ)、琉球松、ヤクタネ五葉の6種類があります。
 黒松、赤松は日本特産の松で、赤松、黒松の順で多いそうです。そして黒松は海岸に多く、内陸や産地では赤松が多くなっているそうです。

【黒松】 
 黒松は、赤松に比較して大きく樹皮が黒灰褐色で黒ずんでいて、成長するに従って、幹の皮が深く避けて亀甲型に割れます。葉は太く強剛で猛々しいため雄松(オマツ)とも呼ばれます。
 海岸の砂地に多く生育するところから、潮風を受けて、成長すると幹や枝が著しく曲がり荘厳な趣を出してきます。
 いわゆる白砂青松と呼ばれるのは、黒松が群生した海岸の風景を指したものです。
 右上の写真が黒松です。全体的に黒っぽく見えるのがわかると思います。

【赤松】 
c0187004_1530440.jpg 赤松は文字通り樹皮が赤いのでこの名が付いています。
 黒松とよく似ていますが、葉がやや細く柔らかく、手で触れても黒松ほど痛くありません。
 そのため黒松が「雄松(オマツ)」と呼ばれますが、「雌松(メマツ)」と呼ばれることもあります。
 また、成長すると黒松と同じように樹皮が鱗状に剥がれますが、赤松の方が、より薄く赤っぽくなります。
 左の写真が赤松です。右上の写真と比較すると赤っぽいのがよくわかると思います。

【その他の松】 
 朝鮮松は、朝鮮に多いので、この名があります。文禄・慶長の役の際に日本に持ち帰ったという説もありますが、明治になって、中央山脈等に野生するのが発見され、この説は否定されました。
 琉球松は、鹿児島県の奄美大島から沖縄諸島の西表島にかけて生育する松で、一名沖縄松とも言います。
 這松(ハイマツ)は高山に生え、本州中央山脈では2000メートル以上のところに生育します。雷鳥は、這松の実を食べるといいます。
 五葉松は、葉が五葉となっていて、庭園樹や公園樹として利用されます。
 姫小松は、北関東以北に分布しています。
 
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by wheatbaku | 2010-12-20 23:27 | 江戸の花と木
上野公園のサクラ
 吉田松陰の記事の途中ですが、ちょっと桜の花の話題をさせてください。
 上野公園のソメイヨシノはすっかり散ってしまい、上野公園も花見の雑踏から静かな公園に帰っています。
 ソメイヨシノが終わるとサクラはお仕舞いのように思いますが、よく見るとまだ多くのサクラが咲いています。
 そんなソミヨシノの後に咲くサクラを訪ねてみました。ちょうど満開のものがかなりありました。 これらのサクラは今週末まで見頃ではないでしょうか。そこで急いでそれらのサクラのご紹介をします。

c0187004_22205786.jpgイチヨウ(一葉) 
 小松宮銅像の脇にイチヨウというサクラが咲いています。
 イチヨウは、まさに満開でした。
 大きな木ですが、枝は目の高さにもあって、花の咲いている様子がよくわかります。
 写真はイチヨウの花ごしにみる小松宮像です。

c0187004_22215947.jpg イチヨウは、もと東京の荒川堤で栽培されていた品種です。
 花色は淡紅色であるが、満 開になると白っぽくなります。もう白っぽくなっていました。
 花弁数は20~28枚、花径は3~5cmで、花弁の先端は二裂するか小さく多裂しています。
 花芯から一本の葉化した雌しべが出るので「一葉」と名づけられました。
 よく見ると雌しべ1本だけが緑色をしていました。


c0187004_22222861.jpgカンザン(関山)   
 カンザンは、上野公園のあちこちで咲いています。カンザンも満開でした。
 濃紅色の花ですので、遠くからみてもよく目立ちます。
 これは旧東京音楽学校奏楽堂前のカンザンです。
 濃紅色が木造の建物によく映えていました。
 奏楽堂前のカンザンはそんなに高くないので、目の近くでをがよく見ることができます。 

c0187004_22243123.jpg カンザンも、もと東京の荒川堤で栽培されていた品種です。
 花は濃紅色で直径5~6cmの大輪です。
 花は多く、花弁のうち大花弁は30~40枚、小花弁は12~15枚もあるそうです。
 枝が内側に向かって弓なりに曲がる特性があるため、盃状の独特の樹形になります。
 桜湯は、このカンザンの花を使い作ります。


c0187004_22245547.jpgフゲンゾウ(普賢象) 
  精養軒の駐車場の脇に咲いているフゲンゾウです。
  フゲンゾウの花の時期は、ソメイヨシノよりかなり遅れるため、まだ5分咲き程度です。
  でも広い駐車場のなかで、華やかに咲き始めているため、写真を撮る人がかなりいました。

c0187004_2225163.jpg フゲンゾウは室町時代から栽培されている古い品種です。
 最も外側の花弁はやや濃い淡紅色であるが、内側の花弁はほとんど 白色です。
 ふつう2本のめしべが葉化して長く突き出します。
 この2本の葉化しためしべ を普賢菩薩が乗る白象の象牙に見立ててつけられました。
 写真でも2本が緑色しているのがわかると思いますがいかがですか?


