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林孝太郎造酢(京都の老舗)
京都の老舗の紹介、今日は、お酢の老舗の「林孝太郎造酢(ぞうす)」です。

 地下鉄烏丸線今出川駅2番出口から8分程の住宅街にあり、建物は町家造りの店舗です。
c0187004_913796.jpg お店がある辺りは、東の端とはいえ西陣の一画だそうです。静かな町並のなかにある落ち着いた風情のお店でした。 
 「林孝太郎造酢」は、初代の林孝太郎が、江戸時代後期の天保年間に創業したお店です。
 創業以来170年経っても初代の名前を商号に掲げ大事にしている老舗です。
 「林孝太郎造酢」は、元々造り酒屋から始りましたが、時を経て西陣織の色止めに使われていたお酢を造りはじめ、初代林孝太郎が食用のお酢を造り始めたとのことです。

c0187004_9133076.jpg 林孝太郎は、造り酒屋の三人兄弟の次男でした。その孝太郎が分家して酢を作り始めました。
 入り口に架かっている暖簾には、ヤマに「や」と染め抜かれていますが、この「や」は「はやし」家の二番目ということを表しているそうです。
 ご本家は、現在も近くで営業している「林忠次郎家」とのことでした。
  林孝太郎造酢の現当主は4代目になります。

c0187004_9134984.jpg 右上写真の左手部分が店舗で、右手部分は工場となっています。
 京都のど真ん中で、お酢が製造されていることに驚きました。
 店内は、工場の中に販売スペースがあるという落ち着いた雰囲気で、派手なPOPもなく、商品がならべられている程度の陳列がかえっていかにも京都の奥ゆかしさが感じられ、快いものでした。
 

c0187004_9193293.jpg 「林孝太郎造酢」のメイン商品は、「京あまり米酢」です。
 お酢はお酒の余り物から造っていた為、お酢屋さんの事を『あまりや』と呼ぶ時代もあったそうです。「京あまり米酢」の『あまり』はそこからの由来です。
 創業以来、変わらぬ製法で京の名水と国産米をゆっくりと熟成させて造られたのが、「京あまり米酢」とのことでしたので、これを購入してきました。
 マイルドな味に驚きました。



 赤印が「林孝太郎造酢」です。


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by wheatbaku | 2014-04-17 09:01 | 江戸の老舗
本田味噌本店の西京味噌(京都の老舗)
 今日は、京都の老舗で「西京味噌」で有名な「本田味噌本店」をご案内します。

c0187004_9581575.jpg 「本田味噌本店」は天保元年(1830年)に創業された老舗です。
 丹波杜氏であった初代丹波屋茂助が御所のご用命を受け、宮中の料理用味噌を吟醸し、献上したのが始まりとのことです。
 本田味噌本店ののれんに「丸に丹」の字が染め込まれているのは、丹波屋と称していたからだそうです。

 お店は、京都御所の西側にあり、市営地下鉄烏丸線「今出川駅」6番出口より徒歩6分 にあります。
 烏丸通りから西に入った住宅街の中にあり、町家風の落ち着いた店舗でした。

c0187004_10085.jpg 「本田味噌本店」のメイン商品は、「西京白味噌」という商品です。
 「西京味噌」といえば、魚などを西京味噌に付け込んだ「西京漬け」が思い起こされますが、「西京味噌」と呼ばれるようになったのは、明治維新により都が江戸へ遷都され「東京」となり、それに対して京都を「西京」とも呼んだことから、「西京味噌」といわれるようになったようです。

 「西京味噌」と呼ばれるには、しっかりした決まりがあるようで、京都府味噌工業協同組合の定める西京味噌の定義等は次のようになっています。
c0187004_1022354.jpg①西京味噌の定義
京都府味噌工業協同組合に所属する企業が、同組合の認定する原料を使用し、京都府内で生産し、同組合の品質認定を受けた低塩甘口の白みそ。
②西京味噌の品質認定
西京味噌の品質については、京都府味噌工業協同組合内に設置する品質審査委員会において認められたものに限る。
③西京味噌の製造技術
(ア) 京都府内で創業50年以上、もしくは味噌技能士1級以上の技術者が在職していること。
(イ) 全国味噌協同組合連合会主催の鑑評会で表彰されている、またはそれと同等の製造技術を有していること。
(ウ) 前項のいずれかに該当すること。

