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喜多院には日本三大五百羅漢の一つに数えられる五百羅漢があります〈喜多院⑦〉(徳川家康ゆかりの地70)

喜多院には日本三大五百羅漢の一つに数えられる五百羅漢があります。〈喜多院⑦〉(徳川家康ゆかりの地70)

 徳川家康ゆかりのお寺として紹介している川越の喜多院には日本三大羅漢の一つに数えられる五百羅漢があります。そこで、今日は喜多院の五百羅漢をご案内します。

 日本三大羅漢とは、インターネットで検索すると候補として徳蔵寺(栃木県足利市)、喜多院(埼玉県川越市)、建長寺(神奈川県鎌倉市)、そして羅漢寺(大分県中津市本耶馬渓町)の四つの寺院が挙げられています。そのうちのどれが三大五百羅漢とするかについては定説はないようです。

喜多院の五百羅漢は、山門から入った右手(北側)の石塀の中にあります。下写真が五百羅漢の正面です。

喜多院には日本三大五百羅漢の一つに数えられる五百羅漢があります〈喜多院⑦〉(徳川家康ゆかりの地70)_c0187004_14041208.jpg

この一画への入り口は、境内のおみやげ店の東端にあります。お土産店で拝観料を支払って入場します。拝観料は400円です。

入口から入ると目に飛び込んでくる五百羅漢群に圧倒されます。それもそのはず、五百羅漢の名前の通り羅漢像は全体で533体あるとのことです。さらに中央高座には釈迦如来、脇侍の文殊・普腎の両菩薩が安置されていて、左手の高座には阿弥陀如来、右手の高座には地蔵菩薩が安置してあります。全部で538体の石像が鎮座していますので圧倒されるはずです。下写真中央が阿弥陀如来です。

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羅漢は、阿羅漢の略称で「尊敬を受けるに値する者」の意で、仏教において、究極の悟りを得て、尊敬し供養される人をいいます。五百羅漢とは500人の羅漢ということです。

喜多院の五百羅漢は、天明2年(1782)に武蔵国北田島村(現川越市北田島)の志誠(しじょう:内田善右衛門)という人物の発願で建立が始まりました。そして、志誠(しじょう)の死後は、喜多院の僧侶や近隣の人たちがその遺志を引き継いで文政8年(1825)に完成したとされています。五百羅漢は、表情がさまざまで、同じものはないと言われています。(下写真)

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# by wheatbaku | 2024-04-23 15:00 | 徳川家康ゆかりの地
喜多院にある松平大和守家廟所〈喜多院⑥〉(徳川家康ゆかりの地69)

喜多院にある松平大和守家廟所〈喜多院⑥〉(徳川家康ゆかりの地69

 徳川家康ゆかりの地として紹介している喜多院には、江戸時代中期から後期にかけての約100年間川越藩主であった松平大和守家の廟所(墓所)があります。そこで、今日は喜多院の松平大和守家廟所をご案内します。

 松平大和守家廟所は、喜多院の本堂(慈恵堂)の裏手(西側)にあります。ここに明和4年(1767)から慶応3年(1867)まで川越藩主であった松平大和守家歴代藩主のお墓があります。下写真が松平大和守家廟所の全景です。

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 松平大和守家は、徳川家康の次男結城秀康の子直基を藩祖とする徳川家一族の大名です。歴代当主が大和守を名乗ったため松平大和守家と呼ばれています。

松平大和守家は別名「引越し大名」と呼ばれる程、転封を繰り返しました。まず初代直基は、当初は、 越前勝山に封じられましたが、その後越前大野、出羽山形、姫路と加増されながら3回転封を重ねました。さらにその長男で2代目の直矩(なおのり)が幼少で家督を嗣ぐと姫路はまかせられないということで越後村上に移され、成人後に再び姫路へ転封となりました。しかし、越後騒動に巻き込まれ、豊後日田へ転封となり、その後、さらに出羽山形、陸奥白河へ5回の転封を重ね、親子二代で8回も転封することとなりました。しかも近場への転封ではなく、初代直基は越前大野から出羽山形⇒姫路と、かなりの移動を伴う転封でした。2代目に至っては姫路から越後村上、越後村上から姫路、姫路から九州日田と、これまた長距離移動を伴う転封で、九州日田から出羽山形へという日本列島を縦断するような転封も経験しています。これでは、引っ越し費用も多額のものになり、藩財政は相当圧迫されたと思われます。