c0187004_22433635.jpgウコン(鬱金) 
 ウコンは、淡黄色をした花を咲かせる珍しいサクラです。先日紹介した「ギョウイコウ(御衣黄)」より緑色が淡くなった色合いをしています。
 ウコンは、上野公園では少なく3本しかありません。
 五条天神社の参道に1本、不忍池縁に2本だけです。
 不忍池のものは2本ともまだ若木でしたが、五条天神社のウコンはかなり大きくなっています。
 五条天神社の参堂入り口から見ると、他の樹木の葉の緑色に紛れてしまいますが、手水舎の脇からみると淡黄色の花がよく見えます。

c0187004_2241528.jpg ウコンも、東京の荒川堤で栽培されていた品種です。
 ショウガ科の「うこん」の根に似た色の花を咲かせるので、こう名づけられました。
 花は、名前の通り淡黄緑色です。ただ最外部のものは外面が淡紅色を帯びています。
 花径は3.5~4cm、花弁数は10~15枚です。


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by wheatbaku | 2010-04-20 05:37 | 江戸の花と木
御衣黄 (桜 江戸からの花)
 柳森神社は、秋葉原駅昭和通り口から、和泉橋を渡って徒歩5分の駅近にあります。しかし、意外と知られていません。
 この神社の境内に、珍しいサクラがあります。今日は、そのサクラのご紹介です。
 サクラの名前は 「御衣黄(ギョイコウ)」 と言います。

c0187004_2315517.jpg【桜の花の色もさまざま】
 サクラの花は、淡いピンクと思っている人が多いと思いますが、淡いピンクばかりではありません。
 サクラの種類は、300種類以上もありますので、花の色もいろいろあります。
 もちろん淡いピンクが一番多く、ソメイヨシノが代表的ですが、その次に多いのが白色のサクラです。その他、緑色や黄色の花を咲かせるものもあります。


c0187004_2325528.jpg【緑色の花を咲かせる御衣黄】
 この「御衣黄(ギョイコウ)」は、緑色の花を咲かせる珍しいサクラです。
 この緑色は葉緑体によるものだそうです。
 「御衣黄(ギョイコウ)」の名の由来は、気品のある色合いが、昔の貴族の衣装を思わせることから、この名がついたといわれています。
 見慣れたサクラとは違う珍しいサクラだと思います。


c0187004_23289.jpg【柳森神社の由来】
 「御衣黄」ごしに見る社殿です。
 社殿の前に、「御衣黄」が大きく枝を茂らせています。
 柳森神社は、室町時代、太田道灌公が江戸城の鬼門除けとして、多くの柳をこの地に植え、京都の伏見稲荷を勧請したことに由来する神社です。
 筋違橋から浅草橋にかけて、防火用の土手が作られ、その土手に柳が植えられたことことから、このあたりは柳原の土手と呼ばれました。
 柳森神社のある場所は、その柳原の土手の跡でもあります。

c0187004_233138.jpg【稲荷様なのに狸の像】
 柳森神社の祭神は、ウカノミタマノカミいわゆるお稲荷様です。
 一般の稲荷神社では、お使いは狐の像が祀られますが、ここでは、狸がお迎えします。
 境内の鳥居脇ににユーモラスなお狸さまが鎮座しています。
 「福寿たぬき尊像」と台座に彫られています。

c0187004_2333369.jpg【おたぬきさま】
 これが「おたぬきさま」です。正式名称は「福寿神」です。
 柳森神社の社殿の脇に鎮座しています。
 この神社は、5代将軍綱吉の生母桂昌院が江戸城内に「福寿いなり」として創建されたものですが、桂昌院が「他をぬき(たぬき)」玉の輿に乗ったことから、大奥の女中が「おたぬきさま」として崇拝したそうです。
 明治2年に、柳森神社に合祀されたものです。

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by wheatbaku | 2010-04-13 06:30 | 江戸の花と木
桔梗  (秋の七草 江戸の花)
 秋の七草の最後は、 「桔梗」です。

 万葉集のなかで秋の七草と歌われている「朝貌の花」は「桔梗」であると言われています。
 朝貌の花については、桔梗のほか、朝顔(牽牛子)説や槿(むくげ)説があります。
 しかし、牽牛子や槿は、一日花で夕方までには萎んでしまうことや牽牛子や槿はどちらの花も自生したものではなく栽培されている花であったことなどから、桔梗説が有力です。

c0187004_17374665.jpg 桔梗はキキョウ科キキョウ属の多年草で、日本全土、朝鮮半島、中国、東シベリアに分布し、山野の日当たりの良い所に育ちます。
  桔梗の仲間は、この桔梗のみの、いわゆる一種一属の花です。

