白髭神社  (神社参拝)
 向島百花園から約200mのところに白髭神社はありますので、百花園で朝顔を見た後、白髭神社に寄りました。

 c0187004_21244577.jpg白鬚神社の総本社は、滋賀県高島市にある白髭神社です。
 東向島の白鬚神社は、慈恵大師(じえだいし)が、天暦五年(951年)、総本社である近江国の白鬚神社の分霊としてお祀りした神社と言われています。

 江戸名所図会に次のように書かれています。
 「隅田河堤の下(もと)にあり。祭神は猿田彦命なり。祭礼は9月15日に執行せり。別当は真言宗にして西蔵院と号(なづ)く。
 相伝ふ、天暦5年辛亥(951)、慈恵大師関東下向の頃、霊示によりて近江国志賀郡打下(うちおろし)より、この地に勧請したまふとなり。天正19年(1591)に至り、神領を附したまふ。」

c0187004_21251595.jpg 白鬚神社の祭神である猿田彦命は天孫降臨の道案内をされた神様で、このことから、道案内・導きの神としてあがめられていて、 この導きの信仰からお客様を導く商売繁昌の神様としても敬れています。
 そうしたことからでしょうか、山谷の料亭八百善の八百屋善四郎と吉原の松葉屋半左衛門が、文化12年(1815)に寄進した狛犬が本殿の前に鎮座していました。台座にしっかり八百屋善四郎と吉原の松葉屋半左衛門の名前があります。 商売繁盛を願って寄進したのでしょうか。

 また、猿田彦命は、渡来人の神様で、渡来人の多い地域に、白鬚神社が鎮座しているという説もあります。
 この地域は、古代は渡来人が住んでいたのだろうかというような古代のロマンを感じさせる神社でもありました。

 境内に、JA東京の立てた「寺島(てらじま)ナス」について書いた案内板がありました。
 やかりやすい解説ですので、そのまま、書くと次のようです。

c0187004_21293261.jpg 『寺島(てらじま)ナス
 かつて、白鬚神社の周辺は寺島村といいました。元禄郷帳(1688~1704)によれば、この地域一帯は、水田を主とする近郊農村でしたが、隅田川上流から運ばれてきた肥沃な土はナス作りにも適し、ナスの産地として、その名も「寺島ナス」と呼ばれていました。

 享保20年(1735)の「続江戸砂子温故名跡志」には、「寺島茄子 西葛西の内也。中の郷の先、江戸より一里余」とあり、「夏秋の中の嘉蔬(かそ)とす。」として、また、文政11年(1828)の「新編武蔵風土記稿」には、茄子として、「東西葛西領中にて作るもの」として「形は小なれどもわせなすと呼び賞美す」と江戸近郊の名産であることが記されています。 

 農家は収穫したナスを船を使って、千住や、本所四ッ目、神田の土物店(青物市場)等に出荷していました。江戸時代、悠々と流れる隅田川の東岸。田園地帯であった寺島に、後世に伝えるに値するナスの銘品があったのです。』

 茄子については、過去のブログ「茄子」でも書いていますのでご参考にして下さい。
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# by wheatbaku | 2009-08-17 06:19 | 神社参拝 | Trackback
まゆみ   (江戸の花)
 向島百花園で、「まゆみ」 の木を見つけました。
 「まゆみ」の木は、和紙の「楮紙(こうぞがみ)」の中で取り上げたばっかりでしたので、思わず写真を撮りました。

c0187004_2105298.jpg 「まゆみ」は、ニシキギ科ニシキギ属の木です。
 材質が強いうえによくしなる為、昔から弓の材料として知られ、まゆみという名前の由来になりました。
 実物を見ると、本当にしっかりしていてかつしなやかな木だと実感します。
 漢字では、「真弓」と書きます。「真弓」は、この木の名前であるとともにこの木で作られた弓のことや、弓の美称としても使われます。
 また、まゆみという漢字は「檀」とも書きます。読みは「まゆみ」です。 まゆみという木は、弓の材料でもあるとともに紙の材料にもなりました。
 このまゆみからできる紙は、「檀(まゆみ)」からできる紙ということで「檀紙(だんし)」と呼ばれるようになりました。後に、材料はまゆみから楮になりましたが、紙の名前は「檀紙(だんし)」のままでした。
 檀紙(だんし)とは、縮緬状のしわを有する高級和紙で、平安時代以後、高級紙の代表とされ、中世には讃岐国・備中国・越前国が産地として知られていました。徳川将軍による朱印状も原則として檀紙が用いられていたのです。
 その檀紙(だんし)の語源の元ととなる「まゆみ」を見つけ感激しました。