3代基知(もとちか)の時代には転封は一度もありませんでしたが、4代明矩(あきのり)の時に三度目の姫路転封となりました。しかし、転封直後に明矩(あきのり)が亡くなり、長男朝矩(とものり) は、まだ11歳であったため、またも転封で前橋に移されました。そして、これ以降、松平大和守家は、明治維新まで転封はありませんでした。ようやく「引越し大名」という芳しくない名前は返上できることになりました。ただし、松平大和守家は、当初は、前橋城を居城としていましたが、前橋城が利根川の浸食で危うくなり、明和4年(1767)に川越藩主秋元凉朝(すけとも)が白河に転封となり川越城が空いたため、川越に居城を移しました。それ以降、7代約100年間にわたり、川越藩を治めました。そして、慶応3年(1867)に前橋城を再建し、前橋城に居城を移し、明治維新を迎えました。


喜多院の松平大和守家廟所の入り口には説明板が設置されています。(下写真)

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松平大和守家の川越藩主としては7人の藩主がいますが、そのうち喜多院の松平大和守家廟所に眠るのは、5代朝矩(とものり)、6代直恒(なおつね)、7代直温(なおのぶ)、8代斉典(なりつね)、10代直候(なおよし)の5人の藩主です。

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その説明板によれば石門(上写真)を入った正面の玉垣内に4基、石門脇に1基あります。(下写真参照) 正面右(東側)から5代朝矩(とものり)、6代直恒(なおつね)、7代直温(なおのぶ)、8代斉典(なりつね)の順に並んでいて、石門脇が10代直候(なおよし)の廟所です。

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下写真は、石門正面に並ぶ4代の廟所です。

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201737日の産経新聞の記事によれば、5代朝矩(とものり)の廟所が最初に独立して建てられた後、6代直恒(なおつね)、7代直温(なおのぶ)、8代斉典(なりつね)まで順に西側に増築され、8代斉典(なりつね)の西は堀になるため、10代直候(なおよし)の廟所は4基の向かい側に建てられたとみられるということです。下写真が石門脇にある10代直候(なおよし)の廟所です。

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# by wheatbaku | 2024-04-15 22:00 | 徳川家康ゆかりの地
喜多院の客殿・書院・庫裏は江戸城の御殿を移築したもの〈喜多院⑤〉(徳川家康ゆかりの地68)

喜多院の客殿・書院・庫裏は江戸城の御殿を移築したもの〈喜多院⑤〉(徳川家康ゆかりの地68

 喜多院には、江戸城の御殿が残されていることで有名です。それが喜多院の庫裏・客殿・書院です。これらはいずれも国の重要文化財に指定されています。

 庫裏・客殿・書院は、喜多院の本堂(慈恵堂)の北側にあります。(下写真)は慈恵堂脇から撮った庫裏です。)

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庫裏・客殿・書院は、寛永15年(1638)の川越大火の際に喜多院の伽藍がほぼ全焼した際に、尊敬する天海大僧正のために、翌寛永16年に三代将軍徳川家光が江戸城の紅葉山の御殿を移築したとされています。

庫裏・客殿・書院は一体となっていて、拝観料を払えば拝観できます。ただし、内部の撮影は禁止されています。


〈庫裏〉(重要文化財)

庫裏の27畳の大きさの土間が拝観用の入口となっています。土間の天井がないため、見上げると豪快な小屋組が見えるようになっています。下写真は庫裏の入り口です。

喜多院の客殿・書院・庫裏は江戸城の御殿を移築したもの〈喜多院⑤〉(徳川家康ゆかりの地68)_c0187004_20191928.jpg

庫裏には、母屋、食堂、それに玄関及び広間が付いています。母屋は、桁行(けたゆき)10間、梁間(はりま)4間となっています。食堂は裄行東4間、西3間、梁間3間あります。母屋の一部には中2階があります。

〈客殿(重要文化財)

客殿は無量寿殿とも呼ばれます。外観は桁行8間梁行5間の入母屋造柿葺(こけらぶき)屋根の立派な建物です。客殿の南と西には簀の子縁があり、庭に面しています。客殿・書院・庫裏は内部は撮影禁止ですが外部からは撮影が許されています。下写真は本堂(慈恵堂)との渡り廊下の途中から写したものです。

喜多院の客殿・書院・庫裏は江戸城の御殿を移築したもの〈喜多院⑤〉(徳川家康ゆかりの地68)_c0187004_20191984.jpg

内部は東から102室、17畳半2室、12畳半2室からなり、南側と西側に1間幅の畳廊下(入側縁)が付く。中央17畳半の座敷の仏間に本尊阿弥陀如来像が安置されています。後列西端の12畳半は、上段の間となっており、床の間、違棚を備え、天井は花模様が施された格天井(ごうてんじょう)となっています。言い伝えによると、将軍家光がここで生まれたということから、「家光誕生の間」と呼ばれています。