 根は太く、黄白色。高さは40~100cm程度。葉は互生で長卵形、ふちには鋸歯があり、下面はやや白みがかっています。
 
 つぼみが徐々に緑から青紫にかわり裂けて6~8月に星型の花を咲かせます。花冠は広鐘形で五裂、雄しべ・雌しべ・花びらはそれぞれ5本です。
 つぼみの状態では花びら同士が風船のようにぴたりとつながっています。
 そのため  加賀千代女は、「桔梗の 花咲く時 ぽんと言ひそうな」と詠んでいます。

【桔梗は漢名】
c0187004_1738593.jpg  桔梗の名前の由来は、中国の呼び名に由来しています。
 桔梗は呉音ではケチキョウと読み、漢音ではキチコウと読みます。
 キキョウの名前は、頭に漢音のキが、下に呉音のキョウがついて出来た名前です。

 桔梗は、日本での古い名前は「アリノヒフキ(蟻の火吹き)」「オカトトキ(岡のトトキ)」と言ったそうです。トトキとはツリガネニンジンという花のことです。

 また、韓国ではトラジといい、肥大した根をキムチ、ナムル、ビビンバなどの食材にするそうです。
 トラジという屋号の韓国料理店は多いですが、トラジが桔梗のこととは初めて知りました。

 桔梗は江戸時代には、栽培品種が多くなり、元禄12年発刊の伊藤伊兵衛の「草花絵前集」には花の大きさが9センチの桔梗が載っているそうです。

【桔梗紋】
c0187004_17382685.jpg 花の形から「桔梗紋」が生まれました。桔梗紋で有名な武将は、明智光秀です。本来、美濃の土岐氏一族が桔梗紋を紋所にしていて、明智光秀も土岐氏一族であすので、桔梗紋を使いました。
 太田道灌も桔梗紋ですが、明智光秀の桔梗紋とまったく違って、花弁が非常に細い紋になっています。
 江戸城にある内桜田門の別名は桔梗門ですが、これは、城門の瓦に大田道灌の桔梗紋がついていたからと言われています。

【桔梗も絶滅危惧種】
 桔梗は、山菜として食用にされ、飢饉に備えて蓄えておく糧物(かてもの)として重要な地位をしてめていたそうです。そうした桔梗が今や藤袴と同じように、自生株が減少傾向にあり、絶滅が危惧される植物として環境省のレッドデータブックの絶滅危惧II類(VU)に載るようになってしまっています。
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by wheatbaku | 2009-09-05 05:35 | 江戸の花と木
藤袴  (秋の七草 6 江戸の花)
秋の七草 6回目は 「藤袴(ふじばかま)」 です。

c0187004_17184192.jpg  藤袴(ふじばかま)は、夏~秋に、散房状に淡い紫紅色の小さな花をつけるキク科ヒヨドリバナ属の多年草です
 河原などの湿った場所を好みます。花は淡い紫色で、つぼみのときは紫がかった薄いピンクで、花が咲くと白っぽくなります。
 藤袴の名前の由来は、新井白石が書いた「東雅」に「その花淡紫色、藤といふ色に似て、その弁の筩(つつ)が袴に似たるところあれば藤袴といひし」とあるように、花の色が藤の花に似ていて、花弁の形が袴のようだからです。

【唯一の外来種】  
 秋の七草は、すべてが日本原産の花と思われがちですが、藤袴は唯一、中国原産です。c0187004_17152993.jpg 
 日本には上代に渡来したと推定され、『日本書紀』の允恭(いんぎょう)天皇紀の中に、藤袴が庭に植えられている場面が出てくるそうです。允恭(いんぎょう)天皇は、古墳時代の天皇ですので、その頃には庭に植えられていたことになります。
 そして、山上憶良の歌に秋の七草の一つとして詠まれていますので、奈良時代には、もう山野に自生していたことがわかります。
 しかし、万葉集で、藤袴が詠まれている歌は、残念ながら、「秋の七草」の歌だけです。
 源氏物語では、「藤袴」は、五十四帖の巻名の一つとなっています。

