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ブログ開設10周年のお礼

ブログ開設10周年のお礼

このブログをお読みいただきありがとうございます。

このブログを開設したのは、20081219日です。

今年が2018年ですので、開設後10が経ちました。

当初は、いつまで続くかわからないままに記事を書き始めましたが、思いがけず10周年を迎えることができました。

 これもこのブログをお読みいただき、新しい記事を待っている読者の皆様の御蔭だと大変感謝しております。

このブログの累計訪問者も昨日で112万人となりました。日々の訪問者も400名~500名で推移しており、私が利用しているエキサイトブログ内でも、訪問者順位が高い方にランクされています。

 このブログの名前を多くの人は「気ままに江戸」と呼んでくれていますが、正式には「気ままに江戸♪ 散歩・味・読書の記録」です。

その名前の通り、私が訪ねた史跡や老舗、そして読んだ本の紹介をしようと当初から思っていました。そのため、自分で見たり聞いたり読んだことを記録するという性格から、内容も次第に難しい内容となっていった面は否めません。

それにもかかわらず、史跡案内をする人たちからは、「気ままに江戸」の記事は大変参考になると言われたり、江戸検お題のテーマについてよくわかったなどの感想を寄せられますので、多少難しい内容であっても日々読んでいただいている皆様に本当に感謝しています。

 また、このブログは江戸文化歴史検定の1級合格を支援しようということから、江戸文化歴史検定の「今年のお題」関連の記事も書いてきました。 

そうした中で、私が応援してきて1級に合格した人が、延べ50人を超えました。合格にこのブログも一部役にたったのであればそれに勝る喜びはありません。

 10周年を迎えて、「10周年はゴールではなく通過点である」と改めて感じました。

これからも、随時江戸文化歴史検定関連の記事も書きつつ、東京における江戸史跡を中心に、それこそ{気ままに!}書いていこうと思います。

これからも末永くどうぞよろしくお願いします。

最後になりますが、今年一年間、このブログをお読みいただきありがとうございました。本日のお礼の記事で2018年の書き納めとします。

読者の皆様、良いお年をお迎えください。



by wheatbaku | 2018-12-30 17:33
「春の小川」(代々木散歩⑤)

「春の小川」(代々木散歩⑤)

代々木散歩、今日は「春の小川」について書いていきます。

「春の小川」といえば、小学生の頃になじんだ童謡です。

春の小川は さらさら行くよ  

岸のすみれや れんげの花に

すがたやさしく 色うつくしく 

咲けよ咲けよと ささやきながら

 この「春の小川」のモデルとなったと言われているのが、代々木を流れていた河骨川(こうほねがわ)です。

《高野辰之住居跡》

「春の小川」を作詞したのは、高野辰之です。

 高野辰之は、長野県豊田村(現中野市)に生まれました。長野師範学校卒業後上京し、後に東京音楽学校(現東京芸大)教授となりました。

 「春の小川」のほか、「春が来た」や」「朧(おぼろ)月夜」「故郷(ふるさと)」など私たちに馴染み深い文部省唱歌を多く作詞しています。

その高野辰之は、現在の代々木3丁目3号に住んでいました。そこの前に道路脇に「高野辰之住居跡」と書かれた標柱が建てられています。

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《春の小川(河骨川)跡》

 春の小川のモデルとなったと言われているのが、渋谷川の支流の河骨川(こうほねがわ)です。黄色のかわいらしい「こうほね」(下写真)が数多く咲いていたので、河骨(こうほね)川と呼ばれました。

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 河骨川は、甲州街道脇の谷間から流れ出し、谷間を南に流れ、小田急線を越えると直角に曲がり、それ以降は小田急線沿いに西に流れて代々木公園駅近くで宇田川と合流します宇田川は、渋谷駅北側で隠田川と合流し渋谷川となります。
下写真の中央が、小田急線沿いを流れていた河骨川跡です。電柱には渋谷区が設置した「春の小川」という表示がされています。

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《「春の小川」歌碑》

 代々木公園西口門近くの小田急線の脇に「春の小川」歌碑があります。碑の説明板には次のように書かれています。(説明板は下写真の左手です。)