 c0187004_21111758.jpg 
 まゆみの花は、薄い緑で、四弁の小花が初夏に咲きます。
 まゆみの実は、左の写真(「季節の花300」さんご提供)のように枝にぶら下がるようにしてつき、秋に熟すと果皮が四つに割れ、鮮烈な赤い種子が四つ現われるようです。
 秋に、この果実と種子、紅葉を楽しむ庭木として親しまれ、盆栽に仕立てられることもあるそうです。
 また、現在では、紙の材料としてではなく、印鑑や櫛の材料としても利用されています。
 余談ですが、まゆみの新芽は、山菜としても利用され、天麩羅やおひたしなどに向くそうです。



c0187004_21312444.jpg  帰ろうとして出口に向かった時に、事務所の脇で レンゲショウマという珍しい花を見つけました。
 可憐な花でしたので写真に撮り、家に帰り図鑑で調べました。

 レンゲショウマは太平洋側の山地の落葉林内に生えるキンポウゲ科の多年草で、細長い花茎を伸ばし、約3~4cmの下向きの花を付けます。
 花が下から見上げるとハス(蓮)の花に、葉がサラシナショウマ(晒菜升麻)という植物に似ているので、レンゲショウマ(蓮華升麻)の名がつけられたといわれています。

 鉢植えでしたので、百花園でいつもみられる訳ではないと思います。珍しい花を見ることができてラッキーでした。
 
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# by wheatbaku | 2009-08-15 14:42 | 江戸の花と木 | Trackback
向島百花園(変化朝顔をたずねて)
 向島百花園に、江戸検定1級の人たちと行ってきました。

c0187004_19241242.jpg 向島百花園は、仙台出身の骨董商、佐原鞠塢(さはらきくう)が、「多賀屋敷」と呼ばれていた元旗本多賀氏の屋敷跡の土地約3000坪を入手し、文化2年(1805年)に開園しました。
 鞠塢と親交の深かった一流の文人墨客の協力を得て、360本もの梅の木を植えたことから、当時亀戸にあった「梅屋敷」にならって「新梅屋敷」とも呼ばれていましたが、文化6年頃より「百花園」と呼ばれるようになりました。
 
 当時は、多くの人々の行楽地として賑わい、文人墨客のサロンとしても利用され、著名な利用者には「百花園」の命名者である絵師酒井抱一や門の額を書いた狂歌師大田南畝らがいました。

c0187004_19343599.jpg さらに、弘化2年(1845年)には、12代将軍家慶の梅見の御成りがあるほどでした。

 その後、小倉家に所有権が移転したのち、東京市に寄付されて、昭和14年に公園として公開され、現在に至っています。

 百花園は、佐原鞠塢の頃から、「詩経」や「万葉集」にゆかりのある草木類を多数栽培していて、野趣豊かな庭園になっています。 また、芭蕉の句碑をはじめ20数基の石碑が庭内に置かれています。
 上の芭蕉の句碑には、「春もやや けしき ととのう 月と梅」という句が彫られていました。

 だから江戸の文人趣味に作られていて、大名庭園とは雰囲気がちがうことが特徴です。
 とくに秋の七草など秋の草花の美しさで知られていますので、これからが見ごろになります。ハギのトンネルが特に有名ですが、今回、ハギの花はまだ咲いていませんでした。


c0187004_19292973.jpg  今回、百花園に行ったのは、変化朝顔をみるためでした。

 変化朝顔は、7月3日のブログ「変化朝顔」に書いた通り、朝顔とは思えないほど変わった珍花奇葉をもつ朝顔です。
 
 変化朝顔展は開催されるのが、この向島百花園と日比谷公園と国立歴史民俗博物館ぐらいですので、1級の人たちと見に行きました。

 入り口からほど近い広場に、変化朝顔は、約30鉢展示されていました。
 その中のいくつかを紹介します。
 なお、変化朝顔の名前のつけ方には、一定のルールがあり、葉の色・形、茎の形、花の色・形、花弁の重ねを順に記していて、愛好家にはすぐわかるようです。
 しかし、一般の人にはちょっと判読するのはむずかしいのではないでしょうか・・・ 
 私も素人なのでちょっと・・・