 【香りも楽しむ藤袴】  
 藤袴は、生のままでは香はありませんが、乾燥すると、桜餅の葉のような芳香を放つようになります。
 そのため、乾燥させた藤袴は香料としても用いられ、昔の女性は藤袴を香袋に入れ、十二単にしのばせていたようです。

c0187004_17231864.jpg 中国では古くは蘭(らん)とよばれ、紀元前の『易経』や『礼記』にその名はみえているそうです。
 江戸時代の貝原益軒は「花譜」の中で「もろこしの古書に、蘭といえるは、ふぢばかまの事なり」と書いています。
 「蘭」という名称は、現在ラン科の植物に使われますが、『楚辞(そじ)』(2世紀までに成立)には「蘭草大都似沢菊」(蘭草はだいたい沢菊に似る)」の記述があり、キク科の植物でした。
 それが現在のランと同名でよばれたのは、ともに芳香を有するからで、区別する場合は、フジバカマに蘭草、ランに蘭花をあてられました。キク科のフジバカマを指す蘭には、茎や葉に芳香があるため「草」がつけられ、ラン科の蘭には、花に芳香があるため「花」がつけられたそうです。

 【絶滅の危機に瀕する藤袴】 
 このような藤袴も、近年は、河川改修などによる環境の変化で減少し続け、環境省のレッドデータブックでは、「絶滅危惧<II>類(VU)  絶滅の危険が増大している種」に指定されて保護、保全の対象として扱われています。
 京都では、2007年、KBS京都が「守ろう!藤袴プロジェクト」を立ち上げ、KBS京都を中心としたキャンペーンがはられています。

c0187004_17155559.jpg  「藤袴」という名の植物が、観賞用として園芸店で入手でき庭にも好んで植えられますが、ほとんどの場合は、よく似た同属他種または藤袴との雑種である園芸種(藤袴とヒヨドリバナなどが交配したもの)などだそうです。
 藤袴に似た花には、 ヒヨドリバナ(鵯花) や、ヨツバヒヨドリ(四葉鵯)、サワヒヨドリ(澤鵯) などがあります。
 どれもよく似ていますが、見分けるには、フジバカマの葉は、上部で深く3裂し短い葉柄があり、互生することが他の花と異なっているそうです。

 
 秋の七草の最後になる 「桔梗」 は、明日アップします。
 なお、左側2枚の写真は季節の花300さんより転載させていただきました。
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by wheatbaku | 2009-09-04 06:06 | 江戸の花と木
おみなえし (秋の七草 5  江戸の花)
 秋の七草の5回目は  「女郎花」  です。
 
c0187004_2214577.jpg 女郎花は、沖縄をのぞく日本全土および中国から東シベリアの日当たりのよい原野に普通に見られます。多年草で高さ1メートル前後で茎は真っ直ぐに立ち茎の上方で分岐しています。
 8~10月に、茎の上部の枝分かれした先に多数の黄色い小花を傘状に咲かせます。

 女郎花の仲間は、オトコエシ、ハクサンオミナエシ、キンレイカ、オオキンレイカ、チシマキンレイカなど15種類以上が知られています。

 女郎花の名前の由来は、花の色が、オミナ(女性)をもヘス(圧する)、つまり美女を圧倒する美しさという意味からだという説やオミナ(女性)がウエシ(植えし)花という意味だという説や丈夫な印象があるオトコエシに比較して、全体として優しく見え、オミナ(女性)のように見えて「オミナエシ」と呼ばれたという説などあります。
 大言海は、「花の色、美女を圧(へ)す意かといふ」と説明しています。

c0187004_17354851.jpg  万葉集には女郎花を詠んだ歌が14首あります。
 オミナエシの文字は、女郎花のほかに、美人部為、佳人部為、娘子部四などの文字があてられているそうです。
 オミナには、「美人、佳人、娘子」という字があてられていて、どれも、美しい女性を思わせる文字の用い方になっています。

 「おみな」について、広辞苑で調べてみると、「美人、佳人」と書いています。
 大言海では、「女、音便にオウナ、オンナ」と書かれています。ということは、「おみな」から、現在の女性を指すオンナという言葉になったということだと思います。

 その後、平安時代初期以降は、女郎花の3字があてられるようになりました。c0187004_22152961.jpg 
 「源氏物語」に、 
 『花といえば名こそあだなれ女郎花なべての露に乱れやはする』 
 の記述があり、「女郎花」の文字があてられているそうです。

 平安時代の頃には、「女郎」という言葉には、遊女という意味はなく、女性という意味だけだったのではないでしょうか!
 ですから、「女郎花」というのは、「美しい女性に似た花」という意味だったのでしょう。

c0187004_17364755.jpg 女郎花は、花の美しさとはうらはらに、草や根を乾燥させると醤油(しょうゆ)の腐敗したような臭いがするそうです。
 こうしたことから、敗醤(はいしょう)という漢名が生まれました。「敗」には、腐るという意味もあります。 
 そして、草全体または、根茎を乾燥したものを敗醤と称して、漢方薬として用います。
 
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by wheatbaku | 2009-09-03 06:30 | 江戸の花と木
  

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