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ここはかつて清らかな小川が流れ、黄色のかわいらしい「こうほね」が咲いていたので、河骨(こうほね)川と呼ばれていました。春になると、岸辺にはれんげやすみれが咲く、のどかな所でした。

 明治42年(1909)から代々木山谷(現代々木3丁目3号)に住んでいた国文学者の高野辰之は、このたりの風景を愛して、しばしばこのほとりを散策したといわれています。

そして、今も歌い続けられている『春の小川』を作詩して、大正元年(1912)に発表しました。この詩は、小学唱歌となり、現在に至るまで広く愛唱されています。

 現在、河骨川は暗渠となり、当時のおもかげはありませんが、この詩から明治末ごろの代々木周辺ののどかな様子を知ることができます。

歌碑は、高野辰之の娘の高野弘子さんが揮毫したものです。

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 なお、私たちが知っている春の小川の歌詞は冒頭の歌詞ですが、碑に刻まれている歌詞は、それとは違っていて、次の詩が刻まれています。

春の小川は、さらさら流る    
  岸乃すみれや、れんげの花よ

 にほひめでたく、色うつくしく 
  咲けよ咲けよと、ささやく如く

 高野辰之が書いた歌詞は文語体でしたが、昭和17年に口語体に改められました。そのため、私たちが知っている歌詞と違っている歌詞が、歌碑には刻まれています。

 赤印が高野辰之住居跡です。青印が春の小川歌碑です。




by wheatbaku | 2018-12-28 11:57 | ~山手線一周~ 駅から気ままに江戸散歩
正春寺(代々木散歩④)

正春寺(代々木散歩④)

代々木散歩、今日は正春寺をご案内します。

正春寺は、徳川秀忠の乳母であった初台局ゆかりのお寺です。

正式な寺号は、湯島山安養院正春寺といい、もともとは天台宗でしたが、その後改宗して、浄土真宗東本願寺派のお寺となりました。

寺号のうち、安養院(あんにょういん)は、初台局の院号に由来し、正春寺は、開基で初台局の娘梅園局の法名正春院に由来しています。下写真は正春寺の本堂です。

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 初台局は、土井利勝の弟・土井昌勝の妻でしたが、徳川秀忠の乳母となりました。 土井昌勝は、有名な土井利勝の弟です。

 土井利勝は、三河国刈屋城主水野信元の子で、徳川家康の命令により2歳で土井利昌の養子となりました(これは正春寺に設置されている下記写真の説明板に基づいています。土井利勝の出自には諸説があります)。徳川秀忠と徳川家光に仕え、徳川秀忠時代には老中として将軍を補佐し、家光の時代には大老となり、幕府において重要な役割を果たしました。(土井利勝については最下段に詳細に書きました)

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 初台局は 大河内正頼の妹で土井昌勝の妻となりました。その後、徳川秀忠の母宝台院に仕え、2代将軍秀忠の乳母となり初台局と称しました。その功績により、天正19年(1591)代々木村に2百石の知行地を拝領しました。

初台局は、知行地に菩提寺を建立することを発願しましたが、当時は、新寺建立が禁止されていたため、孫の正入が住職をしていた湯島の専西寺(せんさいじ)を引寺として、代々木にも、元和6年(1620)に専西寺が建立されました。

初台局は、専西寺が創建された翌々年の元和8年に没し、法名は安養院(あんにょういん)釈尼香薫といいます。 

湯島と代々木の2ヵ所の専西寺は、開山の正入が兼任しました。

 専西寺の開基は、初台局の娘梅園局となっています。

 梅園局は2代将軍秀忠の乳母の初台局の娘で、3代将軍家光の乳母で、木村吉次を婿としました。木村吉次は土井吉次となりましたが将軍秀忠の命により、土井を改め柴山と改姓しました。梅園局の法名は正春院釈尼清安といいます。

 二人の間に生まれた子供が 開山正入です。正入の俗姓は土井甚三郎昌興といいました。

専西寺は、寛永4年(1627)改宗して浄土真宗となり、寛永10年(1632)湯島山安養院専西寺と称することとなり、まもなく正保2年(1645)山号を柴山(さいざん)と改めています。その後、天和3年(1683)湯島の専西寺が火災により焼失し、両寺は併合したような形となって代々木の専西寺だけとなりました。