 西京味噌は、味噌の種類の中では、①米味噌、②甘味噌、③白味噌 ということになります。
 甘味噌に分類されていますが、実際に、食してみると、名前の通り、非常に甘いことがわかります。
 これは、米の割合が麹歩合が18割であることによります。

c0187004_1024264.jpg また、色が淡いクリーム色の白味噌ですが、白味噌となるには、大豆を蒸さずに煮るなど、着色させない工夫を製造工程の随所に取り入れているようです。
 味噌には、大きく分けて、白味噌と赤みそがありますが、このような色の違いは、豆蒸しの過程及び発酵の過程で起こるメイラ−ド反応によって違ってくるんだそうです。
 メイラ−ド反応とは、大豆などのアミノ酸が糖と反応して褐色に変化することで、メイラ−ド反応が十分に起こった味噌ほど、褐色になります。
 このメイラ−ド反応を抑えるために、白味噌は、蒸さずに煮ます。
 また、熟成期間が長いと着色が進むため、白味噌は短期間で熟成させます。
 こうして淡いクリーム色の西京味噌ができあがるようです。

c0187004_1155894.jpg  店内には、江戸時代に禁裏御用を賜っていた証である「禁裏御所御出入御門鑑(きんりごしょおんでいりごもんかん)」が2枚、そして「准后殿御出入御門鑑札(じゅんごうごてんおんでいりごもんかん)」1枚が展示されていました。
 右写真の左に写っている鑑札がそれです。
 なお、准后とは、准三后ともいい、太皇太后、皇太后、皇后の三后に准じて優遇された皇族・貴族をいいます。


 赤印が「本田味噌本店」です。
 今出川通りに面している 「虎屋京都一条店」(青印) が目印となります。

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by wheatbaku | 2014-04-16 10:01 | 江戸の老舗
丸久小山園 抹茶製造工程
 京都宇治の丸久小山園では、抹茶の製造工程も教えていただきました。
 壁に掲示してあったパネルは撮影許可をいただきましたので、撮影してきました。
 今日は、工場に掲示されてあった資料に基づき、抹茶の製造工程をご案内します。

 抹茶の概略の工程は、抹茶の原料となる碾茶(てんちゃ)を製造する工程と碾茶を挽いて抹茶を製造する工程とに分かれます。
 抹茶ができる前に、碾茶という中間加工品があるということを今回初めて知りました。

1茶園に覆いをする。
c0187004_12283824.jpg 4月上旬には、茶園に「よしず」を広げて、さらに、日光を遮るため、わらを均等に振り広げる「わらふり」が何回かに分けて行なわれます。
 この作業はかなりの重労働のようです。
 現在、被覆は取り扱いの良さ、耐久性の強さなどから、寒冷紗も用いられているとのことです。
 覆下茶園で育った新芽は鮮やかな緑色でしかも渋味が少なく旨味が多くなるそうです。

2手摘み
c0187004_122978.jpg 5月上旬には、人手による茶摘みが始まりますが、宇治の碾茶(てんちゃ)は現在でも一葉一葉大切に手で摘み採っていきます。
  茶の樹は前年の摘採直後に台刈りされ、1年かけて枝葉を伸ばし、地上1.2mくらいまで成長させたもので、品質を落とさないよう1年に1回、一番茶しか摘まないそうです。
 一年に一回しか摘まないし、かつ人で摘むわけですから、抹茶が高価なのはわかりますね。

3、蒸 し
c0187004_12294444.jpg 摘採した生葉を放置すると、ただちに発酵が始まり、熱をもちます。
 そこで、生葉の品質劣化防止・鮮度維持のために、荒茶工場へ運ばれた茶摘まれた生葉はすぐに強烈な蒸気で蒸されます。
 蒸すことによって発酵を止めることができるそうで、日本のお茶独特のものだそうです。

4攪拌・冷却
c0187004_1230297.jpg  蒸した茶葉は、高温のまま放置すると、色・香味とも悪くなるため、ネットで覆った冷却用の散茶機の内部に吹き上げ、蒸し葉同士が重なり合わないように拡散させながら冷却します。


5乾燥
c0187004_12313894.jpg 冷却された茶葉は、まだ水分が含まれているため、「ほいろ」と呼ばれるレンガ造りの乾燥炉の中で、コンベア上を移動させ乾燥させます。
 こうして出来上がったお茶を「碾茶の荒茶」と呼ばれます。


5冷蔵保存
c0187004_1232093.jpg 冷蔵保管される荒茶できあがった荒茶は密封され、低温で貯蔵されます。そして必要量だけを少しずつ出庫して精選加工の工程にまわします。


6、精撰加工
c0187004_12325679.jpg 冷蔵庫から出された荒碾茶は、一定の形に切断され、唐箕(とうみ)にかけ、風力を利用して茎や葉脈を取り除きます。
 さらに「ふるい」にかけて、大きさを揃えます。
 そして、静電気の作用で混入した古葉やわらを取り除きます。

7、審 査
c0187004_12353756.jpg 精撰で出来た碾茶は、品種・地質・肥料の加減・製造時期などによって違うそうです。
 その品質や特徴を、外観・味・香り・水色・かす色によって見極めます。


8合組み・石臼による粉砕
c0187004_12333721.jpg  審査で、色・香り・味それぞれの特色がチェックされた碾茶は、バランスのとれた製品にする為に、それぞれの特徴を生かして合組み(ブレンド)された仕立碾茶が出来上がります。
 そして銘柄別の仕立碾茶は、石臼でじっくりと時間をかけて、キメ細かくひき上げられます。ミクロン単位の粒子の細かさや独特の風味などの点で、石臼以上のものはないそうです。
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by wheatbaku | 2014-04-15 12:29 | 江戸の老舗
「播磨分断」(大河ドラマ「軍師官兵衛」第15回)
 昨日の「軍師官兵衛」のタイトルは、「播磨分断」でした。
 福原城と上月城の陥落で一旦平定された播磨が、織田方だった三木城の別所長治が叛旗を翻すことなり、再び播磨は戦乱の地となります。
 
 この別所長治の叛旗について、史書でも、大河ドラマで描かれていたように加古川評定でやりとりが切っ掛けとなったと書いているようです。
c0187004_9435255.jpg 三木城の別所長治は、まだ若年であったあったため、別所賀相(よしすけ)と別所重宗の二人の叔父の後見を受けていました。
 このうち、別所重宗はもともと織田支持でしたが、別所賀相はもともと毛利方でした。 
 こうした関係の中で行われた加古川評定で、秀吉別所賀相と秀吉の意見が食い違いが出ました。
 その時の秀吉の態度が高飛車で聞き耳をもたなかったことが要因であったとされているようです。

 また、別所家が織田支持に固まっていなかった背景として、別所家の中に「織田信長は信用できず、別所家は使い捨てられるだけだ」という不信感があったようです。
 そうした情況の中で、毛利家からの働きかけがあったため、加古川評定の不調を切っ掛けとして、別所家は、反織田となったようです。

 右写真は、加古川評定が行われた加古川城跡に建立されてている称名寺(ウィキペデイアより)です。

 東播磨の一大勢力であった別所長治が叛旗を翻したのに呼応して、東播磨の城主たちが一斉に叛旗を翻すこととなり、秀吉は、その平定に2年を要することとなります。
 そして、その中心となった三木城攻防戦は、食糧攻めを中心としたため、いわるゆ「三木の干殺し」と呼ばれる戦いとなりますが、それらのお話は、今後の展開となります。

冒頭で、天正6年正月の茶会の様子が出ていましたので、それについても触れておきます。
この茶会に参加したのは、「信長公記」によれば、織田信忠、滝川一益、明智光秀、丹羽長秀、荒木村重、羽柴秀吉、細川藤孝など12名だったそうです。
 信長は、茶の湯を家臣団統制の一つをとして利用していました。そのため、この茶会に出席できるというのは、特別の意味があったようです。
 同様に、信長から茶器を与えられるということは、特別の意味がありました。
 ですから、秀吉は、信長から名物茶器「乙御前の釜」を与えられ非常に喜んだわけです。
 当時、柴田勝家が「姥口の釜」、丹羽長秀が「白雲の葉茶壺」、明智光秀が「八重桜の葉茶壺」を信長から与えられていました。
 いずれも錚々たる武将たちです。
 秀吉が、名物茶器を与えられたということは、これらの人たちと同様に信長から高く評価されたということになります。
 秀吉が大喜びするはずです。
 
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by wheatbaku | 2014-04-14 09:46
浅草食文化散歩(大江戸散歩)
 昨日、毎日文化センターの「江戸の食文化体験~江戸の老舗めぐり」(略して「食文化散歩」)があり、浅草を散歩してきました。
 そこで、今日はその様子をアップします。

 これほど散歩に適してた天候はないと思われるほどの絶好の行楽日和でした。
 江戸検受験対策散歩と銘打ったため、参加された皆さんの大多数が江戸検受験を予定している人たちでした。
c0187004_10581964.jpg また、江戸文化歴史検定協会のUさんも特別参加してくださいました。
 ご参加いただいた皆さんお世話になりありがとうございました、
 

 現在、浅草寺では、「大絵馬・寺宝展と伝法院庭園拝観」を開催中です。
 そこで、今回の「食文化散歩」は、①老舗めぐり、②「大絵馬・寺宝展と伝法院庭園拝観」と両方を楽しみました。
 右上写真は、好天の下で「大絵馬・寺宝展と伝法院庭園拝観」入場を待つ参加者ですが、後ろにはスカイツリーが写っています。

 今回訪ねた老舗は、「三定」、「海老屋総本舗」、「やげん堀」、「万久味噌店」でした。
c0187004_10575789.jpg  「三定」は 創業のてんぷらやですので、昼食としててんぷらを楽しんでもらいました。
 会の初めには、S専務さんにご話をいただき、「三定」の歴史や「三定」のてんぷらの特徴を教えていただきました。
 右写真は、私が頼んだ「天丼」ですが、ゴマ油であげてあるため、少し黒っぽくなるのが特徴とのことでした。
 S専務さん、本当にお忙しい時間に、ご挨拶いただきありがとうございました。


 次にお邪魔したのが「海老屋総本舗」でした。
c0187004_10584376.jpg  「海老屋総本舗」では、K社長にお話を伺いました。
 「海老屋総本舗」は、初代の川北三郎兵衛が明治2年に創業した佃煮屋で、隅田川でとれた海老を煮た「海老の鬼殻煮」が名物だったため、「海老屋総本舗」と名付けたそうです。
2代目の利助は上方に修行に行き、上方風の甘口にしたてたため、現在も甘口になっているそうです。
 K社長さん、ご案内いただきありがとうとざいました。

 万久味噌店は、文化元年(1804)創業の味噌屋さんです。
c0187004_1059236.jpg ここでは、7代目のO社長にご説明をいただきました。
 初代が万屋久七と名乗っていたため、商号を「万久」としたそうです。
 味噌の種類についても説明していただき、江戸甘味噌、仙台味噌、西京味噌、信州味噌の違いを教えていただきました。
 味噌の試食もさせていただきましたが、江戸甘味噌の甘さに驚きました。
 O社長さんご説明ありがとうございました。

c0187004_10592127.jpg  「大絵馬・寺宝展と伝法院庭園拝観」は、浅草寺秘蔵の寺宝や絵馬と小堀遠州 作庭と云われている 「伝法院庭園」を特別公開しています。
 谷文晁、歌川国芳、長谷川雪丹などの有名な絵馬が展示されていましたが、絵馬は撮影禁止でしたので、ここでご紹介できないのが残念です。
 庭園も散策しましたが、五重塔とスカイツリーが重なって撮影できる場所は絶好のビューポイントで、多くの参加者がシャッターを切っていました。

c0187004_10594523.jpg また、庭園には、石棺が展示してあります。(右写真の右端)
  これは古墳時代末期の石棺です。 明治の初めに、本堂の裏手から発掘されたものだそうです。
 浅草は、江戸でもっとも早く人が住みついた場所といわれていましたが、それを証明するものといわれていますが、皆さんが興味深く見ていました。

 浅草の観音様は、本堂内陣に入らせていただきお参りもさせていただきました。
c0187004_11282241.jpg 内陣に入るのが初めてという方が大勢いて、内陣でお参りできただけでもうれしいと大変よろこんでいただきました。
 また、浅草神社では、三社祭りで担ぐ御神輿が公開されていました。
 参加者の中の三社祭りに毎年参加しているという方が、三社祭りについて丁寧にご説明してくださいました。

 最後は、情報交換会という名の「飲み会」です。
 今回は、「江戸検受験対策散歩」と銘打ったため、 新しく参加された方も含めて、江戸検の受験準備について、勉強方法や他の講座の話題など、盛んに話し合い、江戸検の話題で盛り上がりました。
 そして、いつの間にか飲み始めてから3時間以上がたち、9時過ぎにお開きになりました。
 そして、最後に記念撮影ですが、満足そうな顔々に、ガイドする側にとっても大変うれしく思う瞬間です。
 皆様ありがとうございました。
 今回は、私を含めて参加者の多くの人飲む量はいつにも増して多かったように思います。
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by wheatbaku | 2014-04-13 10:56 | 大江戸散歩
丸久小山園の抹茶工場見学(京都の老舗)
 京都では、老舗茶舗の抹茶工場の工場見学もして来ました。

c0187004_1075827.jpg 抹茶工場の工場見学をしてきたのは、丸久小山園です。
 上林春松本店でも、工場見学できるのですが、そちらは予約が取れませんでした。
 丸久小山園は元禄年間、宇治小倉で初代小山久次郎が茶の栽培と製造を手がけたのが始まりです。
 抹茶工場は、宇治槙島にある槙島工場です。近鉄奈良線の向島駅からタクシーで向かいました。

c0187004_1084641.jpg 工場見学する人は、私達を含めて三組ありましたが、驚いたことにロシア人のグループの人たちもいました。
 また、工場見学のスタートはDVDの上映から始まりましたが、このDVDも日本語以外の英語など数か国語版があり、海外でも、緑茶に対する関心が高くなっていることをうかがわせる一場面でした。

 工場見学では、DVDで抹茶ができるまでの工程が説明されていました。
c0187004_1092486.jpg それによると
 茶摘み ⇒ 蒸加工 ⇒  冷却 ⇒ 乾燥 ⇒ 碾茶の完成・貯蔵 
ここまでを本社工場で処理し、その後、槙島工場で、碾茶を石臼で挽いて抹茶に仕上げます。

抹茶の工程は、
 乾燥 ⇒ 選別 ⇒ 利き茶 ⇒ 原葉のブレンド ⇒ 石臼による粉砕 ⇒ 完成

工場内も見学させていただきましたが、機械化された近代的な工場で、昔の手作業工程は全くありませんでした。
 工場内の写真撮影は許されませんでしたので、それがお伝えできないのが残念です。

 でも、抹茶の製造工程で重要なポイントをしめる「石臼の粉砕」に使用する石臼が展示されていました。
  茶を挽くための石臼は、石臼の中でも最も高い精度が要求されるようです。
 茶を挽くのに石臼を使用するのは、鉄製のものでは発熱してしまうため、熱があまり出ない石臼を使用しているとのことでした。

c0187004_10105092.jpg 工場見学の最後には、自分で抹茶を点てました。
 久しぶりに点てましたが、和菓子もついていて、おいしい抹茶を味わうことができました。
 ちなみに、工場見学は、予約制で平日の午前10時~12時、午後1時~4時で実施されていますが、料金は無料です。
 詳しくは、丸久小山園のHPまで。


 
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by wheatbaku | 2014-04-10 10:09 | 江戸の老舗
御茶壺道中の駕籠と壺(京都の老舗4)
 昨日に続いて、上林記念館の話題です

 上林記念館には、いろいろな展示品がありましたが、その中で特に興味を引いたものが御茶壺道中の駕籠と壺です。(右写真ご参照)
c0187004_8535427.jpg 御茶壺道中と言うのは、童謡の「ずいずいずっころばし」で「茶壷に追われてトッピンシャン、抜けたらドンドコショ」とうたわれていますので、多くの方がご存じだとは思いますが、駕籠や壺は見たこと方は少ないだろうと思います。
 私も初めて見ましたので、今日は、そのお話をしようと思います。

 c0187004_8553132.jpg 御茶壷道中というのは、将軍家で使用されるお茶を宇治から取り寄せる際に行われた行列のことです。
 正式には「宇治採茶使」といい、寛永10年(1633)から慶応2年(1866)まで、毎年続けられました。
御茶壺道中は「摂家・門跡と行き合うと同じく、大名行列といえども道をあけて遅滞なく通すこと」とされ、たいへんな権威のあるもので、紀伊、尾張、水戸をはじめとする大名行列も御茶壷道中には道を譲らなければならなかったといわれているほどでした。
 御茶壺道中は、毎年4月下旬から5月上旬のうちに江戸を発ち13~14日かけて宇治に到着しました。
行列は徒歩頭一人が宰領となり、茶道頭(御数寄屋頭)一人、茶道衆(茶坊主)二人と若干の徒歩衆・同心衆を伴うものでした。
 上林家は、幕府より道中の総責任者「茶頭取」を仰せつかっていました。