〈書院〉(重要文化財)

書院は、客殿の北東部分につながっています。桁行は6間で、梁行が5間、寄棟造柿葺(こけらぶき)屋根で一部を中二階となっています。

部屋は北側に8畳の座敷が2室、南側に12畳の座敷が2室あり、南と東に1間幅の畳廊下(入側縁)があります。北東の8畳には、床の間と脇床がついていて、北西の8畳は床の間と押入が付いた座敷となっています。これらの部屋は春日局の「化粧の間」と伝えられています。


# by wheatbaku | 2024-04-06 22:00 | 徳川家康ゆかりの地
喜多院の鐘楼門と山門《喜多院④》(徳川家康ゆかりの地67)

喜多院の鐘楼門と山門《喜多院④》(徳川家康ゆかりの地67

 

 徳川家康ゆかりの地として川越の喜多院のご案内をしていますが、今日は、鐘楼門と山門とをご案内します。

〈鐘楼門〉

 鐘楼門は、前にご案内した慈眼堂の真東にあります。(下写真は慈眼堂の前から撮った写真です。)

喜多院の鐘楼門と山門《喜多院④》(徳川家康ゆかりの地67)_c0187004_19114189.jpg

2階建ての階上に梵鐘が吊るされていることから鐘楼門と呼ばれています。鐘楼門は、桁行が3間(5.45m)、梁間(はりま)が2間(3.64m)の大きさで、屋根は入母屋造りの本瓦葺です。1階をぐるりと囲っているものは袴腰(はかまごし)と呼ばれる囲いです。(下写真は境内広場から撮ったものです。)

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慈眼堂側が背面で、そこには中央部分は花頭窓となっていて両脇には極彩色の花鳥の彫物を施されています。(下写真)

喜多院の鐘楼門と山門《喜多院④》(徳川家康ゆかりの地67)_c0187004_19114107.jpg

建立された年ははっきりとしていませんが、寛永10年(1633)に東照宮の門として鐘楼門が建立されたと「星野山御建立記」の記録にあるそうです。その頃は、東照宮は今の慈眼堂の場所にあったようで、その門として建立されたのであれば、慈眼堂の真南にあることも納得できます。


〈山門〉

 山門は、喜多院の境内入口に建っていて、東側からお参りする際には、最初に目に留まる建物です。(下写真)

喜多院の鐘楼門と山門《喜多院④》(徳川家康ゆかりの地67)_c0187004_19114179.jpg

山門は寛永9年(1632)に天海僧正により建立されたことが棟札から分かり、寛永15年(1639)の川越大火でも焼失を免れていて、喜多院では現存する最古の建物です。国重要文化財に指定されています。

山門は、四脚門(しきゃくもん)、屋根は切妻造り、本瓦葺で、もとは後奈良天皇の「星野山」の勅額が掲げられていたといいます。

山門の北側袖には番所があります。(下写真)

喜多院の鐘楼門と山門《喜多院④》(徳川家康ゆかりの地67)_c0187004_19114169.jpg

間口が十尺(3.03m)、奥行1間半(4.55m)の小さな付属建物ですが、埼玉県指定の文化財です。江戸時代中期の天保年間に建てられたと考えられています。下写真は境内側から見た番所です。なお、境内側に山門と番所についての説明板が設置されています。

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# by wheatbaku | 2024-03-31 22:00 | 徳川家康ゆかりの地
仙波東照宮は三大東照宮の一つ《喜多院➂》(徳川家康ゆかりの地66)

仙波東照宮は三大東照宮の一つ《喜多院➂》(徳川家康ゆかりの地66

 喜多院の西側には、三大東照宮の一つに数えられる仙波東照宮が鎮座しています。そこで、今日は仙波東照宮をご案内します。下写真は仙波東照宮の入口の写真です。

仙波東照宮は三大東照宮の一つ《喜多院➂》(徳川家康ゆかりの地66)_c0187004_17254701.jpg
 徳川家康は、元和2414日になくなり、その日のうちに久能山に埋葬されました。そして、家康は、一年後に日光に改葬するよう遺言していたので、それに従い、翌年3月から4月に改葬されました。

その日程は、久能山出発315日、駿河善徳寺315日着16日出発、三島16日着17日発、小田原城17日着18日発、中原御殿18日着19日出発、相模国宗仲寺19日着20日出発、府中御殿21日着23日発(2泊)、喜多院大堂23日着27日発(4泊)、忍城27日着28日発、下野国惣宗寺28日着29日着、下野国薬王寺29日着44日発、日光山4日到着

この日程を見てわかる通り、久能山から日光に改葬された時に、家康の霊柩は4日間川越喜多院の大堂(本地堂)に留まり、天海大僧正が丁重に法要を執り行いました。
 仙波東照宮はこの由縁から寛永10年(1633)に創建されたものです。寛永10年に天海大僧正により創建された東照宮は寛永15年(16388月の大火により焼失してしまい、寛永17年に再建されました。

仙波東照宮の境内入口にある随身門は朱塗の八脚門・切妻造りで、銅板で噴かれていて、国の重要文化財となっています。(下写真)

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 以前は、この随身門には後水尾天皇の御宸筆の「東照大権現」と書かれた額が架けられていたそうです。この随身門をはじめ、仙波東照宮の本殿、 瑞垣、 唐門、 拝殿及び幣殿、 石鳥居は国の重要文化財となっています。
仙波東照宮は三大東照宮の一つ《喜多院➂》(徳川家康ゆかりの地66)_c0187004_17254691.jpg
 随身門をくぐり参道を10メートルほど歩くと石鳥居が目に入ります。(上写真) この石鳥居は、寛永159月に堀田正盛が奉納したものです。堀田正盛は造営奉行として喜多院・仙波東照宮の再建の指揮をとりました。この石鳥居は、寛永159月に堀田正盛が奉納したものです。堀田正盛は造営奉行として喜多院・仙波東照宮の再建の指揮をとりました。堀田正盛は、春日局の義理の孫ですが、養子となっていましたし、家光の男色の相手であったとも言われていて、家光寵愛の家臣です。そして、寛永15年8月の大火が起きる直前の同年3月に松本藩に移封されるまで川越藩主でした。

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 向かって左の柱の正面に「東照大権現御宝前、寛永十五年九月十七日」、脇に「堀田加賀守従四位下藤原正盛」と刻まれています。(上写真は脇の部分を撮ったものです。)
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 石鳥居をくぐると目の前に石段があります。53段の石段です。(上写真)

石段の上に拝殿が鎮座しています。

拝殿は、桁行三間、梁間二間で単層入母屋造りで銅板で噴かれています。
 通常は非公開ですので、境内の中には入れません。下写真は門から撮った拝殿の写真です。


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【特別公開時の拝殿と本殿】

2021年は川越市市制施行100周年でしたので、それを記念し、2021111日から23日まで、仙波東照宮が特別公開されました。その際には境内に入ることができました。下写真は南西側から写した拝殿です。

仙波東照宮は三大東照宮の一つ《喜多院➂》(徳川家康ゆかりの地66)_c0187004_17254724.jpg

拝殿脇の説明板には次のように書いてありました。

仙波東照宮は三大東照宮の一つ《喜多院➂》(徳川家康ゆかりの地66)_c0187004_17254717.jpg

「拝殿は桁行三間(5.36m)、梁間(3.64m)で、単層入母屋造、正面は向拝一間(1.82m)あって銅板本葺である。幣殿は桁行二間、梁間一間で背面は入母屋造り、前面は拝殿に接続し、同じく銅板本葺である。内部も朱塗りで美しく、正面に後水尾天皇の御染筆なる東照大権現の勅額が懸けてある。記録によると、寛永10(1633)1224日とあって、東照宮創建当時に下賜された貴重なものとされている。川越城主であった柳沢吉保や秋元但馬守喬朝の頃に大修理があったとつたえているが、松平大和守の弘化四年(1847)にも修復が行われたという。平成33月 埼玉県教育委員会、川越市教育委員会」

また、本殿もお参りすることができました。下写真が本殿です。

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説明板には次のように書いてありました。

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東照宮本殿は、三間社流造・銅瓦葺き・極彩色で、寛永17年(1640)に再建された。本殿内に安置されている円形厨子の中には、天海が彫刻した冑を着け鎗を右手に持ち、駿馬に騎っている家康公の木像が祀られている。本殿の周囲に巡らす瑞垣は、本瓦葺で透し塀、中央正面の唐門は一間一戸の平唐門で銅瓦葺きである。平成122月 川越市教育委員会

この際に初めてご神体が公開されました。御神体の写真撮影は禁止されていましたが、甲冑を着け右手には槍、駿馬に騎っている徳川家康の木像でした。高さは25寸(76cm程度)だそうです。




# by wheatbaku | 2024-03-26 20:30 | 徳川家康ゆかりの地
  

江戸や江戸検定について気ままに綴るブログ    (絵は広重の「隅田川水神の森真崎」)
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