そして元禄5年(1692)に、開山の梅園局の法名正春院釈尼清安にちなみ寺号を正春寺と改めました。

《土井家先祖の供養墓》

本堂裏側の墓所の中に、初台局の子孫である土井利意(としもと:寛政2年没享年68歳)が建てた先祖の供養墓があります。

墓正面に刻まれている七代祖土井小左衛門利昌とは、初台局の夫である土井昌勝の父親土井利昌です。墓石の左側の面に土井昌勝の名があり、その左に「土井次郎左衛門昌勝室 號安養院」と刻まれているのが初台局のことです。

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《初台の地名の由来》

初台という地名は、太田道灌が築いた八ケ所の砦のうち一の砦があった場所から出た名であるという説がありますが、初台の地名は、徳川秀忠の乳母の初台の局が拝領し隠居したことに由来するとも伝えられています。渋谷区役所作成の「渋谷散策マップ」は初台局説を取っています。

《土井利勝》 『江戸時代人名控』をベースに作成 

徳川家康に仕えた土井利昌の長子とされるが、家康の庶子とする説が有力で、家康の母の兄水野信元の子とする説もある。幼時から家康に仕え、1579年(天正7)秀忠誕生とともに秀忠付きとなり、秀忠の終生にわたって近侍してよく任を果たした。慶長7年(1602)に下総小見川(おみがわ)1万石が与えられ、10年加増されて同国佐倉(32000石余)へ転封、以後しばしば加増あって、寛永2年(1625)には142000石を領するに至った。この間従五位下、大炊助(おおいのすけ)の叙任を受けた。土井利勝は酒井忠世、大久保忠隣(ただちか)、本多正信らとともに秀忠補佐の中心におり、家康の信頼も厚く、徳川政権の基礎を固めるために大きな働きをした。家康、本多正信が相次いで没したのちは元老と称され、秀忠政権を支える中心に位置した。秀忠も利勝邸に赴くなど親近の情が厚かった。家光の補導にも努めている。明正天皇即位のときは秀忠の使者を務めた。

秀忠没後も年寄を務め、下総古河へ移され16万石を領した。土井利勝は、72歳で死ぬまで幕閣の重鎮で、知者の名が高く、優れた識見を有していたといわれる。

赤印が正春寺です。







by wheatbaku | 2018-12-25 20:19 | ~山手線一周~ 駅から気ままに江戸散歩
玉川上水旧水路緑道(代々木緑道)(代々木散歩③)

玉川上水旧水路緑道(代々木緑道)(代々木散歩③)

代々木散歩の続きで、今日は玉川上水跡に設置されている玉川上水旧水路緑道(代々木緑道)についてご案内します。

 新宿駅近くの甲州街道の南には、かつて神田上水とともに江戸の二大上水と呼ばれた玉川上水が流れていました。昭和40年以降、順次、暗渠となっていて、現在は、その地上部分が遊歩道として整備され、玉川上水旧水路緑道(代々木緑道)となっています。

玉川上水旧水路緑道は代々木三丁目から笹塚一丁目まで続いていきますが、そのうち代々木三丁目から四丁目までの区間が代々木緑道となづけられています。

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 玉川上水は、羽村取水堰から多摩川の水を取り込んで四谷まで、43キロの道のりを開渠で流れ、四谷から地下に潜って、江戸市中に水を供給していました。

渋谷区教育委員会の説明板が簡潔に玉川上水について説明してくれていますので、それを転記しておきます。

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《玉川上水跡》 

 ここには、かつて神田上水とともに江戸の二大上水と呼ばれた玉川上水が流れていました。現在は暗渠となり、当時の面影を偲ぶことはできませんが、各所に残る橋の欄干は玉川上水の名残です。

 江戸時代初期、江戸の住民は神田上水と赤坂溜池の水を飲料水として利用していましたが、江戸市中の発展につれ水不足をきたしました。そこで、承応元年(1652)に玉川上水開設の計画が立てられたのです。承応2年(1653)正月、幕府は庄右衛門・清右衛門兄弟に工事請負を命じました。ここに老中松平伊豆守信綱を惣奉行とする、玉川上水開設の計画はスタートしたのです。信綱の巨安松金右衛門の設計に従い、多摩郡羽村に堰を設けて取水口とし、四谷大木戸まで約43キロの開削水路を通し、そこから先は地価に配管(石樋・木樋)を敷設するという、当時としては非常に画期的な工法がとられました。

 このほかに玉川上水は、江戸市民の飲料水供給にとどまらず、灌漑用水や新田開発など武蔵野台地の発展にも計り知れない恩恵を授けたのです。

 渋谷区教育委員会

《箒銀杏(ほうきいちょう)》

 上記の説明板が設置されているすぐ近くに箒銀杏(ほうきいちょう)があります。

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この銀杏は、少しはなれた所から見ると、箒を逆さまにたてたようにみえるところから、箒銀杏 とよばれています。

 樹齢は約200年と推定されます。

 この木に根本にある天満宮の小祠があります。(下写真)

ご祭神は代々木八幡宮に合祀されていますが、小さな祠が残されていて、近くの人のお参りする姿が見られました。また、以前、この近くを流れていた玉川上水に架けられた橋は天神橋と名づけられていました。

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 玉川上水旧水路緑道は、かなりの道幅があります。
 これは、玉川上水跡だけが緑道となったわけではないからです。実は、玉川上水に並行して京王線が走っていました。京王線は、現在は地下を通っていますが、京王線の笹塚-新宿間が地下化されたのは昭和384月のことでした。

それまでは、京王線も地上を走っていて、西参道までの線路は、玉川上水の南側にありました。

そして、西参道で大きなSの字を描いて、西参道から以西は、京王線は玉川上水の北側を走っていたようです。

赤印が渋谷区教育委員会設置の「玉川上水跡」の説明板の場所です。 

青印が箒銀杏です。






by wheatbaku | 2018-12-23 22:13 | ~山手線一周~ 駅から気ままに江戸散歩
田山花袋終焉の地

田山花袋終焉の地(代々木散歩②)

 江戸検を受検された皆さん、結果通知がご自宅に届いているようですね。

 見事合格された皆さん、おめでとうございます。この間の努力の賜物とお喜び申し上げます。

一方、惜しくも合格点に達しなかった皆さん、捲土重来を期して、頑張ってください。江戸検1級は、頑張り続けられば、必ず合格できますので、落ち込まずに頑張ってください。

 さて、代々木散歩では、平田神社の後には、平田神社から徒歩3分の距離にある田山花袋終焉の地に行きました。そこで、今日は、その田山花袋終焉の地についてご案内します。下写真が、田山花袋終焉の地の標柱です。

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田山花袋は、この地に明治39年から昭和5年に60歳亡くなるまで住んでいました。

田山花袋は、群馬県館林市出身の明治を代表する文豪の一人で、代表作は「蒲団」(明治40年発表)「田舎教師」(明治42年発表)などです。これらの代表作も代々木で書かれました。

田山花袋は、本名録弥といい、群馬県館林に生れました。

尾崎紅葉の指導を受け、自然主義的な作品「重右衛門の最後」によって文壇に認められました。

その後、告白的な暴露小説「蒲団」を発表し、続いて「田舎教師」等を書き、島崎藤村とともに自然主義文学の代表的作家となりました。

代表作の「田舎教師」は、高校時代に読んで印象深かった小説ですので、ちょっと触れておきます。

《代表作「田舎教師」》

田山花袋の長編小説で、多くの人々の心をとらえた名作として有名です。

埼玉県の旧制熊谷中学校を卒業し、埼玉県羽生在の弥勒(みろく)尋常高等小学校の代用教員をしていた教師小林秀三をモデルとした林清三が、この小説の主人公です。


田山花袋は、日露戦争従軍から帰っり、義弟の太田玉茗の寺である埼玉県羽生の建福寺で、小林秀三の真新しい墓標を見て心を動かされ、小林秀三の生涯を描きました。

 渋谷区が設置した標柱は、壁側に説明が書いてあり、大変読みにくいので、裏側からゆっくり読んでください。

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赤印が田山花袋終焉の地です。青印が平田神社です。








by wheatbaku | 2018-12-20 18:44 | ~山手線一周~ 駅から気ままに江戸散歩
伊賀上野に行ってきました!

伊賀上野に行ってきました!

 昨日まで、伊賀上野、松阪、亀山と三重方面に旅行してきました。

 今回の旅行の主目的は、2月に文京学院大学で開講する次の講座の準備で、伊賀越の仇討の現場を調査することでした。

 江戸検1級合格者がご案内 江戸講座・江戸散歩

 『いざ、尋常に勝負しろ!江戸の仇討』


 江戸の仇討の講義では、伊賀越の仇討、浄瑠璃坂の仇討を中心に、その他の仇討について解説をしますので、ご興味のある方は、是非お申込みください。

 伊賀越の仇討関係のお話は、講座でお話しますが、今日は、伊賀上野で見てきた史跡のうち代表的な見どころをご案内します。
《鍵屋の辻》
 伊賀越の仇討が行われたのが鍵屋の辻です。今回の旅行の目的地です。 下写真は鍵屋の辻の全体の様子です。左手に伊賀越の仇討の記念碑が建てられています。

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《伊賀上野城》

 伊賀上野城は、藤堂高虎が築いたお城です。築城当時、五層の天守が完成直前の状態まで築かれましたが、大暴風のため倒壊し、その後、天守は築かれませんでした。現在の天守は、昭和10年に、地元の代議士川崎克が中心となって造られたものです。

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《高石垣》

 伊賀上野城といえば、30メートルもある高石垣が有名です。築城の名人と呼ばれた藤堂高虎の面目躍如といった石垣です。下から見上げた石垣も見事でしたが、上からの下をのぞくとあまりの高さに恐怖を感じました。

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《俳聖殿》

 伊賀上野は松尾芭蕉の生まれた土地です。上野城内には、俳聖殿があります。この建物は芭蕉翁の生誕300年を記念して昭和17年に造られたもので、国の重要文化財に指定されています。

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《上野天満宮》

 伊賀上野に、ユネスコ無形文化遺産「山・鉾・屋台行事」に登録されたお祭りがあるのを知りました。そのお祭りは「上野天神祭」です。 

このお祭りは、菅原道真を祀った上野天神宮(下写真)の秋祭りです。「上野天神祭」は、鬼・だんじり供奉行列が大変見事だそうで、秋にはまたぜひ来てくださいと言われました。

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松阪や亀山・関宿も大変良い所でした。また機会があったら、このブログにアップします。


by wheatbaku | 2018-12-17 18:57
 平田神社(代々木散歩①)

 平田神社(代々木散歩①)

代々木散歩で最初に訪れたのは平田神社です。

 平田神社は、代々木駅西口からは約7分です。小田急線の南新宿駅からですと約6分で行くことができます。

 下写真は、小田急線のガード方面からみた平田神社です。

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 平田神社は、平田篤胤をお祀りした神社です。

 平田篤胤は、国学の四大人(したいじん)の一人に挙げられる、江戸時代後期の国学者です。

国学とは、儒教・仏教渡来以前の日本固有の文化を究明しようという学問で、漢学に対していった言葉で、四大人とは荷田春満・賀茂真淵・本居宣長・平田篤胤をさします。

 平田神社は、明治初年、東京の柳島横川町(現墨田区)に平田家の邸内社として創祀され、明治1411月、東京小石川第六天町(文京区)に遷座しました。

第六天町の境内が、東京メトロの車両基地となったことから、昭和3411月、現在地に遷座しました。現在の社殿は、昭和626月に新築されたものです。

御利益は様々ありますが、平田篤胤ゆかりの神社であることから学問の神様といわれています。

また、昭和62年に昭和天皇が手術をした際の執刀医であった森岡東大教授が崇敬していて、手術が行われた日にも参拝したことから一躍有名となりました。

宮司は、代々、平田篤胤の子孫が勤めています。

下写真が正面から写した平田神社です。

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《平田篤胤》

平田篤胤は、江戸後期の国学者。秋田藩士大和田祚胤(としたね)の子として生まれ、20歳で脱藩して江戸に出、備中松山藩士平田篤穏(あつやす)の養嗣子となり、独学によって国学者として自立し、初め真菅乃屋(ますげのや)、のちに気吹乃屋(いぶきのや)と称しました。

また本居宣長の没後の門人ながら、生前に入門したと自称し、その後継者をもって自任しました。しかし、その文献学的方法は継承せず、思想、学問の性格には大きな差異があると言われています。

彼の学問が独特の姿を現したのは『霊の真柱(たまのみはしら)』です。この中で、人は死後、本居宣長のいうように夜見(よみ)に行くのではなく、大国主(おおくにぬし)神の支配する幽冥(ゆうめい)に行くとして死後の安心を説いています。

このことは、一方で本居一門のひんしゅくを買うものの、独自の立場を確立して自信を深めた平田篤胤は、インド、中国さらには西洋の神話・伝説をも用いて世界の成り立ちを解明しようとしました。

また幽界に往来したと称する少年や別人に生まれ変わったという者の言をも信じ、そこから直接幽界の事情を研究して『仙境異聞』『勝五郎再生記聞』なども書きました。

こうして平田篤胤は本居宣長の影響を完全に脱し『古史伝』を著述しますが、『古史伝』は未完に終わります。

平田篤胤の実践的な学問は多くの人の支持を受け、天保12年(1841)幕命で秋田藩が国元に帰らせてからも門人は増え続け、553人に達したといいます。

 平田篤胤によって発展された国学や神道説は、平田国学や平田神道と呼ばれ、幕末の尊王攘夷運動の中核的イデオロギーとなり、明治維新期の神仏分離・廃仏毀釈にも大きな影響を与えました。

 下写真は平田神社の拝殿です。

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 島崎藤村の名作「夜明け前」には、平田篤胤が唱えた国学が木曽地方の知識人に大きな影響を与えた様子が描かれています。

「夜明け前」の主人公青山半蔵は、木曽馬籠で本陣・問屋・庄屋を兼ねた人物で、島崎藤村の父島崎正樹がモデルと言われていますが、この青山半蔵が学んだのが平田国学でした。

赤印が平田神社です。






by wheatbaku | 2018-12-12 21:17 | ~山手線一周~ 駅から気ままに江戸散歩
暖かな陽気のなか、代々木を散歩してきました。

暖かな陽気のなか、代々木を散歩してきました。

 土曜日に、毎日文化センターの「~山手線一周~駅から気ままに江戸散歩」が開催され、代々木駅周辺の史跡を散歩してきました。

 天候にも恵まれ、12月とは思えない暖かい陽気のなかで、楽しく散歩してきました。

 ご参加いただいた皆さん、ありがとうございました。

 昨日の散歩ルートは次の通りです。

【ルート】 代々木駅 ⇒ 平田神社 ⇒ 田山花袋終焉の地 ⇒ 玉川上水旧水路 ⇒ 正春寺 ⇒ 切通しの坂 ⇒ 参宮橋公園(休憩) ⇒ 春の小川(河骨川)跡 ⇒ 春の小川歌碑 ⇒ 代々木八幡宮 ⇒ 福泉寺(斎藤弥九郎のお墓) ⇒ 代々木八幡駅又は代々木公園駅

 代々木駅から、まず平田神社に向かいました。
 代々木駅から約10分で到着します。

 平田神社は、江戸時代の後期の国学者である平田篤胤をお祀りした神社です。

 平田神社の宮司さんは、代々平田篤胤のご子孫が勤めていますが、当日は、宮司さんはご不在で、役員の方にご案内していただきましたが、やはり、ご子孫の方でした。

 下写真は、平田神社拝殿前で説明をきく参加者の皆さんです。

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 玉川上水は、多摩郡羽村に堰を設けて取水口とし、四谷大木戸まで約43キロの開削水路を通し、江戸市民に水を供給していました。

その玉川上水は、現在の新宿駅近くの甲州街道の南を流れていました。昭和40年以降、順次、暗渠となってしましましたが、現在は、その地上部分が遊歩道として整備されています。

下写真は玉川上水についての説明板を呼んでいる参加者の皆さんです。

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正春寺は、正式な山号寺号は、湯島山安養院正春寺といい、徳川秀忠の乳母であった初台局ゆかりのお寺です。もともとは天台宗でしたが、その後改宗して、浄土真宗東本願寺派のお寺となりました。

 初台局は、土井利勝の弟・土井昌勝の妻でしたが、徳川秀忠の乳母となりました。

墓域に、初台局を初めとした土井家の人々の供養墓が残されています。

 下写真は、その供養墓を確認する参加者の皆さんです。

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 高野辰之が作詞した童謡「春の小川」は、渋谷川の支流の河骨川(こうほねがわ)がモデルであると言われています。

現在、河骨川は暗渠となっていますが、その流路をたどることができます。

小田急線の参宮橋駅と代々木八幡駅の間は、小田急線のすぐそばを流れていました。下写真は小田急線の線路脇に設置されている「春の小川歌碑」を見ながら説明を聞く参加者の皆さんです。

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小田急線の「代々木八幡」の駅名にもなっている代々木八幡宮は、鎌倉時代に創建され、鎮座800年を迎えた古い歴史をもった神社です。

下写真は、本殿の前で説明を聞く参加者の皆さんです。

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代々木八幡宮には、縄文時代の遺跡である代々木八幡遺跡があります。代々木八幡遺跡は、昭和25年に発掘が行われ、縄文時代の土器や石器が多数出土し、竪穴式住居の柱穴が発見されました。

現在、境内に、竪穴式住居が復元されています。(下写真)

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代々木八幡宮の隣にある福泉寺には、幕末の剣豪斎藤弥九郎のお墓があります。

斎藤弥九郎が開いた練兵館は、千葉周作の玄武館,桃井春蔵の士学館とともに幕末江戸3大道場ひとつに数えられたほど有名でした。

斎藤弥九郎の墓は、福泉寺の墓域中央に植えられている松の木の下にあり、墓正面には「贈従四位篤信斎斎藤先生之墓」と刻まれています

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by wheatbaku | 2018-12-10 16:46 | ~山手線一周~ 駅から気ままに江戸散歩
高野長英の隠れ家跡(原宿散歩⑬)  

高野長英の隠れ家跡(原宿散歩⑬)  

 原宿散歩の最後に、「高野長英の隠れ家跡」を紹介します。

 「都旧跡 高野長英先生隠れ家」と刻ざまれた石碑は、東京メトロ表参道駅B3番出口から徒歩1分の至近距離にあります。

 しかし、これが見つけるのが大変な場所にあります。

 原宿散歩で案内した際にも、「これでは見つからない」とほどんどの人が言っていました。

 石碑が設置されている場所は複合文化施設「スパイラル」の入口の柱の陰です。

 B3番出口または表参道交差点から行く場合、左手に「スパイラル」が見えてきますが、その「スパイラル」の最初の柱の裏側の最下段に埋め込まれています。
 下写真の左奥が表参道の交差点方面で、写真右手の柱の中に設置されているのが「都旧跡 高野長英先生隠れ家」の石碑です。

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 高野長英の隠れ家跡は、高野長英が江戸に戻った後、家族とともに隠れ住み、そして、町奉行所に踏みこまれて自害した場所です。

表参道駅がある一帯は、江戸時代は、青山百人町と呼ばれ、鉄砲百人組の同心たちの屋敷が立ち並ぶ地区でした。

 高野長英は、嘉永3年(1850)、江戸に戻り、硝酸で顔をやいて人相を変え、沢三伯と名乗って、青山百人町の同心組屋敷の小島助次郎の借家を借り、町医者を開業しました。

「都旧跡 高野長英先生隠れ家」には、「幕臣与力小島持ち屋で質屋伊勢屋の離れ屋」と書いてあります。しかし、小島助次郎は同心であって与力だったかは疑問が残ります。また幕臣の屋敷を貸し出すことがあっても、その多くは学者や医者であることが多く、町人に貸し出すことはあまりないので、伊勢屋の離れ屋というのも疑問が残ります。

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この隠れ家で、高野長英は、妻子と一緒に暮らしていましたが、万一に備えて、門から住まいまで、貝殻または枯葉を敷き詰めて人の足音が聞こえるようにしていたといいます。

この隠れ家に、嘉永3年(18501030日の夜、南奉行所の捕り方が踏込みました。この捕物の最中に、長英は持っていた脇差で喉を突いて自殺したといいますが、一説には、同心たちが十手で滅多打ちにしたため、それにより死んだとも言われています。

明治になってから、この捕物に参加した同心の回顧談では、怪我人を装った同心を戸板で高野長英の自宅に運びこみ治療をお願いし、高野長英が偽怪我人に近づき治療をしようとした瞬間、不意に怪我人を装った同心が勢いよく半身を起こし長英に組みつき、驚いた高野長英は逃げようとしたため、捕り方は十手で散々殴りつけ、高野長英は半死半生となり駕籠で護送の途中死亡したと回顧しています。

なお、高野長英を捕えたのは、南町奉行所の与力同心でしたが、この時の南町奉行は、遠山左衛門尉景元つまり有名反な「遠山の金さん」でした。

赤印が「都旧跡 高野長英先生隠れ家」の石碑の設置場所です。

青印が東京メトロ表参道駅のB3番出口です。







by wheatbaku | 2018-12-09 12:08 | ~山手線一周~ 駅から気ままに江戸散歩
青山善光寺(原宿散歩⑫)

青山善光寺(原宿散歩⑫)

 今日は、青山善光寺をご紹介します。

 青山善光寺は、東京メトロ表参道A3番出口から徒歩2分のところにあります。

 青山通りからみると立派な仁王門が見えます。

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青山善光寺は信州善光寺の東京別院です。

青山善光寺の歴史は江戸時代初期にさかのぼります。

江戸の善光寺は、最初、慶長6年(1601)に徳川家康の勧請によって、谷中に7500坪 の地を拝領し建立されました。江戸の善光寺の住職は、信州善光寺の大本願の住職尼公上人が兼帯しました。

しかし、元禄16年(17031129日に小石川の水戸藩邸から出火した大火により、焼失しました。

そこで、宝永2年(1705)に心誉知善上人(柳沢吉保の娘と言われています)が、現在の地に、新たに再建しました。
 青山に移転後も、谷中にあった善光寺の門前の坂は、善光寺坂と呼ばれています。
 青山善光寺は、移転後も、多くの参詣者が訪れ興隆しましたが、文久2年(186212月5日、火災に遭い焼失しました。

その後本堂等も再建されましたが、昭和20年の空襲により焼失し、現在の本堂は、昭和44年に再建されたものです。 下写真が現在の本堂です。

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《信州善光寺》

お寺は単一の宗派に属しているのが普通ですが、信州の善光寺は単一の宗派ではありません。現在は善光寺山内にある天台宗の大勧進と浄土宗の大本願という二つのお寺があり、天台宗の大勧進の下には25院、大本願の下には14坊があります。これら2つの宗派によって善光寺は管理・運営されています。  

二つの宗派を代表する天台宗の大勧進の住職は貫主(かんす)と呼ばれ、浄土宗の大本願の住職は尼公上人(にこうしょうにん)と呼ばれ、共に善光寺住職を兼ねています。

大本願の創建以来、尼公上人は、代々皇室に関係する人が勤めています。

江戸時代は、尼僧では伊勢・慶光院、熱田・誓願寺とともに日本三上人といわれていました。現在は大本願の尼公上人だけが法灯を継承しています。

江戸の善光寺の住職は、信州の善光寺の大本願の住職が兼務していました。

その歴史から、現在も青山善光寺の住職は女性がつとめています。

《高野長英の顕彰碑》

青山善光寺の境内には高野長英の顕彰碑があります。(下写真)

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高野長英は、没後48年の明治31年に名誉が回復され、正四位が授与されました。

そこで、善光寺に勝海舟の撰文による顕彰碑が、善光寺の境内につくられました。

その碑は、戦災で破損したため、現在の碑は、元の碑の一部を活用し、昭和39年に新たに造られたものです。

撰文をした勝海舟は、高野長英と会ったことがあるという話も伝えられています。

「長英逃亡」(吉村昭著)の中にも高野長英と勝海舟が会う場面が取り入れられています。

御住職の話からしますと新しい顕彰碑を造ったのは日本医師会のようです。


赤印が青山善光寺です。








by wheatbaku | 2018-12-07 20:42 | ~山手線一周~ 駅から気ままに江戸散歩
  

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