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東郷平八郎元帥を祀る東郷神社(原宿散歩⑨)

東郷平八郎元帥を祀る東郷神社(原宿散歩⑨)

 原宿散歩、今日は東郷神社をご案内します。

 東郷神社は、「原宿駅」竹下口より徒歩3分で行けると東郷記念館のホームページには書いてあります。
 しかし、原宿駅表参道口から表参道を通って神宮前交差点を左折して明治通りに沿って歩いていくのが最もわかりやすいと思います。原宿駅から徒歩10分の距離にあります。

 その他、竹下通りを歩いて、その途中から東郷神社に行くルートもあり、このルートは徒歩5分でいけます。
 下写真は、明治通り側の表参道にある鳥居です。

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 東郷神社は、東郷平八郎元帥をまつる神社です。

東郷元帥が昭和9年5月30日に亡くなると、財団法人東郷元帥記念会が設立され、神社創建の運動をおこしました。

東郷神社の候補地としては、①東郷元帥が生前に住んでいた麹町の自宅、②多磨墓地近くの東郷元帥の別荘跡なども候補地として上がりましたが、東郷元帥が仕えた明治天皇が祀られている明治神宮の近くが良いということで池田侯爵家の屋敷が有馬良橘海軍大将から提案されました。(有馬良橘海軍大将は、日露戦争では連合艦隊参謀として東郷平八郎元帥に仕え、東郷元帥の国葬の際、葬儀委員長を務め、国葬直前まで明治神宮宮司していました)
 下写真は社殿前の神門です。

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池田侯爵家は、旧鳥取藩主で、文久2年(1862)、藩主池田慶徳のときに東郷神社がある土地を入手しました。それ以前は、石見国津和野藩亀井家の抱屋敷でした。大正4年に、池田侯爵家は麻布市兵衛町から本邸をここに移しました。

池田侯爵邸は、広さ約2万坪あり、うっそうとした樹木に囲まれ中央に800余坪の池がありました。現在の東郷記念館前の池は当時のものを利用した池だそうです。(下写真は、池の淵から撮った東郷記念館です)

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有馬大将が池田侯爵家を訪ね、敷地の一部譲渡を要請すると、数日後、池田侯爵家から快諾の回答があり、約1万2千坪が神社用地となりました。池田家では、当時、約2万坪ある屋敷地のうち3分の2を分譲する案が検討していたという事情もあったようです。

こうして、創建すべき土地が決まり、全国から寄付が集まり、東郷神社は、昭和15年5月27日に創建されました。

5月27日は日露戦争の歳に、日本海海戦がおこなわれた日で、東郷神社創建当時は海軍記念日となっていました。

その記念すべき日に東郷神社は鎮座しました。

しかし、東郷神社は、鎮座後まもなくの昭和20年に空襲で社殿が焼失してしまいました。現在の社殿(下写真)は、昭和39年に再建されたものです。

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《東郷平八郎の経歴》

弘化4年(18471222日に、薩摩藩鹿児島下加治屋町(同じ町で西郷隆盛や大山巌などが生まれ大久保利通が育った町)で生まれました。薩英戦争に参加し、戊辰戦争の際に薩摩藩の軍艦「春日」に士官として乗り組み、阿波沖で幕府軍艦「開陽」と戦いました。

明治維新後の明治4年から明治7年まで3年間イギリス留学。日清戦争では、「浪速」艦長として出役。明治34年には舞鶴鎮守府司令長官を勤め、明治3612月連合艦隊司令長官になり、明治37年6月に大将に昇進し、翌明治38年5月27日の日本海海戦で、ロシアのバルチック艦隊を撃破しました。大正2年4月元帥、死去の前日昭和9年5月29日に侯爵を授爵し、翌30日亡くなりました。88歳でした。  

東郷平八郎元帥の葬儀は国葬として執り行れ、多磨墓地に埋葬されました。

※東郷平八郎が亡くなった時点での皇族以外の国葬は次の9人 

岩倉具視、島津久光、三条実美、毛利元徳、島津忠義、伊藤博文、大山巌、山県有朋、松方正義

国葬には、英米仏海軍も、極東艦隊司令長官と旗艦を派遣し弔意を表しました。この時派遣されたアメリカ海軍旗艦の艦長ニミッツは、後に太平洋戦争の際のアメリカ海軍太平洋艦隊司令長官となり、日本海軍と戦いましたが、東郷平八郎元帥を大変崇拝していました

赤印が東郷神社です。







by wheatbaku | 2018-11-30 21:33 | ~山手線一周~ 駅から気ままに江戸散歩
明治神宮御苑(原宿散歩⑦)

明治神宮御苑(原宿散歩⑦)

 