c0187004_1920354.jpg← 青斑入蜻蛉葉木立
c0187004_19202473.jpg← 青蝙蝠南天○○紫














c0187004_19205064.jpg← 青渦葉紫丸咲
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     ↑ 青縮緬蜻蛉葉淡桃台咲
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# by wheatbaku | 2009-08-14 08:03 | 江戸の花と木 | Trackback
江戸名所図会
 江戸を訪ねる時やこのブログを書く時に、常に参考にしている本は「江戸名所図会」「守貞謾稿(もりさだまんこう)」「東都歳時記」「江戸名所花暦」などです。これらの本を読むと、江戸の様子が生き生きと書かれていて、当時の様子がよくわかります。

 これらの本のうち、「江戸名所図会」について、感動的に紹介してある文章に出会いましたので、転載します。「江戸名所図会」がつくられた経緯もよくわかります。
  豊島寛彰著「東京歴史散歩 第一集 江戸城とその付近」からの抜粋です。
 

c0187004_15451778.jpg  『雉子町で思い出すのは「江戸名所図会」の著者斉藤幸雄で、彼は雉子町の草分け名主であった。江戸名所図会は幸雄、その子幸孝、孫幸成と3代にわたって苦心の末完成したものであって、われわれのような東京の歴史を探るものには必要かくべからざる参考書である。
 幸雄は神田雉子町の名主として6ヵ町を差配するかたわら、神田多町青物市場の監督をも兼ねる多忙の身であったが、江戸には完全な地誌がないところから江戸名所図会の刊行を思いたった。それからは暇をつくっては府内近郊の名所旧跡を探り、社寺をたずね、古老を訪い、一方では古書を調べ、ノートすること10数年におよんだが、不幸にも業なかばにして寛政11年に63歳で病死した。


c0187004_15563323.jpg  その子幸孝もやはり名主の忙職にあったが、父の遺業を完成せんものと名所旧跡を探査することになった。その苦心はなみたいていのものではなく、ある時は遺稿の一包み置き忘れて絶望の極に陥ったこともあり、父の頼んだ画家北尾重政は老齢のため絵が一向すすまず、代わりの画家を物色するのに大変苦労したりした。遺稿の包みは本所妙願寺本堂に置き忘れられてあった。住所も名前もわからず、ただ丹念に書き込まれている調査の原稿を見て、どうかして持ち主に届けんものと考えた住職海煉は、諸々方々に手を尽くしてたずね歩いた。これが幸雄の知人神田佐久間町の片岡寛光の耳に入り、ようやく持ち主がわかって手許にもどった。幸孝の躍り上がって喜ぶ顔がうかんでくる。絵の方は長谷川雪旦という無名の画家を知り、これを起用して挿絵を描かせることになった。雪旦の努力も尋常のものではなく、寒暑風雨をいとわず四季の風情をうむことなく忠実に写生して歩いた。文化15年幸孝も完成を見ることなく47歳で歿した。


c0187004_15565086.jpg その子幸成はわずか15歳の少年であったが、雪旦をはじめ多くの人の説得により、父祖の遺業を継ぐ決心をし、さらに15年を経て天保5年(1834)全巻20冊が刊行の運びとなった。ここに50年のながきにわたった斉藤家3代の苦心は豊かに実ってこの大刊行事業は完成したのであった。幸成はその後も江戸地誌に関係ある武江年表や、東都歳時記その他を著述し、明治11年75歳で歿している。
 また雪旦の努力と真心はこの事業の完成に大きな役割を果たしている。あるときはその熱心のあまり他家の屋上にのぼって写生し、泥棒と間違えられたこともあった。しかし、雪旦は江戸名所図会によって一躍有名になり、のちに絵師として法橋になった。

 雉子橋の項に江戸名所図会の作者について、ことさら書き添えたのはその文化的功績を礼賛したかったからである。』

 現代の私たちが、江戸の様子を手に取るようにわかるのは、斉藤家3代の苦心・努力の結果であることを改めて認識させられた一文です。
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# by wheatbaku | 2009-08-13 09:59 | 江戸に関する本 | Trackback
三椏紙(みつまたがみ) (江戸の技)
 和紙の原料の最後は、  「三椏(みつまた)」 です。

c0187004_2112456.jpg 三椏(みつまた)は、ジンチョウゲ科ミツマタ属の落葉低木です。
 みつまたは、その枝が必ず三叉、すなわち三つに分岐する特徴があるため、この名があり、三枝、三又とも書きます。
 成木は2メートル余りになり、苗を植えてから3年目に収穫できます。葉はだ円型で互い違いの向きにはえます。


 春の訪れを、待ちかねたように咲く花の一つが三椏です。

c0187004_169586.jpg 花は初秋から樹木の先につぼみをつけ、翌年2~3月頃外側から内側に向け順番に開花し、花びらは黄色で4枚に分かれ、一つの花に8本の雄蕊、1本のめしべがあり6月頃実を結びます。
 春を告げるように一足先に、淡い黄色の花を一斉に開くので、三椏のことをサキサクと万葉歌人は呼びました。

 
 三椏は雁皮と違って栽培が可能なので、大蔵永常は「広益国産考」(1844年刊)で各地の栽培例を紹介しています。
 しかし、当時は三椏の特色はあまり知られておらず、「三椏紙」という紙名は登場していません。
 三椏が一般的に重要な製紙原料となったのは、明治の初年に印刷局が初めて使用した頃からです。
c0187004_1684493.jpg 明治11年パリで開かれた万国博に大蔵省印刷局が出品したミツマタ製厚紙は「局紙」と名付けられて、欧米でも高く評価されました。
 それを受けて、三椏の栽培を奨励しました。
 重要な原料としての需要が増大するに伴って、栽培が次第に中国、四国地方に広がっていきました。
 今日では岡山県の生産量が第一位で、その他、高知県、徳島県、鳥取県、愛媛県などで生産されています。

 繊維は柔軟で細くて光沢があり、印刷適性に優れていて、世界一の品質を誇る日本銀行券の原料として使用されています。
 この他、箔合紙、かな用書道用紙、美術工芸紙などに使用されています。
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# by wheatbaku | 2009-08-12 06:09 | 江戸の技 | Trackback
雁皮紙(がんぴし) (江戸の技)
 小津和紙の玄関前には、楮(こうぞ)、雁皮(がんぴ)、三椏(みつまた)の三種の和紙の原料となる木が植えてあります。c0187004_22421377.jpg
 写真の左に楮、中央に雁皮、右に三椏がそれぞれ植えられています。さすが、紙問屋だと感心しました。

今日は、「雁皮紙(がんぴし)」の説明です。

雁皮(がんぴ)  
 雁皮はジンチョウゲ科ガンピ属の落葉低木で、奈良時代から製紙原料として用いられています。
 生育する東限は静岡の伊豆、北限は石川の加賀市付近までです。
 四国、九州、静岡、兵庫などに多く、暖地を好む植物です。
 高さは1~3m、枝は褐色、葉は卵型で互生し、初夏に枝端に黄色の小花を頭状に密生します。

雁皮紙(がんぴし)

 c0187004_22393848.jpg 雁皮紙は楮紙(こうぞがみ)とともに和紙を代表する紙です。楮の栽培が容易なのに対して、雁皮は栽培が困難なので、野生のものを採集しなければなりません。
 そのために原料の供給に限界があり、生産量は非常に少なくなります。
 雁皮は、成育が遅く栽培が難しいため、自生している雁皮を生剥ぎにして捕獲します。
 生剥ぎにするため、水揚げの良い春から夏にかけて収穫されます。

 雁皮の繊維は5ミリ前後と短く、半透明で光沢があるため、紙の表面は平滑できめ細かく、美しい艶を持っています。そのため、かな書きに適した料紙など、高級紙として高く評価されてきています。

 遣唐使と共に唐に渡った最澄が、わざわざ土産として筑紫の斐紙(雁皮紙)を200張り持参しています。
  紙の先進国である中国に、土産として持参できるほどに高い評価を得ていたことになります。

 雁皮紙は、平安期の公家の女性たちに、かな文字を書くのにもっともふさわしい紙として愛用されました。
 もっとも良質な和紙原料で、永久保存の記録用紙として尊重され、中世から近世にかけて、鳥子紙の名で知られています。

 このように、平安時代の薄様、鎌倉時代の鳥の子紙などが代表的な雁皮紙です。

c0187004_2240247.jpg 鳥子紙(とりのこがみ) 
 雁皮を原料とする紙で、鳥の卵のような淡い黄色を帯びているためにこのような名前がついたと言われています。
 なめらかでコシがあり 耐久性のある美しい紙です。
 近世には、雁皮紙というより鳥の子紙の呼称が多いそうです。



薄様(うすよう)  
 雁皮で薄く漉いた紙を言います。本来は厚様・薄様という紙の厚さを指す言葉ですが、雁皮は薄紙を漉くのが容易であり、雁皮を薄紙にすると下が透けてみえ、強い印象を与えるので、薄様は雁皮紙を指すようになったと思われます。
 たとえば、下に藍色の薄様を置き、その上に紅色の薄様を重ねると紫色になります。このことが、平安時代の貴族社会の女性たちに好まれ、料紙や手紙などに愛用されたようです。
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# by wheatbaku | 2009-08-11 05:50 | 江戸の技 | Trackback
楮紙(こうぞがみ) (江戸の技)
 和紙の主な原料は、古くから、楮(こうぞ)、雁皮(がんぴ)、三椏(みつまた)の3種類です。
 これらは、それぞれに優れた特質があり、いずれも繊維が長くて強靱で、光沢があり、和紙の特徴である薄くて強い性質を表しています。 
 和紙の材料となるこれらの植物の特徴とそれから作り出される代表的な和紙について紹介します。

楮(こうぞ)  
 クワ科の落葉低木です。
c0187004_2039253.jpg
 本州以西の山野に生え、また畑や山すそに植えられます。
 高さ2~5メートル、茎の径20センチメートルぐらいになります。

 葉は長さ10センチメートルくらい、左右不整の卵形で先はとがり、縁は鋸の歯のようになっていて、しばしば深く2~5つに分かれています。
 右上の写真は、小津和紙の玄関に植えられていた楮です。
  
c0187004_20465827.jpg 春、花が咲きます。雄花は楕円形で若枝の基部に咲き、雌花は多数が球上に集まって上部につきます。

 果実は、六月ごろ、最下段の写真のように、赤く熟し、甘味があって食べられます。

 楮はすらりと枝がのびた低木で、1年で1m以上ものび、冬に、鋭利な鎌で株を残して根元から一気に一枝も残さずに全部刈り取ります。
 そのほうが、翌年均等な品質のものが育ちます。
  それを、蒸して皮をむき、外皮を除いた部分を紙にします。


楮紙(こうぞがみ) 
 楮紙(こうぞがみ)とは、楮を原料として漉いた紙のことです。

 楮の繊維は、麻についで長く平均9ミリあります。
 楮は繊維が長く、絡み合う性質が強く、そのため、粘り強く、もんでも破れない紙ができます。
 丈夫であったために重要な公文書や長期間の保存を要する文書の用紙として用いられて、長く和紙の代表的な存在とされてきました。
 代表的な楮紙には、檀紙・奉書紙・杉原紙などがあります。
 また、和傘や障子、襖の材料としても用いられている。

檀紙(だんし) 
 檀紙は、楮を原料として作られていて、縮緬状のしわがあります。
 古い奈良時代には主に弓を作る材料であったニシキギ科の落葉亜喬木である檀(マユミと読みます。また真弓とも書きます)の若い枝の樹皮繊維を原料として作られたためにこの名があります。
 平安時代からは楮を原料として作るようになった朝廷・幕府で使用する高級和紙です。
 厚手で美しい白色が特徴であり、主として包装・文書・表具などに用いられます。

c0187004_20493256.jpg  奉書紙(ほうしょがみ)  
 奉書紙(ほうしょがみ)は、楮を原料とした厚手の紙です。
 奉書とは、天皇や将軍などの意向や決定を奉じて、下位の者が自己の名義でその旨を記した文書です。
 その「奉書」という命令を書いた紙も、次第に「奉書紙」と呼ぶようになりました。
 室町時代ころから漉かれていましたが、江戸時代に最高級の公文書用紙として盛んに梳かれました。

 杉原紙(すぎはらがみ/すいばらがみ)  
 杉原紙とは、播磨国多可郡杉原谷(現在の兵庫県多可町)で漉かれた和紙です。
 平安時代から梳かれていましたが、本格的に普及したのは鎌倉時代に入ってからです。
 奉書紙や檀紙よりも厚さが薄く、贈答品の包装や武家の公文書にも用いられました

 楮の花と実の写真は、季節の花300さんのご提供です。
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# by wheatbaku | 2009-08-10 05:41 | 江戸の技 | Trackback
本居宣長と小津家
 今日は「古事記伝」の作者である本居宣長と小津家との関係です。

c0187004_12343022.jpg 本居宣長について、Yahoo!百科事典では「伊勢(いせ)国松坂の木綿問屋小津定利(さだとし)の二男」と書かれています。
 本居宣長は、伊勢松坂の木綿問屋小津家の次男とあり、小津という姓がでてきました。
 本居姓なのに、なぜ小津なのでしょう。

 実は、本居宣長と小津家は深い関係があります。まず、本居家の系図から説明します。

 本居家の初代は本居武秀といいました。本居家のもともとの先祖は、伊勢国司の北畠氏に仕えていたようですが、初代の本居武秀は、蒲生氏郷に仕えて、合戦で討ち死にし、妻は、伊勢の小津村に身を寄せ、七右衛門を生みました。
 その子七右衛門は松坂に移り、姓を小津と改めて、染物職を生業としました。
 その子3代三郎右衛門道休は、江戸で木綿商となり、大伝馬町で木綿店を3店開業し、江戸店持ちの豪商として栄え、小津党の中でも最も有力な「富る家」でした
 4代目は定治。そして、5代目が定利。定利の子が宣長です。

 つまり、本居宣長は、小津一族の一員なのです。
 本居宣長の父親は、小津定利と言い、宣長の名前は小津栄貞(よしさだ)通称弥四郎といいました。

c0187004_224864.jpg一方、小津和紙の創業者、小津清左衛門長広が店を出すときに、困っている長弘を助けてくれたのが、同じ松坂出身で大伝馬町で木綿商を営んでいた小津三郎右衛門道休でした。
 この小津三郎右衛門道休は、本居家の3代目で、本居宣長の曽祖父にあたる人なのです。 
 小津三郎右衛門道休は200両のお金を貸してくれるとともに小津屋の屋号と店の印のウロコキュウ(左の写真)の使用も許してくれたのです。
 つまり、小津清左衛門長広は、本居宣長の曽祖父の援助があって、お店を開くことができたのでした。
 このように本居宣長と小津和紙との間には深い関係がありました。

 さて、本居宣長ですが、16歳の時に、大伝馬町の叔父さん小津孫右衛門の店に商売見習いとして寄宿しています。
 しかし、宣長が家督を継ぐころには木綿店も窮地に陥り、ついには破産してしまいます。
 このため、宣長の将来を案じた母かつは宣長を医師にする決心をします。母の薦勧めにより、宣長は23歳の時京都へ上り、28歳までの5年半の間に、医学を修めるかたわら、古典、和歌等についても勉強しています。
 そして、上京の際に姓を本居に改め、26歳の時に名を宣長と改めたのです。そして、学問の道で大成したのでした。
 
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# by wheatbaku | 2009-08-08 17:50 | 江戸の技 | Trackback
小津史料館
  「小津史料館」 は、小津産業本社社屋の2階に開設されています。
  昨日紹介した「和紙博物舗」からも「小津史料館」に行くことができます。

c0187004_21264510.jpg 「小津史料館」は、伊勢松阪出身の小津清左衛門長弘が、承応2年(1653年)江戸大伝馬町(現在本社社屋の地)に紙商を開業して以来の小津家の史料を展示し公開し、小津家の歴史がわかるようになっています。
  ☆開館時間は10時~18時  
  ☆入館料は無料です。
  ☆休館日は日曜日です。 


小津清左衛門長広の紙商創業
 小津和紙の創業者の小津清左衛門長広は、寛永元年に、伊勢松坂で生まれました。
c0187004_2141205.jpg 19歳の時に、江戸に出て、大伝馬町の伝馬役で草分け名主の佐久間善八に奉公しました。
 佐久間善八は紙商であり、ここに奉公して12年たった時、紙商井上仁左衛門が郷里に帰ることになり、店を譲る申し出がありました。
 白羽の矢があたったのが長広です。しかし、店を買うには130両の資金が必要でした、そんな大金は長広にはありません。
 困っている長弘を助けてくれたのが、同じ松坂出身で大伝馬町で木綿商を営んでいた小津三郎右衛門道休でした。(この小津三郎右衛門道休は、本居宣長の曽祖父にあたる人です。)
 小津三郎右衛門道休は200両のお金を貸してくれるとともに小津屋の屋号と店の印のウロコキュウの使用も許してくれたのです。


史料館での展示物
 史料館には、いろいろな史料が展示されていますが、その中で、主なものを紹介します。

c0187004_21274045.jpg 江戸買物独案内(えどかいものひとりあんない) 
 江戸に不案内な人のためのガイドブックです。小津屋も載っています。

c0187004_2135863.jpg

 



千両箱
 小津清左衛門店が江戸時代に使用していた千両箱。
 (大きさ) 幅47cm、高さ18cm、奥行15cm
 意外にも千両箱が小さいので驚きました。



c0187004_21282842.jpg己卯(きぼう)一番組紙問屋の看板 
 明治12年に有力紙問屋が発起人となって設立された己卯(きぼう)組は、最初の和紙同業組合

c0187004_21464373.jpg温故知新
青淵老人(澁澤栄一)が小津の経営理念として特に書いたもの

 澁澤栄一(1840-1931)は青淵と号し、明治・大正期の実業界を指導しました。小津グループは、澁澤栄一の偉大な人格を常に範として仰いでいるそうです。
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# by wheatbaku | 2009-08-07 06:19 | Trackback
小津和紙 (江戸の技)
 「小津和紙博物舗」は、紙問屋の小津和紙が本社の1階に設置している和紙の小売部門です。 

c0187004_15381932.jpg 小津和紙は、承応2年(1653)創業の紙問屋です。
 創業時は「小津屋」といっていましたが、現在は、創業の地で、正式社名は「小津産業株式会社」と称して、不織布を中心とした事業を展開しています。
 その本社の1階にあるのが、「小津和紙博物舗」です。
 JR「新日本橋」駅から2分の距離にあります。


c0187004_17245754.jpg 小津和紙の創業者小津清左衛門長弘は、伊勢国松坂(現在の三重県松阪市)出身の松阪商人です。
 小津清左衛門長弘は、江戸の紙商に奉公し、4代将軍家綱の時、承応2年(1653年)に独立して、大伝馬町一丁目(現在の本社所在地)に紙問屋「小津屋」を開業しました。
 以後、永々と事業を継続し、現在も創業の地で営業しています。

 現在は、小津和紙の前には、昭和通りが通っていて、その上は、首都高速道路があり、江戸の面影はありません。
 しかし、当時は、小津屋のお店の目の前は日光道中が通っていて、大伝馬町は、大店(おおだな)がいくつも並んでいて日本橋と並ぶ商業の中心地でした。

 
c0187004_15384394.jpg 「小津和紙博物舗」は、小津史料館などとともに、創業350周年記念事業の一環として、平成17年にオープンしたそうです。
 お店は、明るく整理が行き届き清潔感あふれる感じのよいお店です。
c0187004_1539278.jpg 





 和紙は、一般用から専門家用までたくさんの種類が陳列されています。和紙で作られた人形まで並べてありました。


c0187004_15392960.jpg 和紙の体験コナーもあります。
 紙漉き体験は予約制ですので事前に予約が必要です。
 紙漉きから仕上げまで1時間半程度だそうです。
 私が行った日は、体験している人はいませんでしたので、体験を指導されるSさんが親切に和紙のことをいろいろ教えてくれました。Sさんありがとうございました。
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# by wheatbaku | 2009-08-06 06:37 | 江戸の技 | Trackback
  

江戸や江戸検定についてに気ままに綴るブログ    (絵は広重の「隅田川水神の森真崎」)
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