 時代が下がり、運搬する御茶壺が増えるとともに警護役人の人数も増えていきました。
c0187004_855494.jpg そこで、8代将軍吉宗は、質素倹約の精神から、享保8年(1723)江戸から宇治に運ぶ茶壺を3個に削減し、徒歩頭の道中宰領も廃止し、往路は二条城大番に任命されて赴任するものを宰領として、さらに帰路は大坂城から帰任する大番に警護させることとし御茶壺道中を簡素化しました。
 また、上林春松さんのお話では、簡素化は一層進み、江戸から運ぶ御茶壺も廃止され、江戸に運ぶ御茶壺は、信楽焼の壺を宇治で調達することとなったということでした。
 そして、御茶を入れた御茶壺は、江戸城に納め、翌年は新たに茶壺を調達しました。
 そのため、御茶壺が宇治に残されているというのは非常に珍しいそうです。
 展示は御茶壺が裸で展示されていますが、実際の御茶壺道中では、2段目写真のように茶壺は外箱に収められ、さらに三段目写真のように厳重に梱包して輸送したようです。
 上林春松館長のお話では、雨の日は雨除けを掛けて輸送したとのことでした。

c0187004_10194366.jpg コカコーラで販売している「綾鷹」というお茶があります。
 この「綾鷹」は、上林春松本店の高級玉露の名前に由来しているということを、上林春松本店にお邪魔して初めて知りました。
 「綾鷹」をよく見ると、しっかり「上林春松本店」と表示されていますね。
 「綾鷹」の名は、“貴重な茶葉“という意味で使われていた歴史のある「鷹」の文字と、貴重で上質な茶葉を”織り込んだ“という意味を「綾」の文字が表しているようです。
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by wheatbaku | 2014-04-09 09:04 | 江戸の老舗
上林記念館と上林春松本店(京都の老舗3)
 京都の老舗の3回目は、宇治の茶の老舗「上林春松(しゅんしょう)本店」の紹介です。

 「上林春松本店」は、永禄年間の創業以来450年間の歴史を誇る老舗です。
c0187004_919970.jpg その上林春松家の長屋門を利用したのが「上林記念館」です。
 「上林記念館」となっている「長屋門」は、宇治茶師の家の独特の建築物で、元禄11年の宇治の大火災で類焼後再建されたもので 250年余の年月を経ているそうです。
 欅材を使用しており、大正3年に大修理された後、昭和52年より約1年間の工期で当時のまま 修復され、「上林記会館」とされました。
 間口25間、面積14.3坪あります。

c0187004_922461.jpg 上林記念館には、秀吉・利休にまつわる書状や茶道具、ルソンなどの古色の茶壺(右写真)、製茶道具、御茶壺道中に使われた駕籠などが展示されています。

 上林家は、もと丹波上林郷(京都綾部市)に居住する土豪でした。
 永禄年間に、初代久重が宇治に移住し、茶業に携わりました。
  久重の4人の子息はそれぞれ一家を興し、上林久茂、上林味ト、 上林春松、上林竹庵となり宇治茶業界を代表する茶師となりました。
  桃山時代には豊臣秀吉に重用され、茶頭取として上林一族に 宇治茶の総支配を命じ、また、宇治郷の代官にも任じた。
  3代将軍家光の時代になると、将軍家御用のお茶の調達を 宇治茶師に当らせ、茶壺の往還には豪華な行列「茶壺道中」 をもって行なわれました。
  明治維新後は、宇治茶師の多くの家が相次いで転、廃業した中で、 上林春松家は唯一宇治茶師の後裔として現在に至るまで茶業を営んでいる家だそうです。

 御茶師には、御物御茶師・御袋御茶師・御通御茶師と呼ばれる 三階級があったそうです。
c0187004_934171.jpg 御物御茶師は11家あり、朝廷と将軍の喫する茶を調達しました。そのため御物御茶師は、 宇治の多くの 御茶師のなかで最高の格式をもつものとされていました。
 9家あった御袋御茶師は、歴代の将軍が、江戸城内の紅葉山東照宮に 奉納する袋茶を詰める役割を担っていました。
 御通御茶師は、将軍家が一般に使用する多量の茶を納入する役割をもっていて、 幕末には13家ありました。
 各茶師は、それぞれが別個の仲ケ間を組織しており、「御茶師三仲ケ間」と呼ばれました。

 この茶師の中で、上林春松家は、御物茶師に入っており、幕末の書類では2番目にランクされていました。
 この茶師のランク表は、記念館の玄関に貼ってあり、14代当主の上林春松さんが丁寧に説明してくださいました。
c0187004_923371.jpg 上林春松さんと名刺交換さえていただきましたが、戸籍上も「上林春松」と聞いて驚きました。
 最近は先祖代々の名前を襲名するのは難しくなっていると聞いていますので、そのことを伺うと、「手続きは大変でした。しかし、上林春松家の歴史を物語る史料を提出して理解してもらいました」とのお話でした。


 「上林記念館」の脇に、「上林春松本店」の直営小売店があります。
c0187004_9304852.jpg  この直営店舗は、平成22年にオープンしたものです。
 意外なことなのですが、「上林春松本店」は、御茶の製造販売を長くやってきましたが、直営の店舗を運営するのは初めてのことだそうです。
 老舗の味が直に味わえて、私達にとってはありがたいことです。

c0187004_15344611.jpg 店内には、上林春松本店で製造された抹茶・玉露・かぶせ茶・煎茶が数多く販売されていました。
 玉露だけでも、右写真のように5種類販売されていました。
 店内で出されたかぶせ茶は大変おいしいものでした。



 赤印が「上林記念館」です。


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by wheatbaku | 2014-04-08 09:35 | 江戸の老舗
萬福寺の普茶料理(京都の老舗2)
 京都では、宇治の萬福寺で「普茶料理」を食べてきました。
 そこで、今日は京都の老舗めぐりの2回目として萬福寺の「普茶料理」のご紹介をします。
 
c0187004_994333.jpg 黄檗山萬福寺は、4代将軍家綱の時代の寛文元年(1661)に中国からやってきた隠元隆琦(いんげんりゅうき)禅師によって開かれたお寺です。

 禅師は中国明朝時代の臨済宗を代表する僧で、中国福建省にある黄檗山萬福寺の住職をしていました。  日本からの度重なる招請に応じ、63歳の時に弟子20名を伴って来日しました。
 宇治でお寺を開くにあたり、隠元和尚は寺名を中国の自坊と同じ「黄檗山萬福寺」と名付けました。
 萬福寺の伽藍建築・文化などはすべて中国の明朝様式です。
c0187004_9101111.jpg 右上写真は、本堂にあたる大雄寶殿(だいおうほうでん)で、内部に本尊の釈迦如来座像の他、十八羅漢像を安置されています。ちなみに大雄(だいおう)とは釈尊のことをいうそうです。
 正面に掲げられている「大雄寶殿」の額(右写真)は、隠元禅師が自ら書いたものです。


 この萬福寺で、普茶料理を食することができます。
普茶料理は、隠元禅師により黄檗宗と一緒にもたらされた中国風の精進料理です。
 普茶とは、茶を普(あまね)くするということで、禅宗で茶礼という席で全山の人が集まってお茶を飲みながら意見交換するところから生まれた言葉だそうです。
 この儀式では、酒を用いず茶を酒の代用としたことから「茶」という言葉が用いられたようです。

c0187004_9144588.jpg万福寺での普茶料理は5000円コースと7000円コース、それに普茶弁当と3種類あります。
 普茶料理の昔の図を見ると、一つの卓に四人が座り、卓上の一皿一皿に四人分の料理が盛ってあり、それを取り回して食したようです。
 そのため、5千円と7千円コースの普茶料理は、本来の普茶料理のスタイルで食するようです。
 そのため、本来は4人以上で食しますが、萬福寺では2名以上で予約可能とされていますが、予約は3日前までにしないといけません。
c0187004_9103763.jpg  一方、普茶弁当は、残数があれば当日でも申し込むことが可能です。そこで、私たちは普茶弁当を予約しておきました。
 山門で普茶弁当を申込んでいますと申し出て、拝観料を支払い、入山します。
 境内の諸堂をつなぐ回廊を歩いていくと斎堂前には開梆(かいぱん)という巨大な木製の魚が吊り下げられています。これは叩いて食事や法要の時間を知らせるためのものであり、木魚の原型と言われています
 食事をする場所は、大雄寶殿の奥にある法堂(はっとう)の東にある黄龍閣でいただきました。
先客一組の方がいらっしゃいましたが、その二人の食事が終わると、私達の貸切でした。

c0187004_9105743.jpg  しばらく待つと「普茶弁当」が出されました。
 ひょうたん型をしたご飯が左下にあり、左上はゴマ豆腐です。右上は揚げ物、右下は味噌田楽、豆腐の味噌漬けなどが盛り合わせてありました。

 「普茶弁当」の中で印象に残った料理をあげると次のようになります。
 豆腐の味噌漬は、スモークチーズのような香りの燻製や食感がして、とても豆腐とは思えませんでした。
 蒲鉾に見立てた山芋は、見た目には蒲鉾そっくりですが、食べると山芋そのものでした。
 天麩羅の中に梅干しの天麩羅がありましたが、梅干しはあまり塩辛くなくて甘味のあるものでした。
 「ひょうたん」型の漬物がありましたが、まさに「ひょうたんの漬物」でした。
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by wheatbaku | 2014-04-07 09:27 | 江戸の老舗
「引き裂かれる姉妹」(大河ドラマ「軍師官兵衛」第14回)
 今回の「軍師官兵衛」のタイトルは、「引き裂かれる姉妹」というタイトルです。
 
 今回の話の舞台は「上月(こうげつ)城」です。
 福原城と上月城は、西播磨にあり、毛利方に味方していて、備前の宇喜多直家の支援を受けていました。
 福原城を陥した秀吉軍は、その勢いを買って上月城を攻めます。
 上月城を守るのは上月景貞です。この景貞には、官兵衛の妻光(てる)の姉力(りき)が嫁いでいます。
 戦国の習いながら、ここでも姉と妹が敵味方に分かれて戦うことになります。
 このことから今回のタイトルが「引き裂かれる姉妹」となっています。
 この戦いは第一次上月城の戦いは秀吉軍の勝利で終わります。

 さて、今回、尼子勝久・山中鹿介(しかのすけ)主従が登場しますので、今日は、尼子勝久と山中鹿介についても書きます。
c0187004_13313829.jpg 尼子氏は、近江の京極氏の分家出身で出雲国の守護代でした。しかし、尼子経久が、守護の京極政経に対抗して戦国大名として独立しました。
 経久は、近隣の諸大名を次々と攻略し、出雲、石見、隠岐、因幡、美作、備前、備中、備後を勢力下に置き、山陰山陽一帯に巨大な勢力を築きました。
 経久の子供晴久の代には、新興勢力の毛利氏と戦いながらも最大版図を維持し、尼子氏は繫栄しました。
 しかし、晴久の子供義久の代に、毛利元就の出雲侵攻により月山富田城が落城し、尼子氏は滅びました。
 尼子氏が滅亡した後にも、山中鹿介たち尼子氏の遺臣は、東福寺にいた尼子誠久の遺子孫四郎を還俗させ、尼子勝久と名乗らせ尼子再興に動きました。
 尼子勝久は、尼子経久の弟国久の孫にあたります。
 尼子国久は、尼子氏の精鋭で尼子氏の勢力拡大に大きな力を発揮した新宮党の党首でした。
 新宮党は、尼子氏の勢力拡大の原動力でしたが、国久とその子供誠久は勢力拡大の実績を背景に奢った態度を取り、当主晴久との間に確執を生じ、晴久によって滅ばされていました。

 山中鹿介は実名を幸盛といい、尼子氏の一族で家老であった山中家に生まれました。若いころから武勇に優れ、数々の功績をあげ、「山陰の麒麟児」とも呼ばれました。
 尼子氏滅亡後は、尼子勝久を擁して尼子氏再興に努力していました。

 上月城の攻城戦に、この尼子勝久・山中鹿介主従も参加していました。
 そして、上月城奪取後は、尼子勝久・山中鹿介主従が、上月城に入城し、ここを守ることになります。
 その後、毛利氏側が上月城を攻める第二次上月城の戦いが行われますが、秀吉の援軍がなく、尼子主従は、孤立無援の戦いを強いられ、結局、落城し、尼子勝久は自害し、山中鹿介は捉えられ、備中に護送される途中で殺害されてしまいます。
 この話は、後日の「軍師官兵衛」でも描かれるのではないでしょうか。

 山中鹿介の逸話として、三笠山に懸かる三日月を拝して「我に七難八苦を与え給え」と祈念したという話が有名です。
 また、江戸の豪商「鴻池家」の初代鴻池新六は、尼子氏家臣の山中鹿介の子とされています。
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by wheatbaku | 2014-04-05 15:53 | 大河ドラマ
  

江戸や江戸検定についてに気ままに綴るブログ    (絵は広重の「隅田川水神の森真崎」)
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