 明治神宮の境内の南西部は、明治神宮御苑となっています。

 御苑には、東門と北門と二つの入口がありますが、東門は土曜日曜には開門されますが、平日は、東門は閉ざされていて、北門だけが開かれています。下写真は、北門の写真です。

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明治神宮御苑は、江戸時代初期以来、熊本藩加藤家、彦根藩井伊家の下屋敷の庭園でしたが、明治時代に宮内省の所轄となり、代々木御苑と呼ばれ、明治天皇、昭憲皇太后がたびたび訪れた場所です。

御苑内は、清正井(きよまさのいど)から流れ出た流れの下流に菖蒲田があり、その水が溜まった南池(なんち)を中心に広がっています。そして水際には隔雲亭(かくうんてい)、御釣台、四阿(あずまや)があります。

《清正井(きよまさのいど))

 明治神宮御苑の中に都会では珍しい湧水の井戸があります。

 加藤清正が掘ったという言い伝えから「清正井(きよまさのいど)」と呼ばれています。清正井は、パワースポットとされて、一時期、大ブームになったことがあったようです。

 現在も、一列に並んで、順に清正井を見る仕組みとなっていますが、大ブームになった際には、大行列ができて、清正井を見るのに多くの時間がかかったと伝えられています。最近は、1時間以上も並ぶことはないようですが、日によっては、下写真のように並ぶこともあります。

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「清正井(きよまさのいど)」は、昔から加藤清正が掘ったとされています。

 しかし、「清正井」は、本当に加藤清正によって掘られたものかどうかは不明です。というのは、「清正井」のある場所は、江戸時代、熊本藩加藤家の下屋敷があり加藤清正の子忠広が住んでいたことは間違いないようですが、加藤清正本人が住んでいたかは定かではないためです。

 明治神宮の場所が彦根藩井伊家の下屋敷となったのは、熊本藩加藤家が寛永9年(1632)に改易された後のことです。
 下写真は清正井の全体像です。

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 清正井は自然の湧水ですが、明治神宮の造営当時、すでに横井戸(普通は竪井戸)であることは解っていましたが、水源はどこなのか、またどのようにして流れてきているのかまったく不明だったそうです。

 この井戸は年間を通じて涸れることがなかったのですが、明治神宮造営当時に清正井のまわりの木を伐採したり移し替えたら一時水が枯渇してしまいました。そこで、あわてて樹木を植え戻したら元のように水が出始めたそうです。

 また、昭和8年の大干ばつには一時湧水が止まったので昭和13年修復工事を行うこととなり、それと同時に水源の調査が行われました。その結果水源は、明治神宮の本殿西側付近一帯の浅い地下水が二方向の自然の水路に流れて、井戸の上方斜面から井戸に湧出するまったく自然の湧水であることが解ったそうです。

 清正井は、鉄枠で囲まれていますが、良く見ると、鉄枠に横穴が開いているのが確認できます。ただし、横穴がある部分は水の中ですので、下の写真では横穴は確認できません。

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 清正井は、東京都の調査では水温は四季を通じて15度前後と一定していて、毎分60リットルの水量があるそうです。 実際に手で触れてみると余り冷たくは感じませんし、結構な水量が流れでていることが確認できます。

《菖蒲田》

 菖蒲田は、江戸時代には井伊家の家臣の子女が米作りの大切さや苦労を学ぶための稲田でした。そこに、明治26年、明治天皇が昭憲皇太后のために花菖蒲を植えさせたもので、現在も大切に育てられています。当初は80余種であったものが、現在は150種にふえていて、株数は1500株あまりとなっていて、6月頃には見事な花を咲かせます。

 花菖蒲には、江戸種、伊勢種、肥後種と三種類ありますが、明治神宮の菖蒲田には江戸種の花菖蒲が植えられています。

 下写真は、11月下旬に撮った菖蒲田ですが、花菖蒲は見られませんでしたが、色づき始めた紅葉が綺麗でした。

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《南池(なんち)と御釣台》

菖蒲田の下流は、大きな池となっています。これが南池です。(下写真)井伊家時代には「お泉水」と呼ばれていました。

面積は約8000㎡(約2400坪)あります。この南池の水源は清正井です。南池からの流れ出た小川は、昔は、南参道の神橋の下を流れ、竹下通りの西側を流れ、渋谷川(隠田川)に合流していました。なお、明治神宮には、南池のほか、東池、北池もあります。

 御釣台は、南池に張り出されて造られたもので、魚釣りをするために明治天皇の意向により造られた施設です。昭憲皇太后は、ここで、魚釣りを楽しんだと伝えられています。

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《隔雲亭(かくうんてい)》

隔雲亭は、 明治天皇の意向により昭憲皇太后のために明治33年に建てられたものですが、戦災により焼失しました。 現在の隔雲亭は、昭和33年に再建されたものです。

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 下写真は明治神宮御苑で入苑の際に配布してくれるパンフレットに掲載されている案内図です。入苑料は500円です。
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by wheatbaku | 2018-11-28 17:34 | ~山手線一周~ 駅から気ままに江戸散歩
明治神宮の御祭神(原宿散歩⑥)

明治神宮の御祭神(原宿散歩⑥)

 明治神宮は、大正9年に鎮座しました。その時に建てられた本殿は、昭和20年の戦災により、焼失しました。

 現在の社殿は、昭和33年に再建されたものです。

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 明治神宮の御祭神は、明治天皇と昭憲皇太后です。

 明治天皇は、孝明天皇の第2皇子として生まれ、母は中山慶子です。慶応3年(1867)に孝明天皇が急死したため、15歳で践祚(せんそ)しました。王政復古の大号令の後、東京に遷都し、大日本帝国憲法の発布などをとおして近代国家を樹立し、日清・日露の両戦争にも勝利し、日本を欧米列強に肩を並べる強国に押し上げました。

晩年は、糖尿病を患い、明治45年730日に数え年61歳で崩御し、大正元年9月13日、青山練兵場(現在の神宮外苑)で大葬が行われました。

昭憲皇太后は、一条忠香(ただか)の三女として誕生しました。明治元年12月28日明治天皇の皇后に冊立され、以後、女子教育の振興や、社会事業の発展、国産の奨励等に尽力しました。

宮中で養蚕を始めたことや日本赤十字社への関与などは、以後の皇后のあり方の模範となっています。

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明治神宮の御祭神は、明治天皇と昭憲皇太后ですが、そのうち昭憲皇太后は、明治天皇のお后(きさき)なので、「皇太后」でなく「皇后」とお呼びするのが正しいのではないかという意見もありますが、現在も昭憲皇太后と呼ばれています。

なぜ、昭憲皇太后と呼ばれているのか、明治神宮のホームページに詳しく書いてありますので、それを参考に、昭憲皇太后と呼ばれている事情を書いてみます。

昭憲皇太后は、大正3年4月11日に崩御し、「昭憲皇太后」と呼ばれることとなり、大正4年5月1日に、明治天皇とともに明治神宮の御祭神として祀られることになりました。

その際に、祭神名として「明治天皇・昭憲皇太后」が発表されました。

ところがこの祭神名について有識者の中から次のような疑問の声が出てきました。

① 両陛下を相並んでお呼びする場合、「天皇皇后両陛下」と称するのであって、「天皇皇太后両陛下」とは称さないので、明治神宮の祭神は夫婦であるから「明治天皇・昭憲皇后」が正しい。

② 亡くなった方にはご生前の時の最高の位でお呼びすることが常例。「皇太后」の称号は「皇后」より下の位になる。だから昭憲皇太后ではなく「昭憲皇后」と称するのが正しい。

 こうした疑問が起きたわけですが、昭憲皇太后という祭神名がつけられたのには次のような事情があったようです。

 昭憲皇太后が崩御したのは大正3年です。この時に、すでに明治天皇は崩御し、大正天皇が即位していたので、崩御した時には昭憲皇太后と呼ばれていました。

そのため、当時の宮内大臣が昭憲皇太后の追号を皇后に改めないで、「昭憲皇太后」としてそのまま大正天皇に上奏し裁可されたのです。

この上奏が間違えていたため、そのまま祭神名も「昭憲皇太后」となってしまったのです。

 このような経緯から明治神宮の祭神名としてそぐわぬことから「昭憲皇太后」を「昭憲皇后」と改めるよう、鎮座寸前に明治神宮奉賛会会長徳川家達から宮内大臣宛へ建議が出されました。

しかし次の理由から御祭神名を改めることは出来ませんでした。

 ① 天皇より御裁可されたものはたとえ間違っていても変えられない。

②すでに御神体に御祭神名がしるされていて、鎮座の日までに新しく造り直すことが無理である。

 その後も、昭和38年の昭憲皇太后50年祭の際には明治神宮と明治神宮崇敬会から、さらに明治維新百年の前年の昭和42年に祭神名を訂正するようにという願いが明治神宮崇敬会から宮内庁に提出されましたが、宮内庁からの回答は御祭神の名前は改めないとものだったそうです。

 こうした事情があり、現在も、明治神宮の御祭神は「明治天皇・昭憲皇太后」となっています。

《夫婦楠(めおとくす)》

本殿前の左側に大きな楠が二本並んで立っています。(下写真)

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この二本の楠は夫婦楠(めおとくす)と呼ばれています。

二本の木の間にはしめ縄がわたされ、しめ縄には紙垂(しで)がかけられています。この夫婦楠は、明治天皇と昭憲皇太后の夫婦仲を象徴しているといわれていて、縁結び、夫婦円満、家内安全の御利益がある明治神宮の御神木(ごしんぼく)です。

 下写真は、夫婦楠の前を通る、結婚式を挙げて披露宴に向かう新郎新婦たちです。夫婦楠の御利益により、このお二人もきっと幸せな家庭を築くことでしょう!

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by wheatbaku | 2018-11-26 18:52 | ~山手線一周~ 駅から気ままに江戸散歩
「代々木」の由来となった樅の木 (原宿散歩⑤) 

「代々木」の由来となった樅の木 (原宿散歩⑤) 

 南参道の神橋とワイン樽の間に、「代々木」という地名の由来となった樅の木があります。

 南参道を利用して明治神宮にお参りする際に神橋から30メートルほど歩くと左手に下写真の説明板が設置されています。これが目印です。  

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参道の脇にあるのですが、ほとんどの人が気が付かずに通りすぎていきます。(かくいう私も、見落としていた一人です。)
 
 そこで、今日は、この樅の木について紹介します。 

 明治神宮の鎮座場所は「代々木」ですが(正式な町名は代々木神園町です)、「代々木」という地名の由来は、明治神宮のある地に、代々(だいだい)、樅(もみ)の大木があったので、「代々木」という地名がついたそうです。「代々木」という地名の由来にはこれ以外の説もあるようですが、明治神宮では、この説をとっています。

明治神宮のホームページによれば、江戸時代の樅の木は、幹の周囲が三丈六尺(約10.8メートル)あり、髙さは、50メートル以上はあったのではないかと推測されています。残念ながら、この大木は、明治中ごろに枯れてしまい、その枯れた樅の木も昭和20年の戦災で焼失し、その後、昭和27年に新たに植えられたものが現在の樅の木です。現在の樅の木は、植え継がれたものですが、高さは20メートル近くはあると思われる大木です。
 下写真の竹垣で囲まれている樹木が代々木の地名の由来となった樅の木です。樅の木の下を通りすぎる人物と比較すると樹高がどのくらいか想像できると思います。

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江戸時代の樅の木は、江戸で大変有名だったようで、歌川広重も「江戸土産」の中の一つに「代々木村の代々木」と題して代々木の大木を描いています。

また、小日向水道端(現文京区小日向1丁目)の本法寺の僧だった十方庵敬順(じっぽうあんけいじゅん)が書いた江戸市中の紀行文『十方庵遊歴雑記』では、井伊家の下屋敷にある樅の木は稀代の大樹で、枝が50間も広がっていて、幹の向こう側に馬を3匹つないでも馬の首や尾が見えないほどであるなど詳細に書いてあります。

また、明治神宮のホームページによれば、「この木に登れば江戸一円が見渡すことが出来たそうです。徳川時代にはこの木の上から城内をさぐられてはならないと、一般の人が登るのを禁止したという話さえあり、また幕末には黒船の動きをここで見張った」と書いてあります。それほど大きな木だったようです。

この樅の木を御存知でない方は、次の明治神宮参拝の機会に、ご覧になってください。説明板の奥の竹垣に囲まれた木が、「代々木」由来の樅の木です。

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by wheatbaku | 2018-11-23 14:48 | ~山手線一周~ 駅から気ままに江戸散歩
南参道の神橋・ワイン樽・大鳥居(原宿散歩④)

南参道の神橋・ワイン樽・大鳥居(原宿散歩④)

明治神宮へ参拝するには、三方向からの参道があります。原宿駅方面の南参道、代々木駅方面の北参道、参宮橋方面の西参道の三つです。

 そのうちメインの参道が南参道です。今日は南参道の見どころをご紹介します。

《神橋》

 南参道の第一鳥居から50メートルほど進むと、神橋があります。

この神橋を多くの人が渡っていますが、その下を流れる細流には注目する人は少ないだろうと思います。

 神橋の下を流れている細い流れは、明治神宮御苑の南池から流れ出たものです。昔は、この流れが隠田川に流れ込んでいました。その隠田川は、渋谷駅付近で西から流れてきた宇田川と合流して渋谷川となります。下写真は神橋から見た南池から流れ出る小川です。

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《ワイン樽》

神橋をさらに進むと参道左手にワイン樽が飾られています。明治天皇はワイン好きで知られています。このワイン樽は、フランスのブルゴーニュ地方の醸造元から奉納されたものです。数えてみたら60樽ありました。ワイン樽の向かい側には清酒の菰樽(こまだる)が飾られています。

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《大鳥居(第二鳥居)》

南参道には三つの鳥居がありますが、ワイン樽を越えて参道を左手に折れると大きな鳥居があります。

鳥居の高さが12メートル、幅が17.1メートル、柱の太さが直径1.2メートル、重さが13トンもあり、木造の明神鳥居としては日本一の大きさを誇っています。

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現在の大鳥居は2代目で、初代の大鳥居は明治神宮が創建された大正9年に完成しました。

初代の大鳥居は、明治神宮造営の時に台湾総督府より献納された台湾産檜で、檜の樹齢は1200年以上に達していたといわれます。

 ところが昭和41年7月22日、右側(北側)の柱に雷が落ち破損してしまいました。

明治神宮としては老朽化も進んでいたため、落雷によって破損したことで鳥居を立て直したいと考えましたが、日本にはこれほどの大鳥居が作れる檜はありませんでした。

 その時、東京で材木商を営む篤志家・川島康資という人が明治神宮の大鳥居が破損したことを聴き、なんとか明治神宮に奉納したいと考え、わざわざ台湾まで檜材を探しに行き、標高3300メートルの山中に樹齢1500年を超える巨木を発見しました。

その後、断崖に道をつけ、山を切り拓いて運び出したもので、完成したのは昭和50年のことでした。

元の大鳥居は埼玉県の大宮氷川神社の鳥居として利用されているそうです。




by wheatbaku | 2018-11-21 19:07 | ~山手線一周~ 駅から気ままに江戸散歩
明治神宮の森は人工林(原宿散歩③)

明治神宮の森は人工林(原宿散歩③)

 原宿散歩の3回目は明治神宮の森についてご紹介します。

 明治神宮をお参りすると神宮の森がうっそうとしていてい深山にいる雰囲気があります。
 下写真は第一鳥居を写した写真ですが、クスノキの大木などでうっそうとした樹林となっています。

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 ですから、この神明治宮の森を見て、人工林だと思う人は少ないだろうと思いますが、この明治神宮の森は、人工的に造られた森です。

 明治神宮が鎮座した場所一帯は南豊島御料地(皇室の所有地)でしたが、その景観は、畑や草原がほとんどで、全体の五分の一ほどの現在の神宮御苑一帯に林があるだけという状態だったようです。それが、再来年に明治神宮は鎮座100年を迎えますが、いまや神宮の森は自然林同様の森となっています。下写真は南参道とその周辺の森です。

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 明治神宮の森を見るとシイ・カシ・クスノキが多く、伊勢神宮や日光東照宮のような杉や檜はあまり多くありません。

 畑地中心の土地をうっそうとした樹林にするために当時の最先端をいく植物学者や造園学者たちが集められました。

 その人たちは、明治神宮に何を植えたら立派に育つか、また100年後自然の状態になっていくにはどんな樹種がよいのか等について検討を重ねました。

検討の結果、この土地の気候風土にあったカシ、シイ、クスノキなどの照葉樹を植えることに決定したのです。

 しかし、当時の内閣総理大臣であった大隈重信は「神宮の森は杉林にするべきだ」として伊勢神宮や日光東照宮の杉並木のような雄大で荘厳なものを望んでいました。

しかし当時の造苑関係者は大隈重信の意見に反対し、谷間の水気が多いところであれば杉は育つが、関東ローム層の代々木では不向き、杉は都会に適さないこと等を説明してようやく納得させたそうです。

 明治神宮の造営工事は、大正4年から始まりましたが、まず、最初に手がけられたのが、神宮の森の造営でした。

全国から植樹する木を奉納したいと献木が集まり、北は樺太から南は台湾まで、さらに満州、朝鮮からも届き、全部で10万本を超える木が献上されたといいます。その種類は在来種等を含め365種だったそうですが、東京の気候にそぐわない種類もあり、現在では234種類になっているそうです。

 樹木数は50年後の調査では約17万本に増えていたそうで、再来年には鎮座百年を迎えますが、それ以上に増えているだろうと想像されます。

明治神宮の森は、現在では、すっかり当初の造園関係者たちが期待していた自然林の状態になっています。




by wheatbaku | 2018-11-19 15:49 | ~山手線一周~ 駅から気ままに江戸散歩
明治神宮の鎮座(原宿散歩②)

明治神宮の鎮座(原宿散歩②)

 明治神宮は、初詣客が300万人を超え、全国一初詣客の多い神社として有名です。しかし、これほどの参拝客がありながら、明治神宮がいつ鎮座したかについてはよく知られていないそうです。そこで、今日は明治神宮の鎮座について書いてみます。下写真は第一鳥居です。

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明治神宮は明治天皇と昭憲皇太后をお祀りする神社で、大正9年11月1日に鎮座した神社です。

明治天皇は明治45年7月30日に、数え年61歳で崩御され、大正元年9月13日に青山練兵場(現在の神宮外苑)で大葬が行われました。

明治天皇の崩御の報を聞いた当時の東京市長阪谷芳郎や渋沢栄一を中心とした東京の人々は、明治天皇陵を東京に誘致したいと考え、誘致運動を始めました。

しかし、明治天皇は、明治天皇の遺言によって京都の桃山御陵に埋葬されることとなり、東京の人々の願いは消えました。

そこで、明治天皇陵を誘致しようとしていた人々から、明治天皇をお祀りする神社を創建しようという案が出されました。

明治天皇をお祀りする神社を創建する場所として、東京以外にも、神奈川県の箱根、埼玉県の朝日山(飯能市)、千葉県の国府台、茨城県の筑波山、静岡県の富士山など多くの立候補があり、誘致運動が展開されました。 

そうした中で、大正21220日、政府は明治天皇を奉祀する神社の創建について調査するため伏見宮貞愛親王を総裁とする神社奉祀調査会を設置し、大正3115日に神社奉祀調査会が東京府下に明治天皇をお祀りする神社を創建すると決定しました。 下写真は本殿前の楼門です。

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しかし、東京府下に創建するといっても、東京にもいくつの候補地があり、その中でどこに創建するかというのが次のテーマとなりました。

東京府下では、陸軍戸山学校敷地(現在の新宿戸山公園辺り)、白金火薬庫跡(現在の白金の自然教育園)、代々木御料地(正式名は南豊島御料地、現在の明治神宮)のほか、青山練兵場跡(現在の神宮外苑)、さらに青梅の御嶽山といった候補地もありました。

こうした候補地のうち、候補地への実地調査などを行い、大正3215日に、最終的に代々木御料地に創建すると決定されました。

代々木御料地が選ばれた理由について伊東忠太は次のように語っています。

候補地の第一であった戸山学校は、広さはまず充分であるが、一部に老樹があるが概して樹林に乏しく、土地が渓谷によって両断されて社殿を配置するに適していないこと。次に白金の火薬庫の敷地は老樹巨木鬱蒼として茂っているが、敷地が狭く、広い参道を取るのに不便な地勢だったこと。 

そして、第三の候補として代々木御料地があり、土地は高燥であり地盤も堅牢であり、元来加藤清正の邸であったと伝えられ、その後井伊家の下屋敷になったので美しい御苑があり、昭憲皇太后は行啓あり、明治天皇も行幸になったことがある土地でした。代々木御料地は、いくつかの欠点があり、理想的な敷地ではないけれども、戸山学校や白金火薬庫跡に比べればすぐれていたし、やこの他には東京市の内外にこれに優る候補地が見当たらない。

地鎮祭が大正4年10月に行われ、まず、境内に樹木を植える工事が始まりました。樹木は、日本全国から献納されました。そして、大正87月に上棟祭が行われ、大正9年11月1日に鎮座しました。 11月1日当日は、天気は雲だったものの1日だけで50万人もの参拝者があったと当時の東京朝日新聞は報じています。下写真は現在の本殿です。

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また、神宮の造営工事には全国から延べ11万人もの青年団が勤労奉仕として参加しています。樹木の献納とともに、明治神宮の創建が、当時の国民全体にとって待ち望まれたものであったことを表しているように思います。



by wheatbaku | 2018-11-15 10:40 | ~山手線一周~ 駅から気ままに江戸散歩
原宿駅(原宿散歩①)

原宿の地名と原宿駅(原宿散歩①)

先週の土曜日に、毎日文化センターの「~山手線一周~駅から気ままに江戸散歩」で明治神宮に参拝して原宿を散歩してきました。

 そこで、今日から、明治神宮と原宿の見どころを紹介していきます。

 最初は、原宿という地名についてお話します。

原宿という地名は非常になじみのある地名です。多くの人が原宿といえば若者でにぎわう東京の原宿を思い起こすと思います。

しかし、意外なことに、現在、原宿という地名は行政上の住居表示としては存在しません。つまり原宿という地名は東京にないと言えます。

現在、俗に原宿と呼ばれている地域の住居表示は「神宮前」です。

「神宮前」という町名が昭和40年に誕生しました。それの際に、それまであった「原宿1丁目、2丁目、3丁目」「穏田1丁目、2丁目、3丁目」「竹下町」という7個の町名がなくなりました。下写真は昭和7年当時の住居表示です。

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「神宮前」となったのも「原宿」「穏田」の町名が、両方ともに歴史のある地名であるためにどちらにも決めかね、明治神宮の前にある地域ということで「神宮前」に落ち着いたという経緯があるようです。

詳しいことはわかりませんが、「原宿」「穏田」の意地の張り合いで原宿という名前がなくなったのであれば、残念なことですね。

「原宿」という地名は、昔からありました。

鎌倉時代以降、鎌倉から奥州に向かう鎌倉道が現在の神宮外苑近くを通っていて、その宿駅があったことから原宿という地名が起きたといわれます。

宿駅があった当時は、周辺が草で生い茂る原っぱ状態の宿駅だったのではないでしょうか。

「原宿」以外の町名のうち、「竹下町」は竹下通りに名前が残っています。

しかし、「穏田」という地名は、以前は村の名前のほか、隠田川にもその名前が付けられていましたが、現在は、「隠田神社」の名前として残るぐらいで、ほとんど忘れられた地名となっています。下写真が隠田神社です。右手に「隠田神社」と刻まれています。

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現在、原宿の名前を冠した公共施設はあまりありません。その数少ない建物の一つが原宿駅です。

原宿駅は明治39年に開設し、現在の駅舎は、大正13年に建築され、都内の木造駅舎としては最古の建物です。

原宿駅は、中央に尖塔があるヨーロッパ風ハーフティンバーの駅舎が特徴です。(下写真)

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現在、原宿駅は、2020年完成をめどに駅改良工事が実施されています。

新しい「原宿駅」は、線路及びホームをまたぐ2層の「橋上駅舎」が新設され、神宮橋方面には、既存の「表参道口」のほかに「明治神宮口」が新設されます。

また、年始のみ使用している明治神宮側の「臨時ホーム」は、「山手線外回り専用ホーム」に改良します。これにより、内回り・外回りの動線が分離されることになります。

新設する外回り専用ホームは、地下通路で竹下口改札にも接続します。

 新しい原宿駅が完成するにともなって、現在の原宿駅の駅舎がどうなるのか注目されます。
 

 


by wheatbaku | 2018-11-13 15:31 | ~山手線一周~ 駅から気ままに江戸散歩
絶好の行楽日和の中、原宿を散歩してきました。
絶好の行楽日和の中、原宿を散歩してきました。

 昨日は、毎日文化センターの「~山手線一周~駅から気ままに江戸散歩」で、原宿を散歩してきました。

 昨日は絶好の行楽日和で日中は少し暑いくらいの陽気で、下の明治神宮の写真のように大勢の人出で明治神宮や原宿はにぎわっていました。
 ご参加いただいた皆さん、お疲れ様でした。

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昨日の散歩は次のコースで歩いてきました。

原宿駅 ⇒ 明治神宮(神橋、代々木由来の木、大鳥居、参拝)⇒神宮御苑(清正井、菖蒲田、隔雲亭) ⇒ 竹下通り ⇒ 東郷神社 ⇒ 村越の水車跡 ⇒ 旧渋谷川(隠田川)遊歩道 ⇒ 表参道散歩(参道橋跡、表参道ヒルズ「同潤館」等)⇒ 青山善光寺 ⇒ 高野長英隠れ家跡 ⇒ 表参道駅

最初に明治神宮に御参拝しました。

明治神宮は明治天皇の昭憲皇太后をお祀りする神社で、大正9年11月1日に鎮座しました。

明治神宮の森は、自然林のように見えますが人工の森です。明治神宮の造営は、大正4年から始まりましたが、一部を除くと農地であった代々木の地に、全国から献納された10万本の樹木が植えて、神宮の森ができあがりました。

下写真は、第一鳥居の前で神宮の森を見ながら説明を聞く皆さんです。

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代々木という名前は、代々木の地に、代々続く樅(もみ)の木があったことから代々木という名前がつきました。

その代々木の名前の由来となった木が、原宿からの参道わきにあります。

参道わきにありながら、ほとんどの人がきがついたことがなく、説明にびっくりしていました。

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明治神宮御苑には、加藤清正が掘ったと伝わる清正井(きよまさのいど)があります。清正井(下写真)から湧き出ている水は15度前後で年中ほとんどかわらないそうです。

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清正井は狭いところにある湧水ですので、順番に並らばないとみることができません。下写真は、清正井の前にならぶ参加者の皆さんです。

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東郷神社は、日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を撃破した東郷平八郎元帥を祀る神社です。東郷神社は、昭和15年5月27日に鎮座しました。

下写真は、表門前で説明を聞く参加者の皆さんです。

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青山善光寺は信州善光寺の東京の別院です。江戸時代初期には谷中に創建されましたが、元禄年間に水戸様火事により焼失し、青山に移転して再建されました。浄土宗のお寺です。

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青山善光寺の境内には、高野長英の顕彰碑が建てられています。現在のものは2代目で昭和39年に建てられたものです。(下写真は、顕彰碑前で説明を聞く参加者の皆さんです)

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高野長英は蛮社の獄で小伝馬町牢屋敷に投獄されましたが、脱獄し日本各地に潜伏し一時期は宇和島に隠れていたこともあります。その後、江戸に戻り青山百人町で、町医者を開業しました。しかし町奉行所がそれを察知し嘉永3年に隠れ家を急襲され、自害して果てました。下写真は、東京メトロ表参道駅近くの隠れ家跡に設置されている石碑です。

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by wheatbaku | 2018-11-11 15:03 | ~山手線一周~ 駅から気ままに江戸散歩
一見の価値あり!「江戸東京たてもの園」

一見の価値あり!「江戸東京たてもの園」

 江戸検が終了しました。

 江戸検を受検された皆さん、お疲れ様でした。

 結果は、それぞれ悲喜こもごもであったようです。合格点に達した皆さんおめでとうございます。12月下旬の合格通知が届くのが待ち遠しいことと思います。一方、惜しくも合格点に達しなかった皆さん、しばらくの間はのんびりして、また、新たな気持ちで来年に向けてスタートしてください。

 さて、先日、「江戸東京たてもの園」に旧自性院霊屋を見にいってきましたが、「江戸東京たてもの園」には、江戸時代以降の貴重な建物が集められていて、実際に江戸から昭和にかけての建築物の様子を実体験でき、一見の価値があると思います。

 そこで、数多くある建物の中から、私が注目した建物をいくつか紹介します。

【三井八郎右衞門邸】

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 三井惣領家である三井八郎右衛門の屋敷を移築したものです。

 戦前は、麻布区今井町にありましたが、今井邸が戦災で焼失し、敷地はGHQに接収されたため、第11代三井八郎右衛門高公は、麻布笄町(現港区西麻布三丁目)に場所を移して本邸を再建しました。

 新しい本邸は京都の油小路邸の奥座敷や大磯別邸の部材を用い再建しました。 しかし、三井八郎右衛門髙公が亡くなったことにより、建物が江戸東京たてもの園に移築復元されました。下写真は、客間です。

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【高橋是清邸】

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高橋是清邸は、明治34年に赤坂の約2000坪の敷地に建てられました。

その後、昭和11年の226事件で高橋是清が殺害されるまでこの家で過ごしました。

戦前に多磨霊園に移されて休憩施設として利用されていたために戦災を免れ、平成5年(1993)に江戸東京たてもの園に移築されました。

2・26事件で高橋是清が青年将校に殺害された部屋も残されています。(下写真)

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【旧宇和島藩伊達家の門】

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 旧宇和島藩伊達家が、大正年間に東京に居住するために建てた屋敷の表門です。

タイトルだけを見ていると江戸時代の宇和島藩邸の表門だと思いましたが、大正期の建築であったのが意外でした。しかし、片方に番所があり、堂々たる大名屋敷の風格が感じられます。冠木には伊達家の家紋が設置されています。(下写真)

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【八王子千人同心組頭の家】

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八王子千人同心とは、甲斐武田家に仕えていた同心衆が徳川家に仕え、国境警備のために八王子に配備されました。その後東照宮の防火と警備が主任務とする日光の火の番が主な役割になりました。10人の千人頭、100人の組頭、1000人の同心がいたことから千人同心と呼ばれます。


【万徳旅館】

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青梅市に幕末に建設され、明治初期に増築された旅館(旅籠)です。青梅街道に面して建っていたこの旅館は、富山の薬売りなどの行商人が多く利用していました。

 江戸時代の旅籠が実感できる建物で、建物の中に入ると江戸時代の旅人になった気分になれます。(下写真が建物内の様子です。)

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【子宝湯】

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 江戸東京たてもの園には、昭和の建物も残されています。

子宝湯もそんな建物の一つです。子宝湯は、足立区千住元町にあった銭湯で、昭和4年に開業したそうです。

玄関は、神社やお寺にあるような大型の唐破風になっています。

 建物の中に入ると、壁にはペンキ絵が描かれていて、洗い場にはタイル絵が描かれているなど、昔なつかしい銭湯のスタイルが残されています。(下写真)

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江戸東京たてもの園には、このほか数多くの建物が移築復元されていて、ただ建物を眺めて回るだけでも小1時間、少し丁寧にみると3時間~4時間程度は必要です。でも、1日かけてじっくり見るだけの価値があると思います。
 ご興味がある方は、一度ご覧ください。


by wheatbaku | 2018-11-06 15:06
  

江戸や江戸検定についてに気ままに綴るブログ    (絵は広重の「隅田川水神の森真崎